2018年6月10日日曜日

日本カメラ業界の大恩人ダンカンの死

昨日の朝日新聞の訃報欄にデヴィッド.ダンカン氏の名が載っており ( 他紙には無いようだ ) 、ピカソ撮影の米写真家とだけ紹介されていた (102歳 )。それは正しいのだろうが、私に言わせれば彼は日本カメラ業界の大恩人である。

米国の写真週刊誌『ライフ』のカメラマンだった彼は朝鮮戦争に従軍記者として参加し、その際愛用のドイツ製コンタックスに日本光学のニッコール・レンズを装着してその鮮鋭さに驚いた。コンタックスのゾナー・レンズとニッコール.とはほとんど同じ構成、つまりは模造製品だったので、本当に写りに違いがあったのか私はいま一つ納得できないが、『ライフ』の現役カメラマンの発言の効果は絶大で、以後日本製のレンズとカメラは世界の頂点に達することになる。

現在のところ世界の報道カメラマンはほぼ100%、ニコンとキャノンのカメラを使用している。ところが十数年前?、カメラ雑誌を見ていたらツァイス社でゾナー・レンズを設計したベルテレが日本光学に技術を盗まれたと考え、同社を許していないと知り、愕然とさせられた。戦後の数年間、日独の光学技術の差は大きく、当時の日本のニッカ、レオタックスといった35ミリ・カメラはライカとはネームの刻印が無ければ見分けがつかないほどソックリだっだ。

当時の特許法制が不備だったのか、敗戦国ドイツだから特許権を主張できなかったのか私には分からない。しかし、ドイツの天才設計者の怒りが正当なものであることは認めざるを得ない。ダンカン氏には何の責任も無いのであるが..........。

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