2015年1月14日水曜日

decencyの回復を!

英語にdecencyという単語がある。品位、礼儀などのどの一語に訳すのも難しい言葉だが、その形容詞のdecentと共に私の好きな言葉であり、人間としてぜひ持って欲しい特性である( 私がそうだと言っているのではない! )。現在のアルジェリア系フランス人と土着フランス人の軋轢の根には双方の側にdecencyが不足していると感ずる。

フランスにはアルジェリア系ムスリムだけでなくモロッコ、チュニジアなどからのムスリムもいる。両者の違いはアルジェリアの独立が他国よりも激しい流血の闘争を伴ったことである。そのしこりの上に、独立戦争でフランス駐留軍に補助兵として参加したアルジェリア人は新政権の厳しい報復を受け、その一部はフランスに逃げざるを得なかった。アルキと呼ばれた彼ら(当初14万人。林瑞枝、『フランスの異邦人』 )は経済難民と異なり本意ではなくフランスに来た人たちであり、フランスに怨念こそあれ従順である理由はなかった。フランス政府は冷たく、左翼からは植民地主義の協力者視された。

二、三年前、アルジェリア政府の首脳たちを迎え両国対抗のサッカー試合が開催されたとき、開始時のフランス国歌の斉唱はアルジェリア系観衆の激しいブーイングを受けた。さらにフランスチームの勝利に終わる直前、アルジェリア応援の観客がフィールドに乱入し試合は中止、同席したフランス政府首脳の面目は丸つぶれとなったし、フランス国民も同様の思いだったろう。私には今回の370万人とも言われるデモ参加者が表現の自由擁護だけのため集まったとは思えない。

イスラム教では宗教が政治などすべてに優先するようだ。他方、フランスは左右の長い政治闘争を経て政教分離を実現した国であり、その点での妥協は困難である。私は「スカーフ論争」当時、公立学校での女子のスカーフ着用を禁止するのはやむを得ないと考えた。スカーフにとどまる保証は無いからである( 両眼しか露出しないニカブ着用者に満足な指導はできまい) 。しかし今回の預言者への風刺は私にはdecentな行為とは思えない。まして数万部の小新聞が300万部を刷るのには賛成できない。私にはエジプト宗務裁定庁の「その行いは、文明間の平和共存と対話に寄与しない」との声明の冷静さに同感である。フランス政府は表現の自由擁護と大上段に振りかぶったため、進退に窮したのではないか。理論過剰はフランス革命以来のフランス人の伝統である。

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