日本チームでそうしたことが仮に起こるとしても遠い先のことであろう。しかし、オリンピックの100米走の状況を見ればアフリカ系ランナーの実力は圧倒的であり、すでに世界ではそうした混成チームは珍しくないだろう。陸上短距離走は極端な例だが、サッカーや卓球などいくつかのスポーツではヨーロッパ国代表と言いながら多人種のチームになりかけている。
ハーバード大学が学生の人種的多様性を維持するためアジア系入学希望者を差別しているのが問題となっている。勤勉なアジア系は成績だけで判断すれば学生の42%を占めるというので、大学はそれを19%に抑えているという ( 『朝日』9月1日 ) 。本来、ハーバード大学の入学資格は面接による人物考査が大きな要素を占めていたと聞くし、私立大学であるハーバード大学には入学資格を独自に決める自由はあるだろうが、米国の司法省がそれを人種差別と批判している。
経済的統合を手始めに政治的統合への道を着実に歩んできたヨーロッパ諸国は今、移民難民の大量流入を機に四分五裂の危機に直面している。難民への人道的対応に当初は各国も反対はしなかった。むしろ労働力として利用した側面もあったろう。しかし、「破綻国家」が次々誕生し、その国民が数十万人も自国に入国する事態にまで寛容であることは困難である。移民と難民の違いが判別困難になってきた新事態に「人道的対応」がどこまで可能だろうか。国境を閉じることが即、人種差別と言い切ることは困難である。
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