2016年3月30日水曜日

ハンセン病対策の遅れを考える

ハンセン病患者への過去の差別に対して患者の家族数百人が、隔離政策をとった国に一人当たり500万円の損害補償と謝罪を求めている。また今朝の新聞によれば最高裁の ( 依頼した?) 有識者委員会が犯罪を犯した患者の裁判を、隔離された「特別法廷」でおこなった事実を差別的な措置だったと指摘する方針だという。

裁判所の庁舎外で開く特別法廷は例外的に認められており今回は、当時、規則にある「裁判官会議」を開かずに「伝染の恐れを理由に」特別法廷を開催したことが差別とされるという (『毎日』)。私は医療刑務所や療養所で法廷を開催したのは「伝染の恐れ」とともに患者の家族を含む関係者が内情が公開される可能性を危惧したためではないかと推測するが、正規の手続きが省かれたのであれば批判は止むを得ないと思う。だが、家族の損害賠償の請求には子息を除き違和感がある。

戦前から戦後にかけて誤った医学知識 ( 病気の感染力の過大視 ) のためハンセン病患者に隔離政策がとられた。その政策の是正が諸外国と比較しても大幅に遅れたため、患者本人には国家賠償がなされたと聞く。しかし私の乏しい記憶でもハンセン病への恐怖は大きく、強制隔離は患者の家族の密かな要望でもあったろう。冷酷なようでも、親族とくに患者の兄弟姉妹が厳しい差別被害に会うことは確実であった当時、親としてはひたすら事実を隠し、事実上親子の縁を切ったのはやむを得なかったろう。誤った医学知識が是正され隔離が誤りであったとされる現在でも施設に残る旧患者が多いのは高齢ということもあろうが、家族関係の再建がいかに困難かを示しているだろう。

それにしても強制隔離の根拠となった「らい予防法」の廃止が我が国で大幅に遅れたのは、「らい患者の父」と呼ばれた光田健輔氏の存在が大きかったようだ。医学知識が誤っていた時代の氏の隔離提唱を現在の知識で批判するのは「非歴史的」な誤りである (  それがいかに多いことか!)。しかし、医学知識が改まった時期まで隔離にこだわったのは頑迷と言われても仕方がない。それにしても氏の死まで隔離政策を批判しなかったメディアの「学界の権威」への盲従がそれで免責されるわけでは決してない。

2016年3月28日月曜日

理想と現実

シリア政権軍がパルミラ遺跡をISから奪還した。ブリュッセルでのテロ事件に際して、ISがシリア・イラクで劣勢になった結果代わりにヨーロッパの都市でのテロを強化したとの説明が聞かれたが、それは正しかったようだ。そうだとすれば、ISの中心のリビアへの移動との情報は無視はできないが、中東での戦火の沈静化の希望はやがては期待できそうだ。

異教徒や異端派の女性の奴隷化など21世紀の出来事とは思えない所業を公然と犯しているISやボコ・ハラムの撲滅には世界の国々の協力が必要だが、空爆だけで完全制圧は期待できず、地上兵力の投入の重要性は明らかである。そして米国もNATO諸国もそこまで深入りする用意がない以上、実際にはシリア政権軍、クルド人勢力、イラク・シリアのシーア派兵力の三者しかIS打倒の担い手はいない ( 穏健反体制派にはその力は無い ) 。苦い結論でも世界はそれを受け入れる他ない。

クルド人が一貫してISと戦って来た以上、彼らの国際的地位の向上は抑えられない。もともと、人口3000万人と言われる民族が国家を持たないことは不自然であり、ISらイスラム過激派の打倒の暁にはクルド人の自立要求を世界とくにトルコ、シリア、イラクは認めるべきだろう。

ISが中東で打倒されても西欧内のイスラム教徒とりわけアラブ人の反抗は止まないだろうし、それがテロという形を取る可能性は少なくないだろう。「他文化との共生」は理想だが、それを唱道してきた人たちは風俗習慣から宗教に至る文化的隔たりの根深さを十分認識していなかったと言わざるを得ない。現実を踏まえない理想主義はトランプやルペンや「ドイツのための選択」派に太刀打ちできるだろうか。

2016年3月23日水曜日

『福翁自伝』を読む

新聞の読書欄 ( 『読売』3月13日 )で某氏が福沢諭吉の『福翁自伝』の面白さを指摘していたので、手にしてみた。諭吉については種々のエピソードや発言はこれまで聞かぬでもなかったが、恥ずかしながら著作の一冊も読んだことはなかった。考えてみれば、一代で二世 ( 封建の世と近代の世 ) を経験した ( 諭吉自身の言葉。ただし大意 ) 彼の自伝が面白いのは当然かもしれない。

彼の他の著書を読んでいないのにおこがましい限りだが、私の知っているエピソードや発言のかなりの部分が『自伝』に由来する?ことを知った。「門閥制度は親のかたきでござる」と骨身に感じた幼少期から、長崎や大阪 ( とくに後者 ) での猛烈な蘭学修行。それがひとたび横浜を訪ねて英語の圧倒的力を知り、ただちにオランダ語から英語に修行目標を切り替えた変わり身の早さ。渡米と渡欧の二つの幕府の使節団に加わって赤ゲットぶりを発揮した経験 ( それでも蘭学者の彼には機械など物質文明については説明不要だった ) 。米国で初代大統領ワシントンの子孫の消息を誰も知らず、民主主義の意味を理解したこと、米国の少女と写真に収まって羨ましがられた話なども自伝に ( にも?) 述べられていた。

上野の彰義隊に対する官軍の攻撃 ( 指揮する大村益次郎は昔の蘭学仲間の村田蔵六 ) の砲声を聞きながら義塾の授業を続けたエピソードを私は学問や教育への諭吉の信念の現れと理解していた。それも誤りではないだろうが、彼自身自分を行動の人とは考えなかったこと ( 自分は「診断医」であり治療医ではないとの彼自身の譬え ) も大きいようだ。また、徹底した欧化主義者の彼が攘夷主義の官軍に好意を抱くはずもなく、他方、開国を実行した幕府側も本心は攘夷主義だと見抜いていた彼には、どちらの味方をする気にもなれなかったという。

近年、諭吉の朝鮮や中国への「蔑視」がしばしば指摘されているようだ。本書でも「いまの朝鮮人、支那人、東洋人全体を見渡したところで、航海術を五年学んで太平洋を乗り越そうというその事業その勇気のあるものは決してありはしない」と欧化主義者の面目を発揮している ( 明の鄭和の大遠征を知らないのは仕方ないか!) 。私は当時の清国や李氏朝鮮の現状への批判として十分理解できると考える ( 一冊読んだだけでまた何を!)。

P.S.
前回、「南房州の実家が.........艦砲射撃を受ける」と 書いたが、「実家のある南房州が.......艦砲射撃を受ける」の誤り ( そのぐらい訂正しなくても分かる。大邸宅でもあるまいし?)。

2016年3月22日火曜日

山中の鉱山跡 訂正と補足

昨日のブログで秩父鉱山を過去のものとして紹介したが、インターネットによると金属採掘事業は廃止されたが石灰岩と硅砂の採掘は続いているとのこと。住民は犬と住む会社OB一人とのことなので、通勤の従業員でほそぼそと採掘されているのだろう。住宅街は廃屋だが私が見たのはその一部だけだったようだ。それにしても奥へと続く道は無かったと記憶する。今は群馬県側からはいるのか?

親戚一家としたのは叔父一家のこと。誰もが自分たちの生活で手一杯だった終戦前後は近い親戚でも連絡を取り合うことは稀で、記憶に確信が持てず曖昧な書き方をした。昨夜従妹に確認したら時期は終戦を挟んだ一年足らず。南房州の実家 ( 私にとっても ) が米軍の艦方射撃を受ける( 受けた?)ので、叔父の勤務する秩父山中に疎開したとのこと。子どもの教育環境など考える余裕など無かった時代は不幸なのか幸福なのか!

2016年3月21日月曜日

山中の鉱山跡

昨日の『東京新聞』に、「秩父鉱山  にぎわい伝える」「3000人が暮らした街  写真と証言」という記事が載っていた。アマチュア写真家?が著した『写真と証言でよみがえる秩父鉱山』(同時代社)にかこつけた記事だった。

現場は秩父地方の主邑秩父市から中津川を遡った長野県境に近い最奥の山中で、木造の鉱山住宅が若干残っているが、現在はここに3000人が住んでいたとは到底思えない狭い斜面である。私は北海道の美唄炭坑の無人の炭住街を訪ねたことがあり、やはり寂寥感は否めなかったが、無人の鉱山跡の寂寥感はひとしおである。中津川渓谷は紅葉の名所として関東では多少は知られている。私が最初に訪れた時も主に紅葉見物のためだったが、親族の一家が戦後すぐごく短期間済んだとは聞いていた。

親族一家は戸主が地質鉱物学科の出身で日窒鉱業 ( 現チッソ? ) に入社し、現在の北朝鮮のダム建設の地質調査のため一時期ソウルに住んでいた。戦後は同社の秩父鉱山に短期間勤務したが、のち商社に移り東南アジアのダム建設のための調査に従事した。

再度わたしが秩父の現地を訪れた時は鉱山跡の訪問が主目的だったが、険しい山中の半ば朽ちかけた住宅地には足を踏み入れることさえ困難で、遠望 ( というほどの距離ではないが ) しただけだった。戦後の日本では戦前から続いた多くの鉱山が海外との競争に勝てず閉山となったが秩父鉱山もその一つだった。今ではその記憶を持つ元住民さえこの世を去るか去りつつある。『荒城の月』の岡城跡ほどドラマチックな遺跡ではないが、史実の一端を知るものとしてその次第を紙碑として残しておきたい。

2016年3月15日火曜日

「民主党」よ さらば?

民主党と維新の党は昨日、合流に伴う新党名を民進党とする方針を決めた。私は仮にも20年間掲げてきた民主党の党名を変えることには賛成ではなかったが、党員でも党友でもないので、そうですか以上のことを言う資格はないのだろう。

岡田代表をはじめ民主党名を捨てたくない党員は少なくないだろうが、世論調査で決めると約束したからには今さら「民進党」への反対はむづかしかったろう。まして「民主党支持層」でも「民進党」支持が多かったとあればお手上げだろう。そもそも政党にとって大事な党名を世論調査で決めるなど、他人任せもいいところだった。国民の信頼をこれほど失っていたとはと驚く幹部もいるとか。メディアの世論調査で内閣支持率が下がろうとも政党支持率で自民党に5倍の大差 ( 『朝日』)をつけられて居たことへの反省が不足していたと言うほかない

これほどの国民の不信は何よりも政権担当時に消費税上げ問題で小沢一郎氏らの反対を受け、長い間決められなかったことが大きい。政党は討論クラブではない。党内で少数意見の尊重を守るには限度がある。反対があるからといって方針を決められないのでは不信を買うのは当然だった。国民は悪い政府よりも無能な政府に苛立ちを覚えるものである。

とはいえ政権交代の無い議会政治は健全ではない。新しい党には台湾の民進党にならって元気になってもらいたい。いっそのこと同党の正式名「民主進歩党」、略称民進党としてはどうか!?


2016年3月11日金曜日

自然の恩恵と猛威

家の裏の土手の片隅にほんの少しだがフキノトウのとれる場所がある。最近は数個程度の収穫で、今年も十日ほど前にはいじけた葉があるだけで完全消滅かと思った。ところが今日見回ったら、わずか五本だが既に食用に向かないほど成長していた。今春はもう期待できるかどうか。油断だった。

フキノトウほど収穫時期が微妙ではないが、裏の敷地内に背丈ほどのタラの木があり、毎年確実に二回分の天ぷらの材料のタラの芽が収穫できる。前年の冬は温州蜜柑の収穫はなぜか30個に満たなかったが、今年は450個ほど取れ、隣近所四軒にもお裾分けした ( 何しろ丸見えなので!)。予測不能は自然の特質なのか!

今日が東北大震災五周年ということで新聞の紙面はそれで半ば占領されている。地震も津波も人智を超え予測不可能のようで、またしても寺田寅彦の偉大さを知らされた。我々に今できることは確実に来る自然災害に備えることだろう。そこには間接的だが原発事故も含まれる。

原子力工学に無知な私には原発反対に踏み切るべきかはわからないが、少なくとも古くなったものや都会に近いものは廃止が賢明だとは思う。五年前米国は福島原発から70キロ以内の自国民の退避を考えた ( 実行した?) ようだ。じじつ核燃料プールの燃料の爆発が回避されたのはかなりの幸運も手伝っていたとも聞く。京都が福井原発群から70キロ以内か以外かは知らないが、今や人気世界一の観光都市となった京都が放射能に汚染されたら文化的損失は言うまでもなく、我が国への経済的打撃ともなるだろう。

核燃料プールに放水するヘリコプターの画面は何度も放映されたが、それだけでは不十分であり、自衛艦が牽引する二隻の給水船 ( バージ ) が原発直下に決死の覚悟の接岸をした様子が数日前のテレビで紹介された。私は再度放映して国民に周知して欲しいと思った。自衛官なら外敵から国を守るための決死の行動は覚悟しているだろうが、原発事故でそうした行動を強いられることは無いようにすべきであろう。

2016年3月7日月曜日

物価の相対性

一昨日の土曜版beの「買い替えたい家電」ランキングによれば、1位から5位まで、冷蔵庫、電子レンジ、エアコン、洗濯機、炊飯器の順だった。利用頻度に大方比例しており納得できた。薄型テレビも上位と予想したのだが、20位にも入っていないのは意外だった。ここ数年のうちに新規購入した人たちが多かったせいだろうか。コンバーターで旧型を使用する人は稀だったようだ。

新製品は使い勝手や消費電力で改良されているとの意見と、まだ使えるのに修理不能との理由で新製品を買わされるとの意見はどちらも消費者が感じているところだろう。メーカーが主張する部品保管期限十年は身勝手であり、やたら新製品を出すからそうなるのでは?  同じ会社のカメラの新型はリチウム電池が変わっており、サービスステーションの係員は小型化のための止むを得ない進歩だと頭を下げた。

「価格については、昔に比べて安くなったという声が目立った」という。同感である。確かに洗濯機を買い換えた時昔より何倍も高いのに驚いたが (それほど長く使った!)、購買者の収入と比べればそう言えそうだ。長く日本の大衆車の代表だったカローラは1966年?の発売時は40万円台だったが、それは当時の大学新卒者の平均年収を超えていたと思う。当時と同程度の大衆車 ( 冷房などない )なら現在は年収の半分程度で買えるだろう。薄型テレビに至っては激安と言ってよく、家電メーカーが気の毒になる ( だから倒産もするし、海外生産が当たり前になった )。

19世紀のフランスでは男性のスーツは高価であり、古着で我慢する人が多かったようだ。我々はコナカや青木やユニクロに感謝すべきなのか? 後者については浜矩子氏の「ユニクロが日本を滅ぼす」との主張 (  数年前の『文春』の論文 ) も一理あると思うのだが。

最近十年、二十年間、勤労者の平均年収は低下しているという。恐らくその通りだろう。しかし、他方で衣食住のうち衣食はむしろ価格は低下していると思う ( ワンコインで買える弁当は数多い ) 。食材を世界から入手していることも無関係ではないのだろう。メディアを信じれば国民生活は常に窮乏していると思いたくなるが、夕方のテレビは各種の美食番組で持ちきりである。

2016年3月4日金曜日

アベノミクスの評価?

自動車の自動運転 ( 矛盾してる?)が最近話題になっている。それでは運転の楽しさはどうなるのだと言いたいが、身障者や老人などで移動の必要に迫られた人たちに心強い味方なことは間違いないだろう。

今朝のNHKニュースでタクシー業界やバス会社で運転手不足を解消するため自動運転への期待は大きいと紹介されていた。私などあらゆる場合に対応する技術的困難から自動運転に懐疑的だったが、コースの限定されるバスやタクシーから実用化は進むだろうとの研究者の指摘に成る程と納得した。

しかし気になったのはバス会社でもタクシー業界でも運転手不足に直面しているとの事実だった。バブル経済の崩壊後、職を失った人たちがタクシー業界に運転手として多く雇用され、安全弁として?貢献したが、そのため運転手の収入が大幅に低下したと聞いていたからである。

アベノミクスは目標の物価上昇 ( 2%のインフレ ) はとても覚束ないし、勤労者の所得の上昇もそれほどでないことも事実だろう。経済の専門家で無い私にはインフレが望ましいとの論には半信半疑だし、勤労者の所得はもっと顕著に上昇して欲しいが、各業界で人手不足が生じていることは素晴らしいことだと思う。自分が失業者だったら人手不足は自分の交渉での立場 ( bargaining power ) を確実に高めるはずだからである。その程度のことで現在の経済格差が無くなるわけではないが、方向として ( 方向性などと言って学問的になったなどと錯覚するな!)改善の方向ではあるし、何より求職者の選択の自由を拡大するはずだから。アベノミクスの最終的評価はまだまだ何とも言えないが、安定した職についている人たちのアベノミクス批判には共感をためらう。

2016年3月3日木曜日

病院今昔

数年前の胆嚢胆管手術以来、その病院に痛風予防の薬をもらうため月一回通院している。ところが一ヶ月近く前、左下腹部に軽い痛みを感じ、周囲が熱っぽくなった。さいわい十日足らずでおさまったが、担当医に一応その旨告げたら念のため大腸検査を勧められ、昨日検査を受けた。

CT検査のため造影剤を注射することになり、血管が見えにくい体質のため自分から申し出て見えやすい手の甲から注入した。注射後看護婦が痛くなかったかと聞いたので、腕への注射と変わらなかったと答えた ( これは本当 )。つい図に乗り本当に注射したのかとからかったら、直後は爆笑した彼女が急に真剣な表情になり、同僚に針の刺さった私の手を見せた。医療紛争への警戒がそうさせたと私は理解した。

学生時代の盲腸炎手術以後、数年前の手術は久し振りだったが ( 入院は経験 )、病院側の配慮 ( 警戒心と言っても同じ ) は格段に強まったと感じた。。手術前の同意書の提出から事前の各種の検査、検査前の患者本人の確認の徹底、手術前後の呼吸訓練、術後の早期の歩行訓練まで以前とは様変わりの印象だった。

CT検査だけと思ったら「透視検査」とかで腸にバリュームを注入され機械の上で何度も反転。あまりの念入りさに何かを発見したのかと不安になった。けっきょく無罪放免され、ホッとしたが。

最近、血液検査で殆どのガンが発見できるとの記事があったが、その後、続報がないので過大評価だったのだろう。高価な検査機械 ( 装置と呼びたい ) を導入した病院はもし本当ならどうなるのか。病院としては進歩を単純に喜んではいられない気持ちだろう。患者としては喜ばしいが.........。

2016年3月1日火曜日

訂正

昨日のブログの『逝きし世の面影』の著者渡辺京一氏は京二の誤りです。

米国の「ダイナミズム」

半世紀前に読んだ時事英語のテクスト ( 新聞記事を編纂したもの ) に、英国の列車内の出来事の記事があった。旅客の一人が持ち込んだ犬の行儀が悪く周囲はうんざりしていたが、だれも苦情を口には出さなかった。ところが途中から乗り込んできた米国人が、騒ぐ犬を車窓から放り出してしまった。真偽のほどは知らないが、良くも悪くも米国人の果敢な行動力を示す挿話だった。

米国大統領選の行方はまだ読めないが、昨日の『東京新聞』の関連記事は末尾に、誰が選ばれてもヒラリーなら初の女性大統領、トランプなら初の実業家出身大統領、サンダースなら初のユダヤ系大統領、ルビオやクルーズなら初のキューバ系大統領だと指摘していた。オバマが黒人初の大統領であることは言うまでもない。やはり米国のダイナミズムを示す事実だろう。

丸山和也参院議員の発言が非難されている。オバマ大統領を例に挙げて「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」と発言したという。オバマは奴隷の子孫ではなく、粗雑な発言だが、文脈からすれば米国のダイナミズムを強調したかったと読める。丸川議員や島尻沖縄・北方担当相に続いての失言だったので野党の好餌になったが、本質的に差別発言ではなかったと思う。

野党側も中川正春元文科相が、甘利氏に続いて「首相の睡眠障害を勝ち取りましょう」と発言してのち取り消した。安倍首相が「人権問題だ」と怒ったのは大人気ないが、与党議員の失言をしつこく質問され立腹した後だったようだ。それにしても中川氏の発言は自党の代議士会での発言なら品位はともかくとして問題視するほどのものではないと思う。

エリザベス女王の曾孫の名前を日本の動物園の猿の子?に付け、非礼だと非難の声が挙げられたが、当の英王室も国民も意に介さなかった。今回、オバマ氏も米国民も格別の反応を示してはいないようだ。粗雑な発言で不快ではあっても一議員の発言を取りあげるのは大人気ないと感じたのだろうか。

米国民主党の討論会で他の大統領候補たちがヒラリーのメールの「不正使用」に批判を集めたのに対し、サンダース候補がもっと大きな問題があるはずだと呼びかけ、ヒラリーに感謝された。私はいっぺんにサンダース氏が好きになった。