2017年10月29日日曜日

言葉や文字は文化遺産 やたら変えるな!

「その昔私は恋愛結婚をした。戦争で連れ合いを亡くし、苦労して夫と義弟を育てた義母との同居生活......」と今日の新聞の投書欄にあった。先の戦争で未亡人となったとは気の毒にと同情したら、「昨夏、夫は80歳、私は72歳になっていた」とあり、一瞬頭が混乱した。「連れ合いを亡くした」のは義母であると理解するまで何度か読み返した。

いつからか活字の世界で分かち書きが横行?するようになった。今日の投書も分かち書きでなかったら戸惑うことはなかった。文章をやさしくとの配慮かもしれないが、分かりにくくするのは改悪ではないのか。

記述の仕方ではないが最近は「真逆」という表現が支配的になってきた。昔から「正反対」という言葉があるのに。1字節約して何のいい事があるのか。『広辞苑 第4版』にも小学館の『国語大辞典』にも真逆など載っていない!「更なる」も辞典にはない。以前は「一層の」と言っていた。

言葉は生き物だとは理解している ( せざるを得ない )。戦争直後、「カナモジ会」という日本文から漢字を無くせ」と主張する会があったし、ローマ字表記にせよとの動きもあった。韓国や北朝鮮は漢字を追放しハングルだけにした。しかし漢字が元の語句の表記を変えて果たして理解しやすくなっただろうか?  

まだ、中国の都会の朝、自転車の大群が特徴だったころ、紹興の町で「会稽山公園」という看板が目に入り、ここが越王勾践と呉王夫差がしのぎをけずった攻防の舞台、「会稽の恥をそそぐ」の故地かと思い、中国に強い親近感を覚えた。日本語表記が仮名やローマ字化していたら果たして感慨を覚えただろうか。

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