2016年5月28日土曜日

オバマ訪問の評価

オバマ米大統領が広島を訪問した。原爆投下の謝罪はしなかったが、原爆死没者慰霊碑に献花し、駆け足ながら原爆資料館を視察した。予想された数分の短い声明ではなく、17分間の長い演説をおこない、被爆者の代表とも短いながら言葉を交わした。

「71年前............」と彼が話し始めたとき、私はリンカーンの有名なゲッティズバーグ演説の「87年前.........」との冒頭を思い出した。オバマ氏がリンカーンの演説を意識していたとの証拠は何もないが、私には単なる偶然とは思えない。大変格調の高い文章だが、2分間とも伝わるリンカーン演説と比較してやや長すぎると感じた ( 長い演説を聞く間、緊張を持続するのは難しい ) 。それでも謝罪の言葉がない上に短くては日本に対して失礼との印象を与えると思ったのかも知れない。

謝罪の言葉がないのは物足りないと思う人がいてもおかしくないが、NHKの被爆者の要望調査によれば、資料館見学88%、慰霊碑献花81%、被爆者との対話58%であるのに対し、被爆者への謝罪の要求は14%だった。被爆者の怒りが小さい筈が無いが、訪問した米大統領が他ならぬオバマ氏であることが怒りを和らげた一因かも知れない。

かつてゴルバチョフがソ連指導者だったころ、訪日した彼に対しシベリア抑留者の代表が謝罪を迫りゴルバチョフが困惑していた場面を思い出す。抑留者の怒りはまったく正当だが、ソ連共産主義時代の不条理の数々を改めるため日夜努めていたゴルバチョフに対する謝罪要求は私には心ない行為とも映った ( すでに地位が弱体化していたゴルバチョフに譲歩は困難だった )。それと比較して今回の被爆者たちの寛容には頭が下がる。

いつだったか、加害国が「未来志向」を口にするのはおかしいとの被害国の批判を聞いて確かに一理あると思った。原爆問題では我が国は逆に被害国だが、戦争という複雑な現象の解釈に対しどの国も謙虚であり過ぎることはないと考えた方が良いのではなかろうか。

2016年5月23日月曜日

田中康夫を都知事に!?

舛添都知事の話題ほどマスコミ好みのテーマは無いようで、連日飽きもせずテレビでゲストを呼んでは舛添氏を肴に論議している。最近はやはり知事経験者をということか松沢成文氏や浅野史郎氏らが目立ったが、今朝のテレビでは田中康夫元長野県知事と岸博幸慶大教授が新しく参戦?していた。途中から見たので断定はしないが、どちらかと言えば岸氏の方が舛添知事に厳しかったようだ。田中氏が同情的とも言えまいが、舛添氏が外国語に堪能であることなど文化面が強みだと評価していた。

都知事の職務は多様だろうが政治や経済は自治体首長に出来ることはかぎりがあり、文化外交の比重が大きいだろう。私が舛添都知事に期待したのも巨大官庁の厚生労働省の長を大過なく務めた実績とともに、英仏語に堪能で五十余冊の著書 ( 内容は承知しないが ) があると聞く氏は来日する要人たちを迎えるホストとして適任だと思ったことがあった。絵画購入もそうした人たちと知事室や公邸で面談する際には確かに有用だと思った。細々とした版画を公費で購入とは知らなかった!
舛添氏に不満でもそれに代わる実績のある人物があるのかと思っていたが久し振りに田中康夫氏の顔を見たら氏も都知事候補たり得るとの突飛な考えが浮かんだ。何年か前、白骨温泉の一部の旅館が人工的に温泉成分を加えて問題となった際、証拠を隠そうとする人を走って追いかける田中氏に驚いた。そうした際、現地の首長はむしろ隠す側に加担するのが普通なのに。けっきょく白骨温泉は実力で立ち直ったが私は氏の正義感は本物だと確信した。長野県知事としての実績もオリンピック開催での大きな債務を六年で解消するなど私は高く評価する。県の公務員に負担を求めて不人気となり三選されなかったが、なあなあで財政再建が出来たとは思えない。いまは突飛と思われても..................。

2016年5月22日日曜日

訂正

「デルフトの眺望」の説明に空の部分が三分の一と書いたのは三分の二の誤り。単純ミス!!

「デルフト眺望」

昨夜のテレビ東京の「美の巨人」でフェルメールの「デルフトの眺望」を紹介していた。フェルメールは近年わが国でも人気の画家だが、作品群はほとんどが室内の人物画であり風景画は稀だという。「静謐」という言葉がぴったりの画風のフェルメールは自画像を一枚も残さず、その生活圏も洗礼を受けた新教会と死後埋葬された旧教会を含む半径500米以内という。それがまた謎めいていて関心を呼ぶ一因かも知れない。

番組では彼の絵画技法の説明もあったが私に分かるはずもない。私が「デルフトの眺望」に何と無く惹かれたのは画面の三分の一を占める空である。何ということもない青空に雲が浮かんでいるだけなのだが、何故か夏のヨーロッパを旅行していて車窓に見た雲を強く想起させた。今回初めて下三分の一の市街をゆっくり見たが、高層建築は教会だけという点は現在も変わらなかった。想像だが、フェルメールの絵が高層ビルの建設を許さなかったのか? そう思いたくなる珠玉のような町で、訪れる機会を逸したのが惜しまれる。

「美の巨人」は毎回一つの絵とその背景を丁寧に紹介しており好きな番組である。音声担当は小林薫。私の特別に好きな俳優ではないが、「美の巨人」で彼の音声が流れてくるとわくわくドキドキ、この人しかないと思えるのが不思議である。番組の最後に流れてきたポール・モーリアの「オリーブの首飾り」?が最近他の曲に変更されたのが残念である。せめて小林薫にはいつまでも音声を担当して欲しい。むろん番組そのものも。スポンサーのキリンビールさん頼みます!


2016年5月21日土曜日

東京偏重ニュースのいやらしさ

先日、東京の東武東上線で脱線事故があり、その日一日不通となった。夜七時のNHKニュースでは一番に取り上げ数分間 (  と感じた ) 放映されたが、東京以外の視聴者が一番に見たいニュースだったろうか。たしかに東上線利用者には最も知りたいニュースだったろうが、地震のニュースと同様テロップでも十分状況を周知させることはできる。死者も負傷者もゼロの事故を全国放送で一番に流す必要があったとは思えない。NHKのニュース室 ( ? ) の東京偏重の感覚の結果ではなかろうか。

『サンデー毎日』5月29日号に「内幕スクープ! 新国立競技場建設の「闇」 「舛添」都知事もう一つの重大責任   「神宮外苑」都有地 35億円 タダ貸しの「裏」」との記事が掲載されている。タイトル名だけで内容は多言不要だが、猪瀬都知事時代に有償で日本スポーツ振興協会に貸す筈だったのが、昨年末無償で貸すことに決め、約35億円の損失になるという。しかし、かつて名古屋市や大阪市がオリンピック招致に手を挙げたのは開催のためのインフラ整備も隠れた目的だったろう。35億円が少額だとは言わないし、まして舛添氏の公私混同問題は別に厳しく追求されねばならないが、東京オリンピックのための国費でのインフラ整備の工事費は35億円の100倍でも足りないだろう。東京都民以外の国民から見れば35億円の借地料の不請求は「タダ貸し」どころか当然のことだろう。ここでも東京のジャーナリズムのおごりが感じられる。

『サンデー毎日』編集長は東京都の「不透明な動き」というが、1月末に東京都の「オリンピック・パラリンピック特別委員会」で可決したのであれば「不透明な動き」ではないだろう。それとも編集長は自誌の記事を読まないのだろうか。時流におもねる記事は私には見苦しく映る。

2016年5月19日木曜日

強者と弱者

最近ひとにすすめられ五木寛之の『余命  これからの時間をいかに豊かに生きるか』( 祥伝社 2015)を読んだ。はるか昔、友人に大変面白いと薦められた映画を見たら、いつ面白くなるのかと思ううちに終わった ( 『ボタンとリボン』)。今回も、老人は高望みせず無暗に延命を願うなとの趣旨のようで、私も日頃考えていたことなので感銘を受けたとまではいかなかったが、「老いても元気な老年」など例外に過ぎず、老人になれば体力も知力も衰えると知れとの提言はわが身に照らしても十分納得できた。

都知事の高額旅費問題に関連してか、それ以前からかは知らないが、林文子横浜市長が海外出張に際し「仕事の厳しさと七十歳という年齢を理由に」ファーストクラスの航空便を使ったとして批判された。それに対し東京新聞の「本音のコラム」( 5月16日) で常連筆者の宮子あずさ氏 ( 看護師 ) が、「誰しも加齢とともに回復力が落ちる」「高齢者にも大きな仕事を任せるならば、今回のように、快適な移動や宿泊などさまざまな形でコストがかかる可能性がある」と林市長への理解を訴えている。宮古氏は評論家の吉武輝子氏の娘で40冊以上の著書のある看護師・随筆家の由。舛添氏への言及はないし、まして公私混同に寛大ではないだろう。ただ看護の専門家として黙ってはいられなかったのだろう。

京子氏は3月7日の同コラムにも看護師として「患者の暴力や暴言に直面してきた」として、「弱者とみなされる人が牙をむくと、こちらの反論は全て権威的とみなされる。そこだけみればどちらが強者かわからない」と記している。メディアはとかく単純に病院や病院勤務者を強者に分類し、患者やその家族を被害者と報道しがちでなかったろうか。どちらが強者でどちらが弱者かはケースバイケースのはずである。メディアは自分が真に弱者の味方なのかを常に再考しなければなるまい。

PS. 昨日東京で行われた女子バレーの試合でタイの監督が審判が公正でないと憤激しているという ( 『朝日』5月20日 ) 。私は見ていないので審判が正しかったかどうかは分からない。しかし、『朝日』以外の他紙がタイ側の不満に全く言及しないのは問題ではなかろうか。私も日本女子バレーチームにぜひオリンピックに出て欲しいし昨日の勝利を喜びたいが、これでは単純に喜んでいいものか。

2016年5月15日日曜日

エアコンはびっくり箱?

十数年前に購入した居間のエアコンが故障した。最近のものは電気使用効率が大いに改善されているとは聞いていたが、修理で済めばそれに越したことは無い。これ迄のエアコンは暖房は都市ガス利用だったので一応東京ガスに相談した。そしたら部品がもう無いので買い換える他なく、今なら電気店で冷暖房とも電気式のエアコンを買うよう勧めますと、独占企業らしい鷹揚な対応だった。

先々のことを考えて量販店より町の系列店 ( いまや存続が危ぶまれている?某電気企業の。その種の店が減っているのでやむなく ) と交渉した。いろいろな付加価値が付いている高級型は気が進まなかったが、フィルター自動掃除は付いていて欲しいとなると他の装置も付いてしまい結構な価格。以前に当ブログで電気製品は物価の優等生のようなことを書いたので世間知らずを恥じたが、家内が保存していた前回の領収書を見たら当時も同じ程度を支払っていた。

昨日取り付けてもらったが、取扱説明書を見たらリモコン画面の表示として室内室外双方の温度と湿度は驚かないが、今日/昨日/一昨日の使用電気代や月毎の電気代も分かるという。その他プラズマ空気清浄など余計なものが付くのは迷惑だが仕方がない。

今朝試しに運転ボタンを押した。最新型と言っても頭上から暖気が降りる型式だとダイニングキッチンの床設置のガス暖房 ( いわゆる床暖房ではない ) ほどの暖かさではなかったのは止むを得ないか。それでも部屋が温まり電源を切ったら頼みもしないのに使用電気代10円と表示され家内と笑ってしまった。今後どんな予想外の事が起こるか楽しみ!

2016年5月13日金曜日

都知事の効用

舛添都知事の高額な旅行費用と政治資金私的流用問題についての記者会見を見たばかりだが、内容がないし一時間半を過ぎても終わらず、途中で切ってしまった。

外国訪問のファーストクラス航空料金の高いのに驚いたが、私はビジネスクラスに格下げせよとも考えない。欧米の首都の高級ホテルの宿泊料の高さはある程度予想していた。われわれ庶民からすれば途方もない金額だが、私は例えばソウル市長の宿泊ホテルより下位のホテルに舛添氏が泊まるのは愉快ではない。黒岩神奈川県知事が高額すぎると批判していたが、都知事と同クラスのホテルに黒岩氏が泊まったらむしろ私は釈然としない ( 同行時は別 )。

政治資金の私的流用は別問題である。また、毎週金曜日午後2時半からの公用車による湯河原の別荘通いは褒められたものではない。回転寿司の料金も結構な金額のようだ。しかし、回転寿司は私もときどき利用するが、都知事も利用するのは悪い気持ちはしないし、秘書や運転手も加わって食事をするならば悪い風景ではない。金曜半ドンは初耳だが、石原前知事が週に3回程度の出勤だったと最近になって知った。怖い石原慎太郎だからメディアは問題にしなかったのか?

20年ほど前?、青島幸男氏が「世界都市博」の中止を訴えて都知事選に勝利した。そして公約を守ったのは私も大いに評価するが、その後の青島知事は見るべき業績もなく終わった。ユーモア作家の氏には海千山千の都官僚に反論することは不可能だったろう。知事職にはそれなりの素養や識見が必要だろう。私はその点で舛添氏が他の候補より適任だと判断して投票した。その意見は今でも変わらない。我々は知事に何を優先して望むだろうか。


2016年5月11日水曜日

オバマ大統領の広島訪問

オバマ氏が米国の現職大統領として始めて広島を訪問するという。「やっと」という受け止め方もあろうし、「遺産作り」の側面は否めないが、イランやキューバとの和解と同様正しい遺産作りと評価したい。彼に広島訪問を決意させたのにはキャロライン・ケネディ大使の熱心な働きかけがあったと聞くが、直接的にはケリー国務長官の広島訪問が反米プラカードでなく児童たちの掲げる各国旗で迎えられたことが日本の「謝罪要求」への米側の懸念を弱めたことが大きいだろう。

米国による広島長崎への原爆投下にはソ連への牽制を始め複雑な事情が指摘されているし、それらは当たっているだろう。他方、日本の終戦決断にもソ連の参戦がより大きく作用したと思うが、広島長崎への原爆投下がそれを促進したことは否めない。被爆者側に米国への謝罪要求があるのは無理のないことだが、ここでそれを持ち出すのは賢明ではない。

広島の原爆慰霊碑の「........、過ちは繰返しませんから」との銘文は日本語の特徴らしく主語がないので日本の過ちとも米国も含めた人類の過ちとも解せられる ( どう外国語に訳されているのだろう?) 。しかし私は建立当時の我々の受け止め方を回想して日本の過ちが主な含意だったと思うし、少なくとも米国の過ちを指摘したのではないと理解する。米国にせよ人類にせよ日本が「繰り返しません」と約束することはできないから。

加害国の米国が他国からの「謝罪要求」に過敏になるのはある意味で当然だが、われわれ日本人は米国に謝罪を求めるよりも「過ちは繰返しませんから」との当時の思いを大切にした方が賢明である。自国は悪いことは何も無いと信じている国々と同列になる必要はない。

2016年5月8日日曜日

敵の敵は味方?

トランプが共和党の大統領候補に確定したようだ。民主党でもヒラリーの勝利は間近いという。ニューヨーク州を除けば最近の民主党予備選ではサンダースが8連勝?していたのに敗北とはまったく納得がいかないが、投票によらない幹部票も計算に入るのがルールなら仕方がない。トランプとヒラリーでは常識的にはヒラリー有利と見るべきだろうが、両党とも棄権が増えそうだ。

トランプとヒラリーの争いならば私もヒラリーの勝利を願うが、世の中単純ではないらしい。トランプの「日本安保ただ乗り論」が日本による米軍への基地提供や駐留費負担を無視しているとしても、防衛費の対GDP比率が日本1%、NATO大国2%、米国3~3.5%とあれば一般の米国民が基地提供や経費負担の無視に傾くおそれ無しとしない。

米国が同盟国とくに日本や韓国やドイツを援助しない結果、それらの国が原爆保有に走ったとしても構わないとの発言はさすがにその後封印されたようだ。しかし米国 ( というよりも五大安保常任理事国 ) が他国の原爆保有をどれほど嫌うかを知る日本の保守世論の一部に、トランプ発言を新状況と期待する空気もあったようだし、それ以外にもトランプ発言への肯定的理解はあるようだ。

昨日の東京新聞によると、従来から激しい日米同盟批判で知られる元外交官の孫崎享氏は日米関係を考え直す良い機会として「トランプ氏はその主張を続けてほしい」と語り、前泊沖縄国際大教授はトランプ氏が「自分の頭で考えて素朴な疑問を呈していることは...........評価すべきだ」と語ったという。敵 ( 日米同盟 ) の敵 ( トランプ ) は味方ということか。

孫崎、前泊両氏が原爆保有に賛成ということではなかろうが、日米同盟を桎梏と捉える人としては不自然ではない。私としてもオバマ大統領までが日露の交渉に公然と疑問を呈するのは不愉快ではある。ロシアを中国の側に押しやって何の利益があるだろうか。

2016年5月7日土曜日

親日台湾を失望させるな

台湾漁船が沖ノ鳥島の近海で漁をしたとの理由で日本の海上保安庁が取り締まりを強めるのに対し、馬英九政権が漁船保護のため巡視船を同行させつつある。日台間の係争に発展させないよう双方が努めなければならない。

毎日新聞のコラム「木語」( 5月5日 ) に同紙の編集委員某氏が、うがった解釈を紹介している。それによれば馬総統が民進党政権に「難題を作り出して日台分離を図ろう」との陰謀説がある ( じじつ蔡氏も世論を考慮すれば日本を批判せざるをえない 。私も馬氏が大陸中国にいい顔をしたいのだろうとは思う ) 。しかしコラム筆者によれば別の説もある。南シナ海問題でフィリピン政府は「南沙諸島に島はないし、岩しかない」と主張するが、台湾は同諸島中の最大の「太平島」(51ヘクタール)を実効支配し、馬総統も訪問したことがある。つまり、「敵は本能寺にあり」で、馬氏の真の目的はフィリピン牽制であるという。ただしコラム子も断定してはいないようで、馬氏は南シナ海を領海視する中国の伝統的主張に従っているだけかもしれない。

沖ノ鳥島に話を戻せば、国連海洋法条約では「満潮時に水面上にあれば島」で面積は関係ないとする条文とともに、それと一見矛盾する「人が居住できない岩はEEZ ( 排他的経済水域 ) を有しない」との条文もあるという。前者に依るとしても沖ノ鳥島は近年しだいに標高を失っており、構造物なしではやがて水中に没するだろうし、後者によれば我が国は他国の漁船を排除できないはずである。じっさい映像で見る限り岩にしか見えない。これでは南シナ海での中国の埋め立てを非難できるとは思えない。

アジアに日本に好意を持つ国は少なくないと信ずるが、中国との経済関係を第一に行動しがちである ( オーストラリアも!)。その点で台湾は中国との経済的繋がりが飛び抜けて強くとも親日的な貴重な友人である。漁業資源も地下資源 ( レアアースの埋蔵の可能性 ) も大事でないとは言わないが、民主主義を堅持する第一の親日国との関係を損なって良いほど日本の領土主張は異論のないものではない。

2016年5月3日火曜日

元ハンセン病患者の日常

今年のゴールデンウィークは前半が好天と聞いたので、急きょ東京に一番近い静岡県某市にやって来た。翌朝、NHKの「小さな旅」の「東京調布市  湧き水の恵み豊かに」を見ようとしたら、同地ではNHK名古屋と静岡の両局の共同制作の「ハンセン病元患者のいま (  国立駿河療養所 )」の放映だった。

富士山が大きく迫る療養所に住む大岩さんは変形した右手が使えず左手で食事を作るが、他人と会う時はどうしても右手を隠すという。週一回スクーターに乗りスーパーマーケットに出かける姿は写ったが買い物の場面は写されなかった ( スーパーとしては元患者が出入りする店とは知られたくなかったのだろう )。

明治40年から続いた隔離政策のため設置された駿河療養所はもっとも患者が多かった昭和31年には471人が収容されていた。今年、入所後58回目の春を迎えた大岩さんには其の間家族の訪問は一度もなかった。入居後、職員に「名前を変えますか」と聞かれたが大岩さんは拒んだ。

平成6年、隔離政策は廃止されたが、療養所を去った人は僅かで、9割以上が残留した。入所後「希望が無かった」大岩さんの今の生き甲斐は野菜作りで、片手で何とか耕運機を運転する。「国から面倒を見てもらっているという弱みを感ずる」ので、出来た野菜を仲間に分けることで「仕事を
して生活できて幸せ」と感ずる。

入所者の平均年齢は83歳にもなった。大岩さんの希望はハンセン病の歴史が忘れられないようにして欲しいということである。所内の納骨堂には ( 引き取り人のない?) 骨壷がずらりと並んでいる。大岩さんの遺骨もここに並ぶことだろう。

この番組はいつか中部地方以外でも放映されるだろうか?  ハンセン病患者の苦難 ( 現在も終わっているようには見えなかった )を報道することは大変有意義だと思うのだが..........。歴史 ( 過去 )を知れば現在をよりよく理解できるとはよく言われるが、逆に現在を知れば過去が見えてくるというのも真実ではなかろうか。