2018年12月31日月曜日

狂気の系譜

ふた昔より前になるが、当時かなり知られたアジア史研究者の学内の講演を聞いたときの講師の言葉に同感を禁じえなかった。彼はカンボジア共産党 ( クメールルージュ ) による同胞の大虐殺の理由を「アジア的野蛮」に帰するのは正しくない。彼らはヨーロッパのルソーやサルトルの思想の影響を受けて行動した( 大意 )と語ったのである。

高校教科書的に言えば、ルソーは自由と平等、人民主権を唱え、人間本来の善性を回復せよ ( 「自然に帰れ」)と訴えた啓蒙思想家である。しかしそれはルソーの一面的理解に過ぎない。彼の出世作『学問芸術論』は学問や芸術つまりは文明は生まれながらの人間が具備する徳性を損なうと説いた。だから「自然に帰れ」と訴えたのである。著名な音楽家でもあった彼がである。

ポルポトを除くとクメールルージュの幹部たちの多くはフランス留学を体験したインテリであり、ルソーの思想に心酔していたという。そうと知れば彼らが国民の中でもとりわけ都会の知識人を目の仇と迫害した理由が理解できる。学問や芸術に接した人間ほど堕落していると彼らは考え、おそらく憎んだのである。

ルソーの思想は多面的かつ難解で、私のような素人が云々することは難しい。しかし少なくとも悪用されやすい側面があったことは否めないのではないか。ルソーと彼の思想的後継者たちの内に全体主義の萌芽を見たのはヘブライ大学教授のJ. L. タルモンである。彼の著書「フランス革命と左翼全体主義の源流』( 原題は The Origins of  Totaritarian Democracy  London 1952 ) は拓殖大学海外事情研究所から1964年に刊行された。その意義が理解されていたら、のちの中国の文化革命にわが国の知識人や学生が幻惑されることも無かったろうに。

2018年12月29日土曜日

下北雑感

NHKの番組『小さな旅』は前身の『関東甲信越  小さな旅』の頃から旅好きの人間にとって魅力ある小番組であるが、今朝は「海荒れて恵あり」と題する下北半島北部の風間浦村の漁師一家を取り上げていた。「大間のマグロ」ほどの話題性はないが、同地は近年アンコウ漁が盛んになった。番組はそれまでまったく漁の対象でなかったアンコウを漁具を改良して名産とした老漁夫の一家を紹介していた。たった一人の工夫が村に貢献した事実も素晴らしいが、荒れる大自然を相手の生活の苦労も喜びも都会人が忘れ去ったものだった。

同地には下風呂温泉という素朴な温泉地があり、イカ漁の季節なら津軽海峡の漁り火を見ることができる。私に季節の記憶はないが、ここの「海峡の宿  長谷旅館」に泊まったことがあり (現在は休業中? ) 、テレビ画面に同旅館の看板を見出し懐かしかった。作家の井上靖が泊まった宿 ( 小説『海峡』)と知り立ち寄ったのだが、番組に宿のシーンは無かったので昔のままかは分からない。それでも赤い風ぐるまが回る恐山の風景とともによい思い出になっている。

下北半島といえば内田吐夢監督の映画『飢餓海峡』も忘れられない。殺人を犯して北海道から逃げてきた犯人は、何も知らない宿女中に親切にされる。のち本州で成功して資産家になった犯人( 三國連太郎 ) は昔を懐かしんで訪れた女中 ( 左幸子 ) を金欲しさの訪問と邪推し殺してしまう。主演の三国も左も既にあの世に旅立った。それでも名作に出演してこの世に在った確かな証拠を残せた。もって冥すべきか。

2018年12月27日木曜日

IWC 脱退も一考に値する

日本政府がlWC ( 国際捕鯨委員会 ) からの脱退を決定した。朝刊各紙の論調は必ずしも一致しないが 、反対ないしもっと慎重にという意見が多いようだ ( 『朝日』『東京』。『読売』『産経』は社説での論及なし ) 。悪しき前例として第二次大戦前のわが国の国際連盟脱退がわが国の孤立をもたらしたと指摘されている。

わが国がIWCを脱退すればこれ迄の調査捕鯨との名目での南極海や北西太平洋での捕鯨は不可能になる。残る領海やEEZ ( 排他的経済水域 ) での操業では約600頭と言われる遠洋捕鯨の頭数を補えるか危ぶまれる。損得勘定からすれば脱退は愚かである

それでも私は脱退も一考に値すると考える。第一にわが国の従来の調査捕鯨は調査とは名ばかりの商業捕鯨であり、国際司法裁判所でもわが国の主張は否定されている。そちらの方がよほど日本の名誉を損なう行為だったと言える。第二に遠洋捕鯨とくに南極海での捕鯨は他国の反発を呼びやすかった。南極大陸は各国による領有を禁じられている。それと同じではないが、南極海での一国の自由な漁業は感情的反発を招き易い。私にはシーシェパードによる日本のイルカ漁の妨害は不快そのものだったが、南極海での彼らの妨害行為には否定しきれないものを感じていた。

わが国のIWC脱退への諸外国とりわけ先進国メディアの批判は激しいものになろう。しかし、IWC加盟の89ヶ国の商業捕鯨への賛否は41対48と聞くし、今回の日本の解禁提案には27票の賛成 ( 反対は41、棄権2 )があった。満州国を建国して世界で孤立した挙句の日本の国際連盟脱退とは同一には論じられない。

言い古されたことだが、牛肉や豚肉は食しても良いが鯨は良くないというのは先進国の見解の押し付けであり、身勝手そのものである。わが国は場合によっては商業捕鯨国のノルウェーやアイスランドとともに別組織を作ることも考えられる。ノルウェーやアイスランドを「ならず者国家」と決めつけるシーシェパードにオーストラリアやニュージーランドが同調するなら日本は両国の畜産品を他国のそれで代替すればよい。その時、両国に日本批判を貫く信念があるだろうか。試してみるのも悪くない!

2018年12月24日月曜日

日本の皇室と英国の王室

昨日、平成天皇が天皇としての最後の誕生日を迎えられた。事前の「記者会見」は記者会見と言うよりも陛下の一方的なスピーチだったようだが、国民への感謝とともに美智子皇后への深い感謝を表明されたのは十分理解できる。昭和天皇ほどには国運を決するような困難な決定を迫られたわけではないが、30年にも及ぶ天皇としての勤めが容易だったはずがない。聡明な美智子皇后は貴重な相談相手だったろう。

先日は大嘗祭の行事に関して秋篠宮が前例踏襲に強い疑念を表明された。憲法に反する政治的発言との批判は当然あり得るし、かなり率直な不満の表明ではあった。しかし、天皇夫妻と皇太子夫妻の意向を代弁しての発言だったことは間違いないだろうし、大多数の国民もよくぞ言ってくれたと感じているのではないか。最大の当事者の意見を無視するならば政府は皇室と国民の絆をかえって弱めるだろう。

天皇誕生日に合わせたのではないだろうが、NHKのBS放送 ( 12月7日 )が「ドキュランドへようこそ」の一篇として「エリザベス女王と後継者たち~王室外交」という英国の番組を放送した。女王は単に英国の女王であるだけではなく、世界人口の3分の1を占める24億人の英連邦諸国民の女王でもある。最近、ハリー王子と結婚したメーガン妃がウェディングドレスの上に被る長いヴェールの裾に連邦53ヶ国の国花を刺繍させ、それを知った王子を感心させたという。自身が黒人の血を引くメーガン妃の王室入りを黒人の英連邦人が、「誇りを感じます」と語っていた。英連邦諸国民へのメーガン妃の配慮もさることながら、彼女の独自の工夫が十分発揮できる英王室の柔軟さに私は感心した。

わが国の皇室 ( と言うより宮内庁や内閣 ) も、がんじがらめの規制で次代の天皇夫妻を縛ってはならない。とりわけ英国の大学に学んだ雅子妃には自由な言動を認めるべきである。新皇后が天皇の半歩後を歩く姿を見たくない!

2018年12月22日土曜日

シカ肉の行方

今日の『朝日』の夕刊に「駆除シカ肉  ペットの健康食に」「食害深刻な伊豆  廃棄分を加工」との記事が載っている。

わが国では近年シカによる植物の食害が深刻である。もう20年ほど前から奥日光の戦場ヶ原では、これぞと思う樹は周囲を篭状の金属枠で守られていた ( 樹皮を食べられないため。食べられれば枯れる ) 。その頃から日本一と言ってよい?霧ケ峰高原のニッコウキスゲの大群落はシカによる食害のため、縄で囲まれた一画 ( かなり広いが ) 以外はほとんど消滅した。

シカなど野生動物の肉はフランスではジビエgibier 料理として愛好されている ( 私は未体験 ) 。なぜ日本ではシカの食害が顕著なのに、捕獲しても土中に埋めたりして食材として利用しないのか。焦れったい限りだったが、聞くところによると、殺害したらその場で血を抜かないと匂いが強かったり、恒常的に供給できなかったり、なかなか普及しないとか。

伊豆でも役所仕事で土曜日曜は獲物を受け取らなかったり、料理用の需要は限られていたりで、今回ようやく民間がペット用の食材として販売し始めたという。ジビエ料理とならないのは残念だがペット用としてでも利用できればとは思う。

しかし、ロース肉100グラムで300円。「えさの質にこだわる飼い主らが早くも常連になってくれた」とあるのを読んで目が点になった ( 多分!) 。いまは残飯に味噌汁をかけるのが常だった時代ではないとは私も承知しているが、人間さま用の牛肉が100グラム100円で買える時代にペットに300円のエサを与えるとは........。 そうする資力があるなら何をしても許される時代なのだろうが、いつか天罰が降らなければ良いがと八十翁は考えてしまう。

2018年12月18日火曜日

都市再開発の夢

昨日の『朝日』( 多摩版 )に「原宿の旗手  ラフォーレが40年」との見出しで、原宿のファッションや文化の発信拠点として知られるラフォーレ原宿の大きな記念記事が載っている。のち東京の各地のヒルズを建設した森ビルが最初に建てたこのファッションビルを訪ねたことはないが、今日の原宿文化の拠点をつくった森稔森ビル社長 ( ラフォーレとはフランス語の森  ラ・フォレに由来 )は大学の最初の2年間、同じクラスだった。

私はたまたま20歳台後半に青山通りに近い原宿に1年半ほど住み、何の変哲もない小路の竹下通りを通って山手線で出勤した。若者で賑わう現在の明治通りを通ると車窓からその変化に感じ入る。

私と同様、当時は文学を目指していたという森君とは特別に親しくは無かったが、フランス語未修のこのクラスは深大寺や奥多摩へハイキングしたりクラス雑誌を出したりして仲が良く、大学祭で2度演劇を上演した際には森君が演出を担当した。「第三帝国の恐怖と貧困」というブレヒトの原作で、私は終始舞台の酒場にいるがセリフは皆無という役だった。そんな役でも舞台で脚光をあびる役者の陶酔感の一端は理解できた!

卒業後の彼は父君 ( 経営学教授でもあった ) の貸しビル業に従事し、1986年のアークヒルズ建設で一躍脚光を浴びた。赤坂の既成市街地の住民を説得して大規模開発をするという、私権の強い日本での初の事業のためどれほどの困難を克服したか。

その後も御殿山ヒルズ、六本木ヒルズ、表参道ヒルズ、上海環球金融中心と彼は大規模都市開発に心血を注いだ。40年ほど前にクラス会を復活して以来、それらの新しいヒルズを会場に毎年のように再会した。近年は六本木ヒルズクラブが会場に定着したが、彼は2012年に死去した。ヒルズクラブを会場に使い続けてとの遺言でその後も何回かクラス会は続いたが、出席者が次第に減少し、3年ほど前に終了した。

わたしは森君とは職業も違い当初は彼の都市開発の意義をよく理解できなかったが、観光都市シンガポールの躍進などを目にしてようやく、東京を世界の魅力ある都市にしようとした彼の夢を理解するようになった。今ごろかと彼に言われそうだが。

2018年12月15日土曜日

英才教育の成果

最近、わが国の10歳台のスポーツ選手が世界の桧舞台で大活躍している。女子卓球界は福原、石川の時代からだからその嚆矢と言えるが、いまや水泳、テニス、体操、フィギュア・スケートと枚挙にいとまがない。大慶至極である。

これら10歳台選手の活躍の陰には当然ながら早期英才教育があったことは間違いない。今朝のTBSの「サワコの朝」に清塚信也というピアニストがゲスト出演していた。その母の英才教育ぶりは大変なもので、5歳頃から姉とともにテレビやゲームとは無縁の生活。母( 音痴だった ) が外出から帰宅する気配があると子ども同士でピアノで合図するメロディーが決まっていたという。

それほどまでの練習を強いられ、多くのピアノコンクールで上位を占めたが優勝とはならなかったらしく、20歳を境に母の猛反対を押し切り、ピアノの才能を活かした芸能人を目指した。それとても容易では無かったが、端正な容貌も与ってか今では葉加瀬太郎や高嶋ちさ子と番組で共演するまでになった。音楽はコンクール入賞が目的ではなく、より多くの人に聞いてもらえる場所を目指すというその哲学は、その立場が言わせる面もあろうがそれはそれで納得できる。

英才教育で数々の各界の英才が輩出するいっぽうで、清塚信也と異なり無名で終わる子どもが圧倒的多数だろう。それはそれで後の人生に無意味とは思わない。しかし少なくとも清塚は自分の子に「あんな仕打ちは出来ない」と語っていた。それでも彼の現在の活躍はその母のお陰ではある。

しかし、体操競技やラグビーなどを見ていると、不幸にも身体に障害を負う若者もいるのではと思うほど激しい。子どもに英才教育を受けさせる知恵の無かった親の言い訳だろうが!

2018年12月10日月曜日

地球温暖化の影響

今朝の東京の気温は今冬一番の冷え込みで摂氏4.7度だった。それに合わせてでもあるまいが、今朝の複数のテレビ局で寒さを話題にしていた。

地球温暖化の影響か、今年の日本列島は全国的に冬の到来が遅かったらしいが、北のモンゴルもその例外ではないという。それでもウランバートルの今朝の気温はマイナス27度とかで、日本とは比較にならない。と思ったら、北海道の陸別の今朝の気温はマイナス21.8度。同地は日本で最も寒い所として知られるが、札幌もマイナス6.8度なので矢張り寒い所は寒いということのようだ。

それでも温暖化 ( と品種改良?)の結果で北海道は今やコメの大産地となり、その味も他地方と十分競争できるほど向上したとのことで頼もしい。逆に高温化で西日本の従来の米作地は品種の転換を迫られるだろう。あちら立てればこちら立たずだが、日本の米作技術をもってすれば困難は必ず克服できるだろう。

というように、主要農作物については世界でも温暖化で不利になる地域ばかりではなく、逆に生産が増大する地域もあろう。しかし、先日どこかのテレビで、温暖化による国土の砂漠化で住民の生活が深刻な打撃を蒙っている西アフリカのブルキナファソの紹介があった。それが地球温暖化の影響であれば先進国の責任は否定できず、救援の手を惜しんではならないだろう。

そうした状況であれば石油や天然ガスが安いほど良いと単純には肯定できない。米国ではシェールオイルの生産増加で国民が自信を回復したためか、ピックアップ・トラックなど中型以上の車の人気が高まり、比較的燃費の良いセダンの生産が打撃を受けている。自動車だけではない。ハウス栽培で冬でも石油を燃やして夏野菜が作られるのを進歩とばかり言えない。大気中の炭酸ガスの除去技術の飛躍的ブレイクスルーに力を注ぐべきだし、時間との競争になるが人智にはそれが可能と信ずる。

2018年12月7日金曜日

入管法の改正を望む

外国人労働者の受入れ拡大に向けた出入国管理法 ( 入管法 ) 改正案が今夜にも成立しそうだ。新聞各紙はおおむね改正案の不備を指摘し採択に批判的だが、私は現状より一歩も二歩も改善になると考える。

反対論者の論点は幾つかあり、むろん正しい指摘も少なくない。現在の技能研修制度がわが国にとって研修よりも安い労働力の確保が主目的であることは否定できないし、約束した労働条件を守らない雇用主が少なくないことも事実だろう。しかし中には批判のための批判としか思えないものも少なくない

最近では途上国の若者にとっても日本よりも韓国や中国や台湾の方が労働条件などで魅力的とも言われる。 そうした中で新制度での予定人数が明らかでないと批判するのは正しい批判だろうか ( 2年後の再検討が予定されているのに )。 また、最初の就業先からの研修生の雲がくれを防止するためとはいえパスポートを雇い主が預かるのは行き過ぎと私自身考えていた。しかし、同国人も稀で最低賃金さえ都会より低い農村などで脱走防止のためパスポートを預かるのは止むを得ない面もある。長い超過労働時間も、100万円にも達すると聞く渡航の諸費用返済するため研修生自身がそれを望むケースも少なくないと聞く。

なによりも研修生自身が現在の3年間の研修期間の5年や10年への延長を大歓迎するのではないか。3年間の研修を終えて帰国した人たちの多くが、法律が改正されれば再来日を望んでいるという ( 紙名は忘れたが ) 報道はその証拠ではないか。今朝のNHKニュースで、国に先んじて希望者を確保するため森田健作千葉県知事がベトナムに50校あるという日本語学校を訪ねる場面があった。青年男女が真剣に日本語を学習しているシーンを見て、3年間で帰国させるのは不当だとすら感じた。

中東諸国などでは外国人労働者を奴婢扱いする国もあると聞く。日本語の習得に努め、日本の生活習慣を尊重する外国の若者にはもっと門戸を広げても良いし、妻子にも居住を認めても良い ( 希望すれば国籍取得も )。彼らの大多数は帰国後は必ずや親日家になると私は確信する ( 日本滞在中は不満を口にしても )。 政権は親日と反日を時に応じて使い分けても彼らはそれに動かされないだろう。

2018年12月2日日曜日

『風立ちぬ』考

私はかなり注目される馬以外で新聞の競馬欄に目を通すことはなく、まして馬券を買ったことはない。ところが偶々目に入った、今日行われるチャンピオンズカップの予想記事に「ルヴァンスレーヴ」という馬が単勝一番人気と出ていて驚いた。

驚いたのはこの馬の実力がそれほどでないと思ったのではない ( そもそも初耳 )。フランス語でルヴァンスレーヴとは「風立ちぬ」という意味だから。言うまでもなく「風立ちぬ」とは堀辰雄の中編小説の題名であり、最近はジブリ映画の題名 ( 堀原作の筋とは殆ど無関係 )になっており、松田聖子が歌った曲の題名にまでなっている!

馬の名前がフランス語なので一応、堀辰雄の小説ないしフランスの詩人ポールヴァレリーの詩から名を借りたと考えてよかろう。堀の小説の巻頭にフランス語の詩の引用がある。作中では「風立ちぬ   いざ生きめやも 」と訳されている。

馬の名前がフランスの詩に由来するのは最近の日本競馬の騎手にはヨーロッパ人も少なくない結果だろうか?  そうだとしたら何とも風流だし、国際化も極まったと言うべきだろう。ヴァレリーは詩人としてだけでなく小説家、批評家としても大いに活動し、わが国でも全集が出版されている 。さすがに前2回の刊行は途中で挫折し、3回目で完成したとのこと。それにしても、わが国の読書人口の層の厚さには驚くばかりである。フランス人気はファッションや香水や料理だけではなかったのである!

P. S.   前回、石原知事が世界都市博を誘致しようとしたと書いたが、鈴木俊一知事の誤りでした。申し訳なし。