2018年6月24日日曜日

小笠原と沖縄

今年は小笠原諸島の返還50周年であり、6月23日は沖縄戦の犠牲者の「慰霊の日」だった。どちらも返還の交渉相手は米国だったが、その態様は大きく異なった。

1968年の小笠原返還は多くの日本人にとって寝耳に水だったのではないか ( 政府間では困難な交渉があったのだろうが )。元来、小笠原には日本人の来住以前に欧米系の住民が居り、戦後は彼らのみ帰島を許され、旧島民以外の日本人は返還を全く予想していなかったと思う。戦後の日本人が一部メディアの反米的な論調にもかかわらず基本的に親米だったのは、領土問題でのソ連の不当性と心の中で比較していたからだろう。

沖縄は事情が大きく異なる。戦略的重要性 ( 面積の広さや大陸との距離の近さ ) の故か、米国は容易に返還に応ぜず、返還が遅れたばかりか有事の際の核持込みや基地整備費の「密約」に同意させられた。後日、毎日新聞の西山記者により日米密約が明らかとなった時、政府は記者が女性関係を利用して情報を入手したと搦め手から反撃した。

主権者たる国民に真相を隠す密約が良くないことは言を待たない。しかし、米軍施政下の沖縄県民の苦しみを早期に改善することの緊急性は明らかであり、私はこの場合の密約を糾弾する気にはなれない。沖縄県民からすれば本土が早期返還のため秘密の出費をする事ぐらい当然だと感ずるのではないか。

辺野古移設の問題についても私は、普天間基地の兵力をそこに移すとの日米両政府の合意を聞いた時の安堵感を忘れる事ができない。代替基地の提供を拒む本土の自治体に沖縄の人たちが「差別」と感じるのは当然である。しかし、次善の策として数万の普天間市民が被っている危険や生活困難を第一に考える事が誤りとは思わない。

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