カリーマは「便宜を図ろうと努力する学校は立派だと思う」が、「ムスリムの親の要求がすべてまっとうなものかを見極めることも大切だ」とする。例えばムスリムでは歌や楽器演奏は禁止されているため、この小学校では音楽の時間は別室で自習させるという。しかし、カリーマが育ったエジプトの学校ではピアノに合わせてよく歌った。「音楽を禁忌とみなすムスリムは、極めて少数な超過激派だけだ」。また、「偶像崇拝が禁止されているため、図工の授業では自画像が描けず、自分の手を描く」というが、カリーマは「エジプトの美術の授業では人物画もさんざん描かされた」。
この小学校ではラムダンの時期 ( 断食期 )には生徒の健康を考え、体育の授業は見学させるというが、日本でカリーマの父は体育の授業に参加させた。番組では、授業時間にモスクに出かけさせよとのムスリムの親たちの要求に対し、話し合いの末、集団で行動するとの条件で許したという ( インターネットによる )。カリーマは「一部の親に要求されるままに、必要以上の制約を子どもに課すことは、他の児童たちに偏見を植えつけ、将来ヘイトや分断を招きかねない」と考えるが、正論だと思う。
私はたぶん番組を見ていないので、番組の意図を云々したくない。昨今、NHKは左からと右からの正反対の ( 真逆ではない!)批判にさらされ、同情もしたくなる。しかし、日本語習得への援助ならともかく、日本の学校なら日本の教育プログラムの遵守を要求するのはのは当然である。ムスリム教育には自分たちの教育方針の学校を設立すべきである。その自由は守られるべきとしても。