2018年1月28日日曜日

野中広務の生と死

自民党幹事長や小渕内閣の官房長官を務めた野中広務氏が亡くなり、新聞各紙が大きく取り上げている。各紙とも彼の権力政治家の側面とともに、晩年のハト派、護憲派の側面、「在日朝鮮人、同和、沖縄、ハンセン病などの差別問題に熱心な」(『毎日』)弱者の味方としての側面を紹介している。

私の同氏の印象は長いあいだ古いタイプの剛腕政治家であり、森喜朗内閣に挑んだ「加藤の乱」の鎮圧の中心人物として、むしろ不愉快な存在だった。しかし、彼が権力の座を離れてからメディアが、従軍経験に基づく彼の平和指向を指摘するようになり、意外の感を持ったことはこのブログにも書いた。

死者の悪口は言わない日本人の美徳も手伝ってか?、各党の政治家が彼を讃えているのは理解できないではない。しかし、当時の新聞が自民党内の派閥抗争と批判の対象としたものが「当時の自民党がいかに健全な多様性を有していたことか」(『朝日』) との評価に変わるのには、その変わり身の速さに目が点となった。野中氏が同紙が反対した「国歌・国旗法」の成立に剛腕をふるった事実  ( 『毎日』)に一言も言及しないとは.........。

私は野中氏が「弱者に寄り添うリベラル」( 同紙 )だったことを評価する。しかしその原点に氏が被差別部落の出身であった事実 ( 氏自身がそう言っている ) に言及する新聞が一紙もないことを不思議に思う。


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