2017年10月14日土曜日

日米関係のリアリズム?

知人に薦められ、矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』( 集英社インターナショナル ) を読んだ。

沖縄で米軍が事故を起こすたび、日本政府が形だけの申し入れをし、うやむやのうちに終わることを毎度繰り返しているが、矢部氏によれば日米地位協定をはじめとする日米間の取り決めはすべて当初から米軍に何の制約も課しておらず、米軍の地位に関する限り占領時代が今も続いている。私は法律の専門家ではないので氏の主張に反論するつもりはないし、事態は大体本書の説く通りに推移していると感ずる。

他方、本書によれば日本国憲法を始め昭和天皇の「人間宣言」などはマッカーサー司令部の起草した英文原案に多少の修正を加えたものに過ぎない。わが国の憲法学者たちはしきりに幣原氏らリベラル派政治家の戦争への反省の産物と説くが、それは事実ではない。したがって憲法第9条は米国製であり、改正すべしと主張する。

日本国憲法が基本的にマッカーサー司令部作成の英文をもとに作成されたことは今では何ら秘密ではないし、日本が東アジアで米国のライヴァルにならぬよう考えられていることは確かだろうが、昭和天皇の「人間宣言」までマッカーサー司令部製だったとは初耳だった。無血占領を実現して天皇の利用価値を再認識したマッカーサーが連合国に根強い天皇戦犯論を抑えるための方策が「人間宣言」だったのだろう。

それにしても、日米関係の現実を知れとの著者の指摘は鋭いが、「中道リベラル」と名乗る矢部氏はそれでは日本は具体的にどうすべきと考えるのか。氏は米国との交渉で基地を撤廃させたフィリピンを理想としているようだ。しかし、それが南シナ海のフィリピンの海洋利権を危うくしたとの説の正しさは即断できないとしても ( その後フィリピンの米軍基地は一部復活した )、中国本土から遠く離れたフィリピンと朝鮮半島と一衣帯水の日本との事情は同じではないだろう。

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