いつもは花に気を取られて目に止めなかった案内板によると、戦国時代の北条氏照のころ稲田の灌漑のため作られた池は、宝永と文化の二回の富士山の噴火で火山灰に埋れたが、農民たちが苦心のすえ灰を除去したという。私が注目したのは田圃の面積が7ヘクタール ( 7町歩 ) という点だった。7ヘクタールといえば現在の企業的農家の耕地面積としても最低規模ではなかろうか。
たった7ヘクタールの田圃を守るため火山灰と苦闘した農民たち。その貧しさもさる事ながら、その勤勉さを思うと頭が下がる。我々の中にそのDNAはあるのだろうか。
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