2018年9月29日土曜日

師岡カリーナに賛成!

NHKテレビの朝のニュース番組『おはよう日本』で「ムスリムの子どもに向き合う小学校」と題して群馬県の伊勢崎市の小学校の対応が紹介された ( 9月18日 )。それに対し今朝の『東京新聞』の「本音のコラム」で師岡カリーマ氏が強い疑問を呈している。

カリーマは「便宜を図ろうと努力する学校は立派だと思う」が、「ムスリムの親の要求がすべてまっとうなものかを見極めることも大切だ」とする。例えばムスリムでは歌や楽器演奏は禁止されているため、この小学校では音楽の時間は別室で自習させるという。しかし、カリーマが育ったエジプトの学校ではピアノに合わせてよく歌った。「音楽を禁忌とみなすムスリムは、極めて少数な超過激派だけだ」。また、「偶像崇拝が禁止されているため、図工の授業では自画像が描けず、自分の手を描く」というが、カリーマは「エジプトの美術の授業では人物画もさんざん描かされた」。

この小学校ではラムダンの時期 ( 断食期 )には生徒の健康を考え、体育の授業は見学させるというが、日本でカリーマの父は体育の授業に参加させた。番組では、授業時間にモスクに出かけさせよとのムスリムの親たちの要求に対し、話し合いの末、集団で行動するとの条件で許したという ( インターネットによる )。カリーマは「一部の親に要求されるままに、必要以上の制約を子どもに課すことは、他の児童たちに偏見を植えつけ、将来ヘイトや分断を招きかねない」と考えるが、正論だと思う。

私はたぶん番組を見ていないので、番組の意図を云々したくない。昨今、NHKは左からと右からの正反対の ( 真逆ではない!)批判にさらされ、同情もしたくなる。しかし、日本語習得への援助ならともかく、日本の学校なら日本の教育プログラムの遵守を要求するのはのは当然である。ムスリム教育には自分たちの教育方針の学校を設立すべきである。その自由は守られるべきとしても。


2018年9月27日木曜日

本当に「失笑」か?

現在開会中の国連総会でのトランプ大統領の演説がこれまでの業績の自慢で会場の失笑を買ったと朝刊各紙が報じている。『毎日』の社説の見出しは「トランプ氏の国連演説   世界の失笑の意味を考えよ」だった。本当にそうだろうか?

『朝日』により経過を追えば、トランプは「2年足らずで、現政権は歴代のほぼ全ての政権よりも多くのことを成し遂げた」と語ったが、「会場から失笑が漏れ続けたため話を中断し、『事実だ』と強調。さらに会場の笑いが大きくなると『そんなリアクションは期待していなかったが、まあいいだろう』と強がった」ということだ。

しかし私は会場の反応が本当に「失笑」だったか疑問に感じた。このブログで私は彼を以前にエンターテイナーと評した。何年もテレビ番組で笑いをとっていた彼がそれほど聴衆の反応を予想できなかっただろうか?   「歴史上のほぼ全ての政権よりも多くのことを成し遂げた」は『毎日』の「余録」によれば、「国内の支持者を前にした演説では、喝采を浴びる決めゼリフ」の由。米国の聴衆も本気でそう思っているとはとても思えない。私にはトランプの応答がすべて計算済みだったと思える。

午後、テレビのチャンネルを回していたら、米国のabcのnewsshowerという番組の英語を解説するNHK  BSの番組に行き当たったが、abcの番組では「笑いを誘った」「あそこは笑わそうとした」と解説していた。少なくともabcの解説者は失笑を買ったとは見ていなかった。

日本人記者たちの英語力ではニュアンスが理解できなかったか ( まさか )。それともトランプがまともな知能の持ち主ではないと決めてかかっているのか。そんなことでトランプの抜け目なさ、恐ろしさを読者に伝えられるだろうか。

2018年9月26日水曜日

有効な補助金とは?

東京都の施策なので新聞各紙の扱いは地味だったが、乗り物大好き人間の私には見逃せない記事があった。都がE V バイク普及に購入補助金とのニュースである。

もっとも詳しかった『産経』( 9月20日 )によれば、東京都は排ガスを全く出さないE V( 電動 ) バイクの購入者に購入価格の差額に補助金を出すとの記事で、都が4分の3、国が4分の1を負担し、上限は18万円とのこと。現在もっともシェアの多いヤマハ発動機のE-Vino  21万5000円 ( 税別 ) の場合は補助額は10万6000円となる。2018年現在、バイク全体に占めるE Vの割合は1%弱だそうで、当面の補助金総額は大したものではない。小池都知事の人気目当てもあろうが、目のつけどころはさすがである。

10万6000円といえば昨今話題の電動自転車とほぼ同じ金額。バイク乗りにとっては大朗報だろう( そこまでやるか!)。ちなみに、中国の紹興では30余年前からバイクは電動式しか許されなかった。これは環境保全のためではなかった。地形のせいか街全体に異臭があった。  それとも酒造りのせいか?

10万円ぐらいで驚いてはいられない。国民民主党の代表選挙で玉木候補は、国は第三子からは1人1000万円を補助すべきだと提案していた。大学進学率が50%を超える現在、親の教育費負担は小さくないとすれば、本気で少子化にブレーキをかけるにはそのぐらいの覚悟はすべきなのだろう。

それに対し、私立高校生の授業料の無償化という政府 ( 自民党?)の方針には賛成できない。現在でも公立中よりも私立中の受験が人気を集めている。私立の中高校の独自の教育方針は大いに尊重されるべきだが、苦しい国家財政からの公立高並みの補助は公立校教育への深刻な打撃とならないか。特別の教育に対しては応分の負担を要求すべきだろう。

2018年9月21日金曜日

私は嫌カード派!

旅行カバンの中から古い朝日新聞の土曜版be ( 4月21日 )が出てきたが、この週の「be  between  読者とつくる 」は「あなたは現金派?  キャッシュレス派?」だった。結果はピッタリ50対50だったとのこと。韓国や中国では支払いは断然キャッシュレス払いと聞く。日本がそうでないのは我が国の紙幣の質が断然優れているからだと思うのは自国びいきだろうか。

米国の100ドル紙幣はニセ札が多いため受け取りを嫌がられると聞くが、わが国ではそうした心配をする人は皆無だろう。ヨーロッパのホテル代の支払いも現金よりもカード払いが好まれるようだが、これは備品を壊したり盗んだりされた時の責任追及が容易だからだろう。半世紀前の英国ではスーパーで、カードどころか小切手に金額を記入して支払いしている客を見かけた。個人が自分の小切手帳を持っている英国ならではの光景である。私がカード支払いを好まないのは失ったりして悪用されるのが怖いから。本当に悪用が容易なのかは分からない。単に新しいもの嫌いなのかも。

嫌カード派の私が仕方なくアメックスのカードを持つようになったのは、現金払いではレンタカーを借りるのに多額の預け金が必要だったからである。30年以上前、ノルウェーのオスロー空港 ( 構内バスはなく、空港ビルまで歩かされるほど牧歌的な空港だった ) でレンタカーを申し込んだら多額のデポジットを要求された。やむなく鉄道利用となったが、山がちの同国でのベルゲン訪問は鉄道が正解だった。

北欧3国を5日で駆け足旅行をしたのち1か月ほどパリで図書館通いをしたのだが、すぐ手帳を紛失したことに気づいた。オスロー空港でのレンタカー店と目星はついたが、取りに立ち寄るわけにもいかず、諦めた。すると間もなく東京の家内から手帳が送られてきたとの連絡があった。レンタカーを利用しなかったのにと、信じられない思いだった。早速礼状を書き、東京案内は引き受けたと書いたが、無論返事はなかった。私の北欧への敬意はそこから始まった。たまたま親切な青年だったのだろうか。

2018年9月19日水曜日

米中の関税戦争

トランプ米政権が中国製品に対する高率関税の第3弾の発動を表明する見通しとなった。場合によっては第4弾も検討するという。課税対象額も340億ドル、160億ドル、2000億ドルとうなぎ登りであり ( ただし、税率は前2回は25%に対し、日用品を対象とする第3回は10% )、中国はそれに匹敵する報復関税を用意するという。といってもこの対決でより失うものが多い中国は心ならずもだろう。トランプ大統領としては差し迫った中間選挙とさらには次回大統領選に敗北しないためには選挙公約を実現することが何にも勝る目標なのだろう。

大戦後の自由貿易体制は日本ついで中国ら途上国国民の生活水準の向上を生んだし、米国の大衆の購買する商品の価格を引き下げ米国にも利益をもたらした。しかし、そうして発展させた国力を中国が、軍事力の飛躍的向上や国際司法裁判所の判決を無視しての南シナ海の基地増強に利用する結果ともなった。

自由貿易イデオロギーの元祖の英国のリチャード・コブデンやジョン・ブライトはそれによる経済的利益を目指したが、同時にそれが各国を結びつけヨーロッパの平和に資するとの強い信念にも動かされていた。この楽観論は第1次世界大戦の勃発により打撃を受けた (  当時の英国とドイツはお互いが最大の貿易相手国だった )。

第二次大戦後の自由貿易イデオロギーにも貿易による相互利益とともにそれが世界平和に資するとの期待があった。とくに中国に対しては大衆の生活水準の向上が同国の民主化の後押しをするとの期待があった。しかし結果はこれまでのところ逆だった。

トランプ大統領の狙いが人気取りであれ、自由貿易が常に良き結果をもたらすとの楽観は改めた方が良いようだ。中国への進出企業が3万という日本の経済にはマイナスだろうが.........。

2018年9月16日日曜日

異文化受容は相互主義で

今さらではないが、近年、日本女性の服装は開放的というのか肌の露出度がいちだんと進んでいる。欧米の風俗に影響されてのことだろうが、そのうち日本でも海浜のリゾート地から始まりビキニ姿で通りを闊歩するのが当たり前になるのではないか。そのとき男性がその姿にしつこく視線を向けたらセクハラと糾弾されるだろうか。

バカなことを書きたくなったのは「ドキュランドへようこそ! イラン 禁断の扉」( NHK  BS 9月7日 )という現在のイランを紹介したフランスのドキュメンタリー番組で、イランの女性に課せられる制約のあまりの厳しさに呆れたからである。イスラム諸国での女性差別といえばサウジアラビアで女性の自動車運転がようやく許されることになったとのニュースが話題となったが、イランも例外ではない ( こちらは自転車!)。女性は家を一歩出ればスカーフ着用が義務であり( 外国人も ) 、レストランや職場などで家族以外の男女が同席することは基本的に許されていない。スポーツは観戦も男女は分離される。宗教警察 ( 自発的告発者?)が違反を摘発する。飲酒は男性も御法度。

しかしイランはサウジアラビアと異なり古代ペルシャ以来の文明を誇る。欧米の事情を知る都会の若者たちは酒を密造し、女性は自宅ではヴェールを脱ぎ外国モードの衣服を楽しむ。ブタと同様に犬は飼ってはならないが、郊外には密かに犬を散歩させられる公園がある。上流階級の行くスキー場では欧米並みの自由がある。しかし、原則禁止である以上、運悪く摘発されれば笞打ち80回から死刑までの罰を免れない。死刑数は中国と世界一を競う ( 2016年は900人とか )。人口9000万人なら比率は中国の10倍を超すのでは?

私は他国や海外の人権団体などが、たとえ人権に関しても安易に干渉するのには賛成しない。しかし外国に住んでも宗教にもとずく習慣を厳守するという人たちを歓迎する気にはなれない。異文化との共生を説く人に反対はしないが、相互主義は譲れない原則ではなかろうか。

2018年9月10日月曜日

人の引き際

テレビニュースで安室奈美恵のインタビューを流していた。歌手生活25周年を機に芸能生活から引退するという。わたしは彼女の歌をまったく知らないし ( 踊りも重要な歌なんて!) 、姿もテレビで見るだけだったが、40歳の現在とデビュー当時とほとんど変わりがない 容姿には驚いた( 何しろ相変わらずミニスカートだし!)。これならファンは引退を惜しむだろう。

古くは原節子、新しくは山口百恵 ( これも古いか!)と美人女優やアイドルがファンの持つイメージを大切にして惜しまれつつ引退した人たちの列に安室も加わる。私は年輪を重ねても仕事を続ける俳優やアイドルを批判する気は毛頭ない。しかし、原節子や山口百恵や安室奈美恵ほど夢を売る役を演じてきた人には、そのイメージを壊してほしくないとの気持ちはある。

芸能人だけではない。晩節を汚したと言いたくなる人たちは世の中に少なくない。いま話題の塚原夫妻もそれに近い。私はいっときのメディアのように夫妻を一方的に批判して良いかは分からなかったし、速見コーチの宮川選手への平手打ちのテレビ画像には不快感を禁じえなかった ( 宮川選手がそれを甘受しているからといって肯定できない ) 。画像が存在するのは他人に見られる場所での体罰と思われ、選手の体面への配慮がゼロで許せない。

しかし、塚原千恵子氏には仮に宮川選手を朝日生命クラブに引き抜く意図が全く無かったとしても、多年にわたる女子強化本部長の経歴が選手に与える重圧感への自覚が感じられない。私企業の社長会長なら兎も角、公的機関の要職への重任は本人の意志次第ということでなく、一般社会の定年に倣うべきだった。そうであれば塚原夫妻は晩節を汚すことなく過去の名声のうちに退いていただろう。今更言うことでもないかも知れないが、人間、引き際も大切である。



2018年9月9日日曜日

無駄と余裕のあいだ

今回の胆振東部地震の影響をテレビや新聞で見ていると、道民は勿論だが本州や外国に帰る旅行者はすべての交通機関がストップしてさぞや心細かったことと同情せざるをえない。せめて札幌まで新幹線が開業していたら、たとえ1日や2日は動かなくとも不安の程度は大きく違ったのではないか。むろん平時には、フェリーも含めて空路と鉄道は競合し、どちらにとっても効率は減ずるだろう。しかし今回のようなことが繰り返されれば日本を訪れる観光客も今後警戒するだろう。

ことは交通機関に限らない。苫東への火力発電の集中は ( 国民も道民も初めて知った?) 、効率から言えばベストだったろうが、万一のときには大変な不便を引き起こすと分かった。

今回の家屋への損害を見ていると、半壊まで行かなくても少しの傾き程度でもサッシ枠は大きく変形しており、復旧は容易ではないと感じた。私が1944年に経験した震度6弱程度?の東海地震では傾いた農家が少なくなかった。しかしその後の数十日のうちに丸太とジャッキを使ってどれも正常に復した。当時の家屋はマンションはもちろんプレハブ建築と比べても隙間だらけでエネルギーを無駄遣いしていたが、修理も簡単だった。結局どちらが資源の節約になるのか。

他人事ではない。十余年前、ボケて火の不始末から火事を起こすことを恐れてガスコンロをIHヒーターに代えた。湯沸かしのスピードなど、比較にならないほど便利になったが、今回の北海道のようになったらどうなるのか。だからと言ってガスに戻す気は毛頭ないが。

2018年9月7日金曜日

思い出の品々

今年の自然災害の多発には異常なものを感ずる。それにつけても、いざという時の自炊道具や飲料水の重要性を再認識させられる。

その想いに促され、昔使用したガスコンロを探して台所の下の収納スペースを30年ぶり?に開けた。日本ではあまり知られなかったようだが、「キャンピング・ファイア」という名のフランス製の極小のガス台とそれに使う小さなガスボンベで、50年前の欧州大陸旅行に際し使用したものである ( 小さいながらバンタイプの車だったので、最小限の煮炊きが車内でも出来た ) 。よく持って帰ったと思うが、あまりに古いのでガス漏れ火災を起こす危険も心配だった。

ところが、物置小屋にでもあるのか台所下にはキャンピング・ファイアはなく、代わりに昔見た内外の映画のパンフレットや、留学中の様々な書類 ( 例えばパリの国家図書館の入館証や、無料で医療を受けられる英国自慢のNHS保険証など ) を容れた箱が出てきた。オールド映画ファンとしては懐かしいパンフレット ( 10冊ほど )だが、もうよれよれの状態で始末するしかない。他にも日航発行の妻子の「北極通過記念証」( 私より半年後に渡英 ) などと共に、留学のため英国の恩師とやりとりした手紙類が数枚あった。日本での研究会で一度言葉を交わしただけの一書生の無理な願いを実現させてくれた今は亡き恩師の恩情に改めて接し、厳粛な気持ちにさせられた。

他にも中学や高校の音楽教科書など捨てきれなくて残ったものが少なくなかったが、今はゴミにしか見えない現状では廃棄を覚悟せざるを得ない。せめて此処に記して別れを告げたい。

2018年9月4日火曜日

二つの美術展

最近、二つの美術展を訪ねた。東京国立博物館の縄文文化展と、目黒の東京都庭園美術館の「ブラジル先住民の椅子」展である。実はどちらもチケットを頂いたので腰をあげたのであり、縄文文化やブラジル先住民の文化に特別の関心を抱いていた訳ではなかった。しかし、どちらも私に強い印象を残した。

縄文土器は火焔型土器などどんな物かを写真で知らぬではなかった し、中央高速道の釈迦堂遺跡 ( 高速道を降りずに見られる ) で現物を見たことはあった。しかし、数多くの現物に接して、形だけでなく全面に施された文様までじっくり見たのは初めてだった。私に十分な観賞力があるとは思わないが、1日の大半を食糧の入手に費やしたであろう環境でも人間が美を希求していた事実に感動を覚えたのである。その点ではブラジル先住民の椅子も同じであった。

後者ではもう一つ、旧朝香宮邸の会場とその庭園を見たのも初めてだった。戦前の皇族の広い邸宅には感心するだけでもなかったが、それ自体の上品な美しさは十分感じた。多くの巨樹に囲まれた庭は庭園と呼ぶにふさわしいものだった。

目黒の通りには7日後の「さんま祭り」の飾り付けがもう一部始まっていた。目黒がもっと近ければ良いのにと思わぬではなかったが、遠い郊外の我が家で焼かれるさんまの味と何ほど違う訳ではないと強がった!

2018年9月1日土曜日

どこまでが人種差別か?

ジャカルタ・アジア大会で日本の男子400米リレーチームが大差をつけて金メダルを獲得した。各メンバーは何れ劣らぬ快走だったが、第4走者のケンブリッジ飛鳥の颯爽とした走りも印象的だっだ。彼はジャマイカ人と日本人のハーフだとか。しかし、4人の走者のうち2人さらには3人がアフリカ系ランナーとなったとき、我々は違和感なしにそれを日本チームと感じるだろうか?

日本チームでそうしたことが仮に起こるとしても遠い先のことであろう。しかし、オリンピックの100米走の状況を見ればアフリカ系ランナーの実力は圧倒的であり、すでに世界ではそうした混成チームは珍しくないだろう。陸上短距離走は極端な例だが、サッカーや卓球などいくつかのスポーツではヨーロッパ国代表と言いながら多人種のチームになりかけている。

ハーバード大学が学生の人種的多様性を維持するためアジア系入学希望者を差別しているのが問題となっている。勤勉なアジア系は成績だけで判断すれば学生の42%を占めるというので、大学はそれを19%に抑えているという ( 『朝日』9月1日 ) 。本来、ハーバード大学の入学資格は面接による人物考査が大きな要素を占めていたと聞くし、私立大学であるハーバード大学には入学資格を独自に決める自由はあるだろうが、米国の司法省がそれを人種差別と批判している。

経済的統合を手始めに政治的統合への道を着実に歩んできたヨーロッパ諸国は今、移民難民の大量流入を機に四分五裂の危機に直面している。難民への人道的対応に当初は各国も反対はしなかった。むしろ労働力として利用した側面もあったろう。しかし、「破綻国家」が次々誕生し、その国民が数十万人も自国に入国する事態にまで寛容であることは困難である。移民と難民の違いが判別困難になってきた新事態に「人道的対応」がどこまで可能だろうか。国境を閉じることが即、人種差別と言い切ることは困難である。