2018年6月29日金曜日

インフレ率3%の公約

安倍内閣のアベノミクスの評価と無関係ではないが、公約のインフレ率3%は内閣発足後いちども達成しないまま数年が過ぎた。企業業績が向上し賃上げも3%前後に達するのになぜ政府や日銀の期待は裏切られ続けているのか。

6月22日のテレビ東京のワールド・ビジネス・サテライト ( WBS ) はこの問題を取り上げ、1 ) ネット通販の普及、2 ) ドラッグストアの取り扱い商品の拡大、3 ) 高齢者の節約マインド を低インフレの原因と指摘していた。日経新聞を母体とする?テレビ局らしく一般紙にない具体的な指摘で、なるほどと思った。

「アマゾン効果」という言葉があるという。私自身はネット通販を利用しないが、書店の減少や宅配便の運転手の不足が社会問題になっていることは知っていた。私など現物に触れないで注文する気になれないが、便利さを享受する上に安価なら悪いとは言えない。

ドラッグストアが食料品に手を広げていることは知っていたが、「ウェルシア」の場合、売上高の三分の一が食料品になっているという。同じ物がスーパーより安ければインフレ率低下に寄与するだろう。老後の不安を抱える高齢者の「節約マインド」が同じ効果を生むことも納得できる。

私は低インフレの原因の4つ目として、自由貿易によるインフレ抑制効果が大きいと思う。肉類や野菜や果物などの輸入の直接的効果ばかりでなく、卵や牛乳など「物価の優等生」は飼料の輸入自由化無しには考えられないし、衣料品の現地生産化の効果は著しい。

私が恐れるのは、インフレ率3%が安倍内閣の公約だからといってこれ以上財政や金融の緩和を続けることの危険である。予測と違った公約を撤回することはカッコ悪いだろうが、負担を後の世代に先送りすることは公約違反以上の罪である。安倍首相は後世の評価を恐れるべきである。

2018年6月24日日曜日

小笠原と沖縄

今年は小笠原諸島の返還50周年であり、6月23日は沖縄戦の犠牲者の「慰霊の日」だった。どちらも返還の交渉相手は米国だったが、その態様は大きく異なった。

1968年の小笠原返還は多くの日本人にとって寝耳に水だったのではないか ( 政府間では困難な交渉があったのだろうが )。元来、小笠原には日本人の来住以前に欧米系の住民が居り、戦後は彼らのみ帰島を許され、旧島民以外の日本人は返還を全く予想していなかったと思う。戦後の日本人が一部メディアの反米的な論調にもかかわらず基本的に親米だったのは、領土問題でのソ連の不当性と心の中で比較していたからだろう。

沖縄は事情が大きく異なる。戦略的重要性 ( 面積の広さや大陸との距離の近さ ) の故か、米国は容易に返還に応ぜず、返還が遅れたばかりか有事の際の核持込みや基地整備費の「密約」に同意させられた。後日、毎日新聞の西山記者により日米密約が明らかとなった時、政府は記者が女性関係を利用して情報を入手したと搦め手から反撃した。

主権者たる国民に真相を隠す密約が良くないことは言を待たない。しかし、米軍施政下の沖縄県民の苦しみを早期に改善することの緊急性は明らかであり、私はこの場合の密約を糾弾する気にはなれない。沖縄県民からすれば本土が早期返還のため秘密の出費をする事ぐらい当然だと感ずるのではないか。

辺野古移設の問題についても私は、普天間基地の兵力をそこに移すとの日米両政府の合意を聞いた時の安堵感を忘れる事ができない。代替基地の提供を拒む本土の自治体に沖縄の人たちが「差別」と感じるのは当然である。しかし、次善の策として数万の普天間市民が被っている危険や生活困難を第一に考える事が誤りとは思わない。

2018年6月22日金曜日

地震と地盤沈下の差?

大阪府北部を震源とする地震の被害が報ぜられている。幸い、揺れは人口密集地を外れていたようで ( 幸いとは何を言うか!?)、大阪市や京都市の真下で起こっていたら被害はこの程度では済まなかっただろう。それでもブロック塀の倒壊など軽視されていた危険 ( プールへの人目を避けるためなら何故3.5メートルもの高い塀が必要だったのか?) に対して、地震多発国に住む以上早急な対策が望まれる。

ヨーロッパでもイタリアやバルカン半島などは地震多発国だが、中欧や北欧は地震皆無のようだ。NHKの『世界ふれあい旅』は毎回ではないが良く見る番組で、先日 ( 6月19日 ) はドイツのハンブルグの近くのリューネブルグという小都市を紹介していた。

エルベ川の支流に面するリューネブルグは600年前のクレーン ( 河川港で使用 ) が残っているように今次大戦による破壊を免れた古い町で、オランダとよく似たレンガ造りの建物が並んでいる。地震とは無縁だが、町の相当部分は塩水のくみ上げによる地盤沈下を経験している。

番組が訪ねた代表的な民家 ( と言っても3階はある ) は400年前のもので、地下水汲み上げのため毎年1ミリずつ沈下しているとのこと。したがってレンガを一部覆っている漆喰は塩害のためもあり5年毎に塗り替える。それでも地震による突然の被害と異なり、家主夫妻は心配している様子はなく、町と自宅に強い愛着を抱いていた。

自然災害に弱い我が国の家屋と比べて石造の町は恵まれているなと感じたが、こればかりは嘆いても始まらない。温暖な気候や豊かな水資源など日本を羨ましく思う国も少なくないだろう。災害の危険に一歩一歩備えるほかない。

2018年6月21日木曜日

善への協力を拒む自由

我が国のメディアでは報道されなかったと思うが、『東京新聞』の「本音のコラム」( 6月9日 )に、師岡カリーマ氏の「寛容という武器」との見出しの主張で私は知った。

氏によると、米国で同性婚のウェディングケーキ作りを宗教上の理由で断った菓子店を巡る裁判で、信仰の自由を訴えた店主が最高裁で勝訴した。同性婚どころか同性愛自体を犯罪とする国が少なくないアラブ人とのハーフである師岡氏はこれまで同性愛への同胞の偏見をただす努力をしてきた。

しかし、この裁判に関しては氏は「ケーキを作る店は他にあったはずで、作れないという人の感情を顧みず、差別禁止法を盾に強要するのは、かえって憎しみを増し、逆効果ではないか」と原告に批判的である。

私も師岡氏と同意見である。差別禁止法が存在する以上、裁判で是非を問うことは原告の権利である。しかし、反差別の行為といえども他人に強制するのは個人の自由への侵害であり、全体主義にも通ずるのではないか。200年前にフランスの思想家アレクシス・ド・トクヴィルが名著『アメリカのデモクラシー』で危惧した米国人の同調圧力は過去のことに成っていないのか。自由は善への協力を拒む自由も含むと考えるべきである。

2018年6月16日土曜日

久しぶりの新幹線

一昨日、昨日と1年ぶり ( 2年ぶり?!)で東海道新幹線を利用した。そんなに昔のことではないのにのぞみ、ひかり、こだまの急行料金が同じとは忘れていた。あいにく天候は今ひとつで富士山は見えなかったし、だいいち、山側の2列席はもうふさがっていた。今さら新幹線のスピードには驚かないが、道中、工場や中高層マンションが殆んど絶え間なく続き、この地方が南海大地震に襲われたらと多少の不安を覚えた。

もう25年前になるが、ジュネーヴからパリまでフランス版新幹線TGVに搭乗した。列車は途中から夜間走行となったが、驚いたことにパリに近づくまで灯火がない真っ暗闇の中を走り続けた ( 日本の新幹線では灯火が全くない夜景はトンネルの中ぐらいだろう )。圧倒的に平坦な地形と人口の少なさの故なのだろう (そもそも、駅が少なかった )。

日本の新幹線が造られるとき、航空機時代にそんなものが必要かとの声は少なくなかった。そのため私はリニア新幹線に疑問を抱きつつも反対と断言できない。

我が国のように国土が狭く人口の多い国向きの交通機関と当初は考えられたが、いまや世界各国で新幹線方式は拡大しつつある。航空機に比較して鉄道はエネルギー・ロスは格段に少ないはずで、戦後日本の世界的貢献の最たるものだろう( ウォークマンは廃れたようだし!)。当時の十河信二国鉄総裁や島秀雄技師長は日本国民からその貢献にふさわしい評価を受けているだろうか? 新幹線の車内で何人もの外国人を見ながら、退屈しのぎにそんなことを考えた。

2018年6月12日火曜日

われ、運転免許を更新せり!?

運転免許証は生年月日の1ヶ月前から更新できる。昨日がその初日だったが、雨天との予報だったので小金井の免許試験場に足を運ぶつもりはなかった。ところが、昨日は新聞休刊日でもあり、時間の余裕が生じ ( 持て余し!)  小金井に向かった。

これまでの自身の心理からも更新希望者は早くケリをつけたいと思うので、午後は閑散としていると予想したが、駐車場はガラガラでもなかった。申請窓口の係官は誕生日付けに目をとめ、よく今日来れましたねと感心してくれた。私も気付いていたが、今日この頃、実技をテストする教習所は何処も満杯なのである ( 皆さんもご注意を!)。

更新にあたり何の心配もないはずなのに、80歳台半ばともなれば視力その他、不安皆無とはいかない。しかし、関門をつぎつぎ突破?し、さらに1時間待って免許証を下付された。待つあいだ、講習を終えて集団で入室する初受領者の若者たちの大群に圧倒された。

しかし、新免許証を手にした途端、劣等感はウソのように消えた。3年後さらに更新できるとは思っていないが、電子的安全装備の日進月歩を信じたい!

2018年6月10日日曜日

日本カメラ業界の大恩人ダンカンの死

昨日の朝日新聞の訃報欄にデヴィッド.ダンカン氏の名が載っており ( 他紙には無いようだ ) 、ピカソ撮影の米写真家とだけ紹介されていた (102歳 )。それは正しいのだろうが、私に言わせれば彼は日本カメラ業界の大恩人である。

米国の写真週刊誌『ライフ』のカメラマンだった彼は朝鮮戦争に従軍記者として参加し、その際愛用のドイツ製コンタックスに日本光学のニッコール・レンズを装着してその鮮鋭さに驚いた。コンタックスのゾナー・レンズとニッコール.とはほとんど同じ構成、つまりは模造製品だったので、本当に写りに違いがあったのか私はいま一つ納得できないが、『ライフ』の現役カメラマンの発言の効果は絶大で、以後日本製のレンズとカメラは世界の頂点に達することになる。

現在のところ世界の報道カメラマンはほぼ100%、ニコンとキャノンのカメラを使用している。ところが十数年前?、カメラ雑誌を見ていたらツァイス社でゾナー・レンズを設計したベルテレが日本光学に技術を盗まれたと考え、同社を許していないと知り、愕然とさせられた。戦後の数年間、日独の光学技術の差は大きく、当時の日本のニッカ、レオタックスといった35ミリ・カメラはライカとはネームの刻印が無ければ見分けがつかないほどソックリだっだ。

当時の特許法制が不備だったのか、敗戦国ドイツだから特許権を主張できなかったのか私には分からない。しかし、ドイツの天才設計者の怒りが正当なものであることは認めざるを得ない。ダンカン氏には何の責任も無いのであるが..........。

2018年6月8日金曜日

朝ドラ『半分、青い』が面白い

NHKの朝ドラはこれまでもよく見ている方だが、4月2日スタートの『半分、青い』が久し振りに翌朝が待たれるほど面白い。前作『わろてんか』は吉本興業の女社長がモデルの一代記だったが、ヒロイン役の女優も可愛いだけだったし、ストーリーも一本調子の努力につぐ努力の物語で、意外性に乏しかった。

ご存知の方には余計だが、今回は岐阜県の小都市 ( 町?)の同じ日に同じ産院で生まれたヒロイン 鈴愛( 永野芽郁 )と相方 ( 佐藤健 )の物語。ヒロインの実家は小食堂、相方のそれは写真館で、両親同士も親しい。したがって同じ年に高校を卒業して男性は東京の西北大学!に進学し、ヒロインは実家の五平餅の味が気に入った人気漫画家 秋風羽織( 豊川悦司 )に認められ弟子入りする。現場は秘書 ( 井川遥 )と先輩の二人の若い男女のアシスタントだけの自宅兼オフィスでヒロインは修行することになる。

何が面白いかというと、以上6人の台詞のやりとり。ヒロインは天然キャラというのか、岐阜弁丸出しで思ったことを口にし ( 「やってまった」が得意の台詞 ) 、他の5人の台詞のやりとりも意表をつく面白さで毎回思わず笑ってしまう。今のところヒロインとヒーロー?はそれぞれ別の相手と恋愛中だが、いつか二人も収まるところに収まるのだろうか。

時代は1980年代の設定で、結末は予想するだけだが、作者北川悦吏子の台詞作りの巧みさは抜群。あと何ヶ月か楽しませて貰えそう。

2018年6月6日水曜日

森友問題の深層?

このところ新聞各紙とも財務省関係者の処分発表のニュースで紙面はあふれんばかり。すこし前には森友問題関係者への検察の起訴断念の報道があった。各紙とも基本的論調は事件への政権や官僚の関与批判で一致しているが、細部には違いもあった。

森友問題は大別して国有財産の不当価格での払い下げ疑惑と、官僚による公文書の隠蔽や書き換えの二つだろう。後者については隠蔽や書き換えが安倍首相への官僚の忖度や迎合に起因することは明らかになった。 政治家や官僚の責任の取り方が不十分だと考える人が多数なのは理解できる。

しかし前者に関しては、不当な払い下げ価格への政権や財務官僚の関与を犯罪として立件しなかった検察の判断の是非が未解決であり、検察審査会にはぜひ精査してもらいたい。大半のメディアが首相夫人の関与が決定を左右したように伝えるが、夫人の秘書の照会に対し近畿財務局の担当者は二回にわたり特別扱いの対象にはできないと回答している ( 6月4日の『毎日』の「風知草」)。それに対し当初挙げられた数人の与党政治家の照会 ( という名の圧力) がその後軽視されてきたのはどういうことだろうか。

森友学園への国有地払い下げは当初 ( 2013年夏 ) は「売却が難しい土地を担当者の創意工夫によって契約に持ち込んだ優れた取引」として表彰される可能性のある「優良業績」と見られていた ( 6月3日の同紙「深層 森友」)。ところが、学園側の「軟弱地盤」や「交渉長期化による損害」との言いがかりとしか評しようの無い「落ち度」指摘に迫られた。その際、「担当者をさらに苦しめたのが........国会議員や秘書からの照会の電話」だった。その意味では「最大の焦点は依然未解明」という ( 同 ) 。安倍首相と夫人の軽率さは目を覆うばかりだが、メディアのセンセーショナリズムが隠れた犯人たちへの追求を鈍らせないよう願いたい。


2018年6月5日火曜日

北関東一泊旅行 ( 続 )

今年の梅雨入りは例年より早そう。雨中の旅は好まないのでその前に近場に一泊旅行した。群馬県最北部の水上のさらに奥地の宝川温泉の一軒宿 汪泉閣は谷川に面した四つの露天風呂がよくテレビでも紹介され、最近は外国人客にも人気と聞き、一昨日訪ねた。四つのうち一つは女性専用だが、他の三つの露天風呂は混浴で、女性は頭から被る入浴衣を宿で借りる。

写真や映像で見慣れているので驚くことは何も無かったが、傍らのピンクの花ウツギが咲き、予想通りの心地よさだった。欧米人を数人見かけたが、アジア人は一見しても分からない ( 多分居なかった ) 。スウェーデン人男性と会話をしたが、私自身同国には一泊した事があるだけ ( 1980年代の日本と同国ではホテル代が違う上に当時のテレビはスウェーデン語放送しかなく閉口し、滞在予定を短縮 ) で、短い会話しか成り立たなかった。食事は相変わらず老人夫婦にはヘビーだった。

翌日、帰途に着きかけたら車で追い越しざま英国人の若夫妻と短かい会話をした。宝川温泉を大いに楽しんだとのことで安心したが、当方の英会話力もサビついたと感じさせられた。外国人旅行者の増加を反映して温泉宿内も帰路の「道の駅」も英語表示が目立った。

数年前だったら奥日光に回り東北道で帰京しただろうが、英会話力と同様に旅行意欲も確実に減退し、午後早くには帰宅した。天気には最高に恵まれていたのに........。