2018年1月16日火曜日

理想の入試問題とは?

最近、大学教員と高校教員からなる協議体が、歴史教科書に載る人名などが多過ぎ生徒とくに受験生の過重負担になっていると指摘し、その削減を提言する方向と聞く。上杉謙信や坂本龍馬まで教科書から姿を消すとの危惧の声も挙げられている。私は現在の事象の理解も過去の事実との比較により深化すると考え、むやみな削減には疑問を感じていた。しかし.......。

この土曜日に実施された大学入試センター試験の世界史Bの問題に何年かぶりにチャレンジしてみた。回答時間数は不明だが私は40分を費やし、合計36問中21問しか正答がなく愕然とした。仮にも高校の世界史の教師を3年ほど務め、大学では約30年間出題にも関与したのにである。私が現役教師を離れて10年以上の間に記憶力が減退したこともあるが、何しろ聞いたこともない史実が問われていることの方が大きい。

問題自体はよく練られており、時代や地域にも偏りのない優れた出題である (出題者たちの苦労がしのばれる ) 。統計を読み解く「考えさせる問題」も一つだがある。歴史の出題となればどうしても史実の記憶が中心となるのは避けられないと思う。私はその効用を否定したくない。しかし........。

世界史に限らず全科目とくに英語や国語で長文の出題が目立つ。今回、どの教科かは分からなかったが配布される問題プリント ( 社会?)が小冊子としか見えなかったのも気になった。今後の傾向として資料を読み解く判断力テスト的な問題が多く出題されるようになれば質問文はさらに長くなるだろう。万事にテンポの速い大都会出身の受験生が地方出身の受験生より有利となることは考えられないだろうか?

暴論なのだろうが、出題問題が理想に近ずくほど大学間の格差は増大するのではないだろうか。そもそも人間の多面的才能はペーパーテストでは計れないとある地点で割り切らないと、入試問題はますます複雑化長大化する一方になるだろう。

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