理由は色々あろう。自然科学関係の場合、最近は複数の受賞者が多いことも一因だろうし、今回の重力波の存在の証明のように巨大設備を建設できる国の研究者が有利な事情もあろう。平和賞の場合、佐藤栄作元首相のように平和国家日本の代表としての受賞の性格が強いだろうし、北朝鮮の金正日元主席のように実績というよりは将来への期待に過ぎず、無惨に裏切られたケースもある。
それに比べれば文学賞の場合、個人が徒手空拳、全くの無から創造した業績である。のちに裏切られることもない。それでもその初期にはヨーロッパ ( とくに北欧 ) の作家が有利だった。イプセンは良俗に挑戦したと見られて? 受賞しなかったが、同じノルウェーのビョルンソンの素朴な純愛小説 ( 戦前の新潮社版「世界文学全集」の『北欧三人集』に二篇 ) は高校生の私には心にしみたが、漱石や魯迅に比肩するとも思われない ( どちらもろくに読んでいないのに!) 。
いろいろ理屈をこねても一冊も読んでいないイシグロの受賞が嬉しいのは、やはり彼が日系人だからなのは否定できない。ハルキ・ファンには悪いが彼らも内心喜んでいるのでは? 来年を期待したい。
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