2018年1月26日金曜日

不寛容の時代?

先ごろ、カトリーヌ・ドヌーブらフランスの女優や女性作家百人がセクハラ犯罪を取り締るのは良いが、口説き程度の行為を女性蔑視と糾弾し「社会的制裁」をくわえるのには反対だとの声明を出したことはご存知だろう。批判されて謝罪に追い込まれたらしいが、その後ブリジット・バルドーが自分の肉体的魅力を話題にされて悪い気はしなかったとの発言は一部のメディアでしか報じられなかった。

一昨日の東京新聞の投書欄に「人間味を欠く窮屈な時代」と題する46歳の女性の文章が載っていた。「戦時中と今の時代は大げさに言うと、何となく似ているような気がする」「戦時中は言いたいことが言えない時代。今は法律・規制に守られているが、窮屈な子ども時代の校則のような時代」と説き起こし、「確かに人権などの権利は守られているようだが、何となく曖昧の良さが許されない感じだ。理不尽さは減るが、人間味が感じられない」「ミスコンへの抗議にしても、綺麗な女性の強制的な集まりなら、その意見も分かるが、参加者が自主的に出ている以上、大人ならやんや言うことではないと思う」と結んでいる。直接にはミスコンにしか言及していないが、時期からしてドヌーブらの声明 ( とそれへの批判 ) に触発されたと想像して良いのではないか。むろん犯罪は厳しく罰せられるべきだし ( 最近わが国でもその方向の立法がなされた ) 、投書者も大目に見ろなどと言っていない。

米国を中心に女性、人種的マイノリティー、同性愛者などへの批判的発言に反対するPolitical  Correctnessの主張が拡大している。フランスとてもその例外ではないだろうが、同国はそれ一色ではないようだ。さすが、寛容の大切さを説いたヴォルテールの母国と言ったら言い過ぎだろうが。

自分たちはメイフラワー号に乗ってきた清教徒の子孫だという国家神話 ( 彼らは渡航者の一部なのに ) が支配する米国では、独立以前のニューイングランドの魔女狩りに始まり、第一次大戦後の禁酒法制、第二次大戦後のマッカーシーズムと極端に走る運動が絶えない ( 実は第一次大戦後の赤狩りの激しさはマッカーシーズムに劣らなかった。F.L. アレン『オンリー・イエスタデー』)。善は強制して構わないとのピューリタニズム的伝統は最近のキリスト教福音派にも流れているようだ。自分の信条が100%正しいと信じれば寛容の余地はない。何事によらず一色の風景は言論の自由との相性が良くない。

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