裁判所の庁舎外で開く特別法廷は例外的に認められており今回は、当時、規則にある「裁判官会議」を開かずに「伝染の恐れを理由に」特別法廷を開催したことが差別とされるという (『毎日』)。私は医療刑務所や療養所で法廷を開催したのは「伝染の恐れ」とともに患者の家族を含む関係者が内情が公開される可能性を危惧したためではないかと推測するが、正規の手続きが省かれたのであれば批判は止むを得ないと思う。だが、家族の損害賠償の請求には子息を除き違和感がある。
戦前から戦後にかけて誤った医学知識 ( 病気の感染力の過大視 ) のためハンセン病患者に隔離政策がとられた。その政策の是正が諸外国と比較しても大幅に遅れたため、患者本人には国家賠償がなされたと聞く。しかし私の乏しい記憶でもハンセン病への恐怖は大きく、強制隔離は患者の家族の密かな要望でもあったろう。冷酷なようでも、親族とくに患者の兄弟姉妹が厳しい差別被害に会うことは確実であった当時、親としてはひたすら事実を隠し、事実上親子の縁を切ったのはやむを得なかったろう。誤った医学知識が是正され隔離が誤りであったとされる現在でも施設に残る旧患者が多いのは高齢ということもあろうが、家族関係の再建がいかに困難かを示しているだろう。
それにしても強制隔離の根拠となった「らい予防法」の廃止が我が国で大幅に遅れたのは、「らい患者の父」と呼ばれた光田健輔氏の存在が大きかったようだ。医学知識が誤っていた時代の氏の隔離提唱を現在の知識で批判するのは「非歴史的」な誤りである ( それがいかに多いことか!)。しかし、医学知識が改まった時期まで隔離にこだわったのは頑迷と言われても仕方がない。それにしても氏の死まで隔離政策を批判しなかったメディアの「学界の権威」への盲従がそれで免責されるわけでは決してない。