2014年3月28日金曜日

冤罪の構造?

「袴田事件の再審が決まった。袴田氏について私は有罪無罪を云々する資格は無いが、新聞に過去の冤罪事件の例として1948~55年の四大冤罪事件(免田、財田川、松山、島田の各事件)が最近の足利事件や東電社員殺人事件と並んで新聞にリストアップされていた。これらは全て再審により無罪釈放となったが、四大事件のうち三つまでに当時法医学の権威とされた古畑種基東大教授の鑑定が絡んでいた。

同教授は当時法医学の神様扱いされ、文化勲章も受章している。私に彼の業績を貶める資格などある筈も無いが、指摘したいのは1975年に彼が死去すると、その後彼が絡んだ三大事件の再審が次々に決まり、やがて無罪判決が下ったことである。彼の鑑定が疑わしいと司法当局が気づきながら、彼の死去まで動こうとしなかったのである。「学会の権威」は盲従されれば無慈悲な権力ともなりうることをこれらの事例は示している。

井上靖に下山事件を扱った「黒い潮」という作品がある(のち映画化された)。戦後労働争議が燃えさかる中、下山国鉄総裁の轢死体が線路脇で発見され、世間は騒然となった。松川事件、三鷹事件と並ぶ国鉄三大事件の始まりである。古畑鑑定をもとに他殺説をとる朝日新聞などに対し、「黒い潮」の主人公のA記者を中心とする毎日新聞は、慶応大学教授の鑑定をもとに自殺説を取った。しかし「法医学の権威」と大衆のセンセーショナリズム欲求を敵に回すことになった毎日新聞は自殺説を貫き通すことが出来ず屈服し、A記者は地方に飛ばされることになった。(同じ毎日新聞の記者だった井上靖はA記者を直接には知らなかったが)  
事件の真相は自殺と決まったわけではないが、「学会の権威」とポピュリズムが重なったとき、真実が曲げられ易いことは肝に銘じなければなるまい。

2014年3月26日水曜日

オレオレ詐欺

未だにオレオレ詐欺が横行しているという。高齢化社会の進展とも無関係ではないのだろう。数日前、ATMでの送金のため銀行に行き、係員の指示をあおぎ(彼にも仕事を与える必要がある!) 、手続きが半分済んだところで現金からの送金は十万円までと改められたと告げられた。私だけが認知症扱いされた訳でも無いだろうが。

帰宅すると昔の留学先の大学から電話があったと家内に告げられた。半月ほど前に寄付の依頼状をもらっていたので、その件だろうと再度の電話を待った。夕食前に、日本留学中の大学院生と名乗る余り上手でない日本語の電話があり、問われるままに留学の思い出などを話した。すると頃合いを見て(?) 寄付を求められ電話でも可能だと言われた。しかし電話では不安もあり、正式用紙を送れと言ったところ、インターネットでも良いと言われた。インターネットは苦手だと断ると、では書類を送ると言われたが、現在まで送って来ない。やはり手のこんだ新手の詐欺なのだろう。

私自身は寄付の公式依頼状をもらっていたこともあり、電話に疑問を抱かなかったが、家内に用心したらと前もって言われたことが頭の片隅に残っていたので危うく踏みとどまった。ところが、家内は私から銀行の扱いが厳しくなったと聞いて不安を覚えたのだという。つまりは銀行の新しい制限措置が役立ったことになる。それにしてもここまで手のこんだ手法とは世も末の感がある。御用心を!

2014年3月24日月曜日

物づくりの心

トヨタ自動車の創立者豊田喜一郎と彼を支えた人たちをモデルにしたテレビドラマが放映されだ。既に知られた事実が少なくないし、一定の誇張や美化はドラマに避けられないが、我が国に自動車産業を根付かせる彼らの努力は顕彰されて然るべきだろう。

初代トヨペット・クラウンが誕生したのは私が大学生の頃で、その時の驚きは忘れられない。我が国でも独力でこんなに立派な本格的乗用車が誕生したのかと感激した。じじつ今から振り返れば、この瞬間、日本の自動車産業に希望の火が灯ったと言っても過言ではない。 
私だけが、或いは日本人だけがクラウンの美しさを感じたのでは無い。ロンドンの波止場で、初めて日本車が陸揚げされると聞いてドック労働者たちが集まってきたが、実物を見た途端彼等からホーっと感嘆の声が漏れたと言う(土崎一・辻豊「ロンドン東京5万キローー国産ドライブ記 二人は朝日新聞記者) 。もっとも価格を聞いて、それでは競争相手にならないと彼らはどっと笑って二人の記者を悔しがらせたという。それから半世紀余り、自動車産業は喜一郎が願ったように我が国経済の屋台骨になった。

ある有名自動車評論家が、「トヨタにとって自動車製造は家業である」と書いた。赤字なら転業しても良いといった程度の心で作っているのでは無いと言いたかったのであろう。一見時代遅れの様な豊田家の社長継承も此処では必ずしもマイナスではない。トヨタの社訓は自動車製造をとうして国に貢献すると謳っているが、それは現在でも忘れられてはいないようだ。

それはそれとして、最近のトヨタ車には嘗てのトヨタ2000GTやトヨタスポーツ800のような思わず心を奪われる様なデザインの車が見当たらない。トヨタに限って最大公約数的な無難な車づくりを目指す大企業病にならないと信じたいが。

2014年3月18日火曜日

映画こぼれ話

安西マリアが亡くなった。と言っても歌手としても女優としても私は彼女をよく知らない。ただ、二十歳も年下の人の死には同情を禁じえない。急死だった(したがって身の不幸を感じる余裕も無かった)ことがせめてもの救いである。

映画界とは無縁だった私だが、二枚目時代の竹脇無我に会ったことがある。(見かけたではない!)実は拙宅が僅か2カットだが映画のロケに使われたのである。1968年か69年始め、竹脇と倍賞千恵子主演の「結婚します」という映画の原作者山口瞳がロケハンして我が家を選んだと、突然現れた松竹映画のスタッフが説明した。シナリオのプロデュウサー名を見たら大学時代の同級生だった。スタッフも驚いていた。
ロケ当日、元同級生もむろん顔を出したが、竹脇も拙宅で時間待ちした。私はそれまで彼を全く知らなかっののた(直前二年間、日本を留守していたことも一因?)が、叔母に是非サインをもらってくれと頼まれたので便箋を用意した(色紙の存在など知らなかった)。
案外だったのは二十歳台後半の彼をそれほどイケメンだとは感じなかったことである。いざとなれば役者は良い表情を見せるのか、カメラマンが上手なのか、その後のテレビ画面の彼は矢張り大変格好良かった。
もう一つ、びっくりしたのは、たかが2カットの撮影のため二十人ぐらいのスタッフがやって来たこと。まだ邦画の黄金時代の名残りがあったのだろう。拙宅はまだ庭木が殆どゼロだったのでどうかと見ていたら庭木も持参しており、スタッフの一人がパッと地面に横たわり、片手で庭木を支えた。
その後、招待券を二枚送ってきたので妻と母が見に行った。それによると我が家は母一人子一人の家となって居たという。失礼な!と思ったが後の祭りだった。

拙宅ではないが、我が家を含む住宅地は、その後ジブリ映画の「耳をすませば」の舞台となった。アニメ映画なのでロケ騒ぎはなかったし、映画の中の何処にも地名は出てこないが、見れば一目瞭然である。最近は駅前に洒落た案内箱(としか言いようが無い)も設置された。ジブリと日テレの共同制作のためか日本テレビで四年に一度ぐらいの間隔で放映される。その結果休日はもちろん平日にもアベック(古い?)や同性同士の小グループ(我が家では耳すま族と呼んている)にひんぱんに出会う。以前は案内めいたことを言うときもあったが、最近の若者はスマホ片手なので聞かれることもなくなった。 
映画のストーリーは何ということも無い中学生の初恋物語なのだが、根強い人気の秘密を私は全編に流れるアメリカ民謡「カントリーロード」の故と睨んでいる。最近は駅の上りホームの到着予告音にも使われているが、短すぎて分かる人は殆どおるまい。
ともあれ、これらの若者が社会の中堅になって家を持つ頃には、我が家の不動産価格が上がるのではないかと、らちも無い想像にふけっている!

2014年3月11日火曜日

地震国日本

昼寝から目覚めテレビのスイッチをひねったら東北大地震の三周年記念番組を放送しており、やがて両陛下出席の記念式典が始まった。いつもながら御二人の誠実さには感じ入った。(何かと比較される立場の雅子さんには同情してしまう)。

あの地震のとき、東京西郊の拙宅は震度5弱。その程度ではそれほど動転しなかった。(立っていられたので) 
それほど動転しなかったのは、もっと激しい地震を経験していたためでもある。昭和19年12月7日の東南海地震とその一ヶ月後の三河湾地震である。前者(M8,震度6)では立っていられず、また多くの家が傾いた(のち、丸太をかい、ジャッキで元通りに!)が、倒れた家は少なく、したがって地元民に死者は少なかった。しかし、航空機工場に転用されていた旧紡績工場のレンガ造りの建物が崩壊し、働いていた人たち、特に徴用されて働いていた京都一中と京都第一高女(?)の生徒たちに多くの犠牲者が出た。戦時中のため被害の詳細はほとんど報道されなかったと聞く。

天災は台風、噴火活動、水害と色いろあるが、被害規模では地震(と津波)が抜きん出ていよう。そして日本が地震大国であることは間違いない。しかし、それ故に(?)温泉が湧く。また山々は木々に覆われる。これからは国家間で水の争奪が始まると聞く。その点では我が国は恵まれている。ともあれ、国が引越しをするわけにはいかないから、災害に強い国、災害に強い東京にするほかない。舛添さん、頑張って!

2014年3月9日日曜日

ある官僚の死

立川の国営昭和記念公園は拙宅から遠くないので、足の鍛錬を兼ねて春と秋には必ず訪れる。国営のせいか融通が利かず、入園料は低廉だが駐車料金は高い。若者のように長時間バーベキューなどをする入場者と長居をしない高齢者とは駐車料金に差をつけるべきだと、年間利用パスを持つ友人はボヤくが、全く賛成である。しかし旧米軍基地の跡地利用として造られた公園そのものは丘の起伏を利用し、小川などを配した広い(日比谷公園の十一倍)和洋両用の公園として、その美しさには毎度感心していた。

三月七日の朝日新聞の多摩版に記念公園を設計した女性の元エリート官僚の66歳での死去が記事として報ぜられていた。半田真理子さんというその人は、大学でドイツ文化を専攻しながらも、公園プランナーの仕事に目覚め、卒業後あらためて農学部に再入学し、三十歳台前半(?)で設計課長として昭和記念公園の設計に携わった。その後も「女性公園技術者の会」の会長など、その分野の先頭に立って活動してきたという。そうした業績や生き方を我々は彼女の死去で初めて知らされた。「地上の星」とも言うべきその業績を広く知らせるため園内に顕彰碑があっても良いと思うが、たぶん一個人の碑が建立されることはあるまい。せめて紙碑の形で業績を顕彰したい。

卒業後も米軍立川基地拡張反対運動を続けたと聞く元同級生が3年ほど前に死んだ。彼も記念公園の成立に期せずして協力したと言えるのかもしれない。二人の目ざした方向は同じではなかったと思うがのだが。

2014年3月7日金曜日

クリミア半島あれこれ(つづき)

何故か送信を続けられなくなったので、新しく続けます。

抗議された。怒るくらいならトップレスにならなければよいのにと思った。
町やホテルでは英語よりもドイツ語の表示が多かった。ここはナチス・ドイツ軍とソ連軍の戦闘が長く続いた土地なのに、ドイツの経済力を感じさせられた。

外国人がセバストーポリの軍事基地を見学できる筈も無く、そのままシンフェローポリ駅から夜行列車でクールスク近くのツルゲーネフの生家を訪ね、「猟人日記」の舞台を感じることができた。ところが翌日のトルストイの領地ヤースナヤ・ポリヤーナ(トルストイ教信者の聖地)を訪ねたところ、週一回の休館日で見学能わず。旅行社(又はロシアのインツーリスト)の杜撰なスケジュールに呆れた。代わりにモスクワのトルストイ邸を追加すると言うので、それが代わりになるかと怒ったが、日本人添乗員にどうなるものでも無し。取りあえず東京まで矛を収める他なかった。
それでもその夜、小バンドがロシアの歌を演奏してくれ、ロシアの若者に「恋のバカンス」の日本語の詞を請われて教えたり(当時ロシアで大流行中)の日本語の詞を請われて教えたり、「それなりに」楽しかった。
翌日は、モスクワでの訪問地の追加のため、朝の六時からバスを待機させてくれ、しかも座席には朝食のサンドイッチが用意してあり、ロシア人の誠意は感じられた(あの官僚主義の国ソ連で!)。

帰国後、旅行社にこのツアーは欠陥商品だと強く抗議したが、平謝りされるだけで、予想通りグルジアワイン二本で一件落着となった。

クリミア半島あれこれ

米国のケリー長官がロシアの最近の行動を「侵略行為」と呼んだが、(たしかテレビによると)ヒラリー・クリントン元長官も同趣旨の発言をしたという。彼等の頭の単細胞ぶりにはお手上げである。同じ言葉をどうしてイスラエルのユダヤ人入植地拡大に向けないのだろうか。
ウクライナのロシア人は圧迫されていないというが、同国議会はこれまで二つの公用語の一つとして認められていたロシア語を公用語から追放したと言う。(それに言及しない新聞が多い)  17%と言われるロシア系国民から突如言語を奪うに等しく、二十一世紀の文明国のすることではない。旧与党の議員たちも一致してヤヌコビッチ追放に賛成したとされるが、反対すれば生命の危険にさらされていたのではなかろうか。大統領の国外脱出も同様である。一方、クリミア・タタール人の代表は自治を求める住民投票に反対を表明している。クリミアにあるその程度の自由が今のキエフにあるだろうか。それこそが問題の核心ではないだろうか。

もっとも、今日書きたい(自慢したい?)ことは今日のクリミアではなく、ソ連時代のクリミア旅行の思い出である。ゴルバチョフ時代に「ロシア文学の旅」というツアーを日ソ旅行社(現在はユーラスツアーズ?)が企画した。私のロシア文学の知識など知れたものなのに応募したのは、自力では簡単に行けないロシアの田舎が見たかったのである。とりわけツルゲーネフとトルストイの領地(二人は土地貴族だった)を訪ねるというので心が動いた。したがってクリミア半島やヤルタを是非とも見たいということではなかった。

サンクト・ペテルブルク(当時はレニングラード)見物の後、一飛びでシンフェローポリ空港に着き、保養地ヤルタのホテルに泊まった。現地での訪問予定はチェーホフが晩年を過ごした家や黒海のビーチ・リゾートなどだったが、私はヤルタ会談が行われたリバディア宮殿を訪ねたかった。そのため他を割愛しても個人で宮殿を訪れたいと交渉すると、新しく全員の訪問先に加えてくれた。

ヤルタのビーチは他と変わりはなかった。黒海の水は他所よりも塩分が少ないと感じたが、気のせいかもしれない。女性の四人に一人ぐらいはトップレスだったが、ツアー客の一人がカメラを向けると(私ではない!)こうぎされた

2014年3月5日水曜日

映画祭受賞のあれこれ

米国のアカデミー賞の発表により、一連の映画祭賞の決定は終了したようだ。なかでも日本映画の入賞が期待されたベルリン映画祭とアカデミー賞は、出演女優賞(黒木華)一つに終わり、期待が満たされなかった人は少なくないだろう。

ベルリン映画祭は社会性を持った作品が重視されるという特色が指摘されている。そこに出品された山田洋次監督の「小さいおうち」は原作(中島京子)とやや異なる。原作は戦前の東京郊外の中流家庭の主婦と若い女中の厚い信頼と友情の物語であり、映画でもそのシチュエイションの大筋は変わらない。しかし、原作ではいわゆる「十五年戦争」は背景として通奏低音のように流れてはいるが、主題からは遠い。それに対し映画では当時の世相としても筋の運びの上でも戦争は大きな影を落としている。これは山田監督の政治的信条の反映と見るべきか(氏は乱暴に分ければ左翼と言ってよかろう)、それとも映画として淡々と日常生活を描くだけでは興行成績が期待出来ないといった考慮(当然である)が働いたためかは断定できないが、他ならぬベルリン映画祭を出品先として選んだのは、社会性重視というこの映画祭の理解しての上であろう。過去にも出品した山田監督について映画関係者が、その程度のことを知らないとは思えない。黒木華の女優賞獲得は、作品賞をプレゼント出来ない関係者の山田監督への配慮もあるのではないかと私は邪推(!)してしまう。

他方、宮崎駿監督の「風立ちぬ」も長編アニメ部門のアカデミー賞の受賞を逸した。この作品はご存知の通り、ゼロ戦の設計者堀越一郎をテーマとしており、我が国では戦争の道具である戦闘機の設計者を敢えて主人公に選んだことへの否定的反応も一部にあったと聞く。私は堀越技師の仕事への情熱、最先端を行くパイオニアとしての「熱い心」に、分野こそ違え同じくパイオニアの「熱い心」を持つ宮崎監督は強い共感を抱いたのではないかと想像する。その対象が戦闘機かアニメ映画かを私は重視したくない。

その意味でも「風立ちぬ」のアカデミー賞落選は私には残念だったが、代わりに受賞したディズニー・アニメの「アナと雪の女王」の技術スタッフに長男が名を連ねており、アカデミー賞の像の重さを文字どうり実感した(スタッフの間で回し持ちしたのであろう)のは、本人にとっても良い記念となった。三月後半の上映には「風立ちぬ」とどちらが優れているか、冷静に(?)判断したい。

2014年3月3日月曜日

ウクライナ問題に厳正中立を

ロシアがウクライナ内の自国権益の擁護に強い態度で臨み、米国やEU諸国との対立が激しくなってきた。間もなく我が国も態度表明を迫られるだろうが、日本はどちらの側とも距離を置き、厳正中立を保つべきである。

西側大国はウクライナの現政権支持のためロシアでの首脳会談(G8)への欠席を示唆しており、やがては会議のボイコットや対ロ経済制裁へと進むだろう。しかし、自国の死活的利害がかかっている(と信ずる)ロシアがその程度の脅威に屈する筈も無く、死活的利害が無い西側大国では、いつかウクライナ支援の熱意も低下するだろう。

冷静に考えれば、ヤヌコビッチ大統領との妥協案を一夜で覆した現ウクライナ指導部を過激ナショナリストに抵抗できない無力な人たちとロシアが見なすのは一理ある。ましてロシア系住民が多数を占めるクリミア半島で自由な住民投票が実施されれば、ロシア支持者が勝利する可能性は否定できない。そうした場合、ウクライナ領土の一体性を唱えても説得力に乏しい。そもそも、セルビアからのコソボの分離を助けた西側大国が、住民の自決願望に反対しても大義はない。大義の無い連合に日本は加わるべきだろうか。

追伸。上記の文章を朝日新聞の「声」欄に投書した後、読んだ夕刊によれば、日本はG7の一員としてロシア非難声明に加わったとのこと。日本だけ加わらないことは困難だったろうが、安倍首相の談話は「平和的解決」に力点を置いており、評価出来る。今後とも是非その方針に沿って行動して欲しい。