2016年2月6日土曜日

高梨沙羅を守れ!?

高梨沙羅選手がスキー・ジャンプ競技の女子W杯で前人未到の8連勝を達成した。ここでストップするとも思えない。小さな彼女のどこにそんな力がと思いたくなるのは私だけではないだろう。しかし好事魔多し。ジャンプ競技団体が彼女に不利になるように競技規則を改める可能性がある。それは無いとは言い切れないのである。

かつて日本の男子ジャンプ選手が優勢だったとき、世界の競技団体 ( ヨーロッパ勢が中心だろう ) が体格とスキー板の長さ割合を変更したりしたと記憶する。より確実なのは、ノルディック複合競技の荻原健司選手が連戦連勝していたとき競技規則を変更され ( ジャンプと距離の比重の変更 ) 彼の全盛期に突然終止符が打たれたことである。

そんな馬鹿なと言いたいが事実である。理由は日本人が一人勝ちすると観客が減少するためだった。たしかに競技団体にとっては観客数は大きな関心事だろう。最悪の場合、存続にも関わるかもしれない。しかし変更が公正さに欠けることは否めない。現在の韓国並みにゴールポストを動かしたのである。自国選手 ( ノルディック複合の場合、北欧諸国出身者が多いようだ ) 贔屓はどのスポーツにもあるが、競技団体が競技規則変更までするのが世界の現実だった。あれから20年は経つ。今度こそ女子ジャンプ競技で競技団体は公正さを示してもらいたい。

2016年2月5日金曜日

宜野湾市長選の意味

もう先月のことになるが宜野湾市長選は佐喜真市長の再選という結果になリ、普天間基地の辺野古移転反対を唱えた志村氏の敗北となった。多くのメディアは佐喜真氏の「大差」の勝利と報じたが、六千票差ということは三千人の市民が意見を変えたならば結果は逆転しかねなかった訳で、私など予想より小差だったと感じた。また多くのメディアが佐喜真氏が辺野古移転問題への意見表明を避け、「争点隠し」をしたと報じた。その指摘は正しいが、志村氏が辺野古移転反対を強く訴えたのであれば佐喜真氏の沈黙が何を意味したかは明らかだった。「争点隠し」を同氏の勝因とするならば宜野湾市民の判断力を貶めることになろう。

他方、メディアによって差はあるようだが、宜野湾市民の57%は辺野古移転反対を表明したという ( 沖縄タイムス )。基地の騒音や危険を他所に押し付けることへの心苦しさが現れたと見ることもできるが、宜野湾市民も本土の身勝手さに不満いっぱいであると理解すべきなのだろう。                 

私が予想より得票差が少なかったと考えたのは、今回も報道映像を見るたびに基地を取り巻く形の宜野湾の市民は騒音と危険を逃れようがないと感じたからである。以前に当ブログで書いたように拙宅も上空を立川基地の自衛隊のヘリコプター編隊 ( といっても2機から4機ぐらい ) が通過する間、テレビの音声は聞こえず腹立たしかったからである。たかが年に数回あるかどうかの被害?で宜野湾市民と比較する気など毛頭ないが、それが毎日のべつに続くことへの同市民の苦しみと腹立ちを想像することはできる。それを考えれば宜野湾市民の選択をおろそかに考えたくない。

2016年2月1日月曜日

カサンドラの予言

米国共和党の大統領候補者指名争いは相変わらずトランプ氏が先頭を走っているようだ。トランプ人気の理由は、その発言が粗暴でも本音を貫いていることだろう。米国では人種や性別などで差別的な本音を語ることは政治的正しさ ( political correctness ) に反するとしてタブーとされてきた。しかしヨーロッパの移民問題も同じだが現実に移民難民の犯罪率が高ければ、それが貧困や高い失業率などによる面があるとしても、彼らと職業や居住地などが重なる白人庶民層の反発は高まる。米国では富裕層は高級住宅地や極端な場合ガードマン付き住宅地 guarded area に住み経済力で安全を買うことが出来るが、それも白人庶民層の不満をかき立てる。最終的に民主党候補が大統領選挙で勝つならトランプ氏の共和党内での優位を心配する必要はないのだが、それはまだ確実ではない。

カサンドラの予言という有名な言葉がある。神から予言能力を授かったギリシャのトロイの王女が自国の滅亡を予言するが市民に聞き入れられず予言が成就したとの神話的故事から「不幸の予言」を意味する。誰もが不幸の予言を信じたくないのである。

大衆文学の作家として大成した菊池寛の初期の短編小説群は文学として評価されていると聞く。その一つの『ゼラール中尉』は、第一次世界大戦の開始がドイツ軍の自国攻撃から始まると予言したベルギー軍の将校が、ドイツが中立国ベルギーを攻撃するはずがなく直接独仏国境を越えると考える同僚たちから疎まれる。しかし彼の予言は的中し、ドイツ軍はベルギーに殺到した。だが、彼の予言が成就した時は彼がドイツ軍の砲弾により死を迎えた時だった。中尉はやはり私は正しかったと虫の息で語りながら死ぬ。

私はトランプ氏の勝利をあり得るとも考えるが、カサンドラの予言をするといつかその成就を期待する気持ちが生まれると困るので予言はしない。一方、米国社会の病弊を鋭く批判するサンダース上院議員に共感を覚えるが、彼が最終的に民主党候補となれば本番の大統領選挙での共和党の勝利、つまりはトランプ大統領の出現を生む可能性が強まると考えると................。心配もいい加減にしろ!?

2016年1月29日金曜日

イスラエルの明と喑

イスラエルのネタニヤフ首相といえば歴代の同国の首相の中でも頑迷さで一頭地をぬく人物であり、この頃は米国のイラン政策への抵抗が目立っている。最近も野党優位の米国議会の招待をオバマ大統領の了解も得ず受諾し、大統領を不快にさせた。

何新聞だったか ( わずか四、五日前が思い出せない!)ネタニヤフ首相の記者会見の記事が載っていた。質問者は自由に質問し、雰囲気は良かったという。それにひきかえ記者は日本の首相記者会見の堅苦しさ、質問の不徹底さを思い出していた。日本だけでなく他の中東諸国とイスラエルを比較しても同じことが言えそうだ。かつてラビン首相がユダヤ教狂信者に暗殺された時、イスラエル国民は衝撃を受けた。イスラエル人が同じイスラエル人を殺すことが信じられなかったのである。イスラエルが中東で稀な言論の自由な国であることは疑いない。

しかし、そのイスラエルの周辺への入植地拡大が止まらない。その状態でアラブ人に冷静を呼びかけても効果は期待薄だろう。現在のイスラエルの入植地政策は旧満州に対する日本の進出策とその本質において変わらない。伊藤博文は日本が日露戦争で獲得した権益は遼東半島と満鉄以外の満州には及ばないと戒めた が( 孫崎享『日米開戦の正体 ー なぜ真珠湾攻撃という道』祥伝社。著者はその論の奇矯さで知られるらしいが、本書はミスリーディングなタイトルと異なり、日露戦争後から日米開戦までの日本外交史でとくべつ奇矯ではない )  、その後の日本は軍部の強硬策に屈して世界を敵に回した。しかし、同じ事をしているイスラエルに対する欧米とりわけ米国の態度は及び腰という他ない。イスラム過激派と軍事力で戦うのは誤りとは思わないが、イスラエルの拡張主義にも本気で反対しなければその効果には限界があろう。イスラエル国家の存在は守らなければならないが、欧米はもっと厳しく入植地拡大に反対すべきである。

2016年1月28日木曜日

両陛下のフィリピン訪問

かれこれ40年近く前、ノルウェーの旧ハンザ都市ベルゲンの観光バスでフィリピン人の女性ピアニストと知り合った。というよりもカメラを持っていた私に、グリーグの住まい ( 別荘? )の前で彼女の写真を撮ってフィリピンに送ってくれと本人に依頼されたのである。渡された住所にリサール ( 通りの名前?) とあったので独立運動家のリサールにちなんでかと彼女に聞いたら、しばらくポカンとしたのち、「オー、リザー!」とのたまった。英語読みでもルは付くらしいが、母音の着かない L は日本人には聞き取りにくかった ( 一般化するな!)。写真を送ったのに礼状は来なかったのには失望したが、同地に住んだ事のある知人が重い封書は先方に届かないこともあると教えてくれた。

現在訪比中の両陛下がリサール像や無名戦士の碑に頭を下げられた。晩餐会で天皇が戦争中のフィリピン市民の被害に対し「私ども日本人が決して忘れてはならないこと」と述べられたことに、ほとんどの日本人は同感すると私は信じたい。

今朝の『東京新聞』に同国の「従軍慰安婦」のヘンソンさんの記事が載っていた。「アジア女性基金」の償い金をヘンソンさんは受け取ったが、「日本の支援団体の中には、ヘンソンさんらに償いの一時金を受け取らないよう求めたグループもあった」。理由は「国家賠償でなければ人間の尊厳を取り戻せない」ということだが、ヘンソンさんは私の名誉は50年前に失われたと言って取り合わなかった。一年後ヘンソンさんは亡くなり、記者が弔問に訪れた自宅 ( トタン屋根のつぎ目から空が見えた ) は、「立派な二階建てに変わっていた」。苦難の記憶は消せないとしてもヘンソンさんが自分の苦難をせめて家族への贈り物に変えて残したことを知り、私はホッとした。

国土が戦場となったフィリピンには女性の被害を始め数々の悲惨事があった。韓国のケースと異なり被害者としての彼女らの主張はほぼそのまま信じてよかろう。日本政府の支出金は「女性基金」の支援事業の半ばを占めており、支援団体の主張は事実に反するが、それを措くとしても、被害者救済よりも自らの主張を通すことを優先する「支援団体」はその名に値するのだろうか。私には独善のかたまりとしか映らない。

2016年1月26日火曜日

優勝力士の出身国強調

初場所での琴奨菊の優勝をほとんどのメディアは十年ぶりの日本出身力士の優勝と報じた。日本人ゆえの「快挙」扱いは扱いの大きさにも明らかだった。それに対し『朝日』の投書欄に「『日本出身力士』の強調はおかしい」との意見が載り、『東京新聞』には問題視する記事も載った。「その間に優勝した力士たちの努力や栄誉への敬意を欠く」、「出身国がどこであれ、幕内最高優勝という栄誉の価値は変わらないはず」など投書の内容は始めから終わりまで100%正しい。私自身、体重別のクラス分けのない相撲で、日馬富士や鶴竜ら軽量力士を常に応援してきた。

それでも私も十年ぶりの日本出身力士の優勝を喜んでいることは否定しない。それには五回の大関陥落の危機 ( 私は大関として不名誉極まるとさえ考えていた ) を努力で乗り越えての優勝という意外性や優勝後の琴奨菊の幸せそのものの笑顔も与って力あったが、何と言っても十年60場所の日本出身力士の空白に終止符を打ったことが大きいと認めざるを得ない。やくみつるが理由として白鵬らの賛成し難い所作 ( 『東京新聞』)を挙げていたのにも同感する。

理屈では『朝日』の投書子の絶対的正しさを認めながら十年ぶりの日本出身力士の優勝を喜ぶのは矛盾ではあるが、人間性は理想主義者の考える通りではないということだろう ( 開き直り?)。移民問題も同じこと。ハーフ生まれの人に子どもの頃いじめられた経験を持つ人が少なくないと聞くのは、子どもは本性のままに行動するからである。差異を超えるのは教育の結果なのである。しかし、危機 ( テロの場合も、外国人力士の優勝独占の場合も!)に際会すると、抑えられていた本性が頭をもたげる。それを計算に入れて制度設計はなさるべきなのである。それでも問題提起した投書の意義は認めるべきだろう。


2016年1月25日月曜日

スコットランド紀行または英国の物価

民放テレビの「地球バス旅行」のスコットランド編 ( 1月21日放映 )を録画で見た。最初は定番の古都エジンバラとその周辺、ついで北上してピトロッホリーのウィスキー醸造所、最後にさらに北上してネス湖訪問だった。エジンバラは私自身二度訪れている上にテレビの旅番組でたびたび紹介されているのでそれ程興味をそそられなかったし、ピトロッホリーの漱石も訪れたという醸造所 ( 当時は知人宅 ) もアルコール愛好者でもない私には興味津々とまではいかなかった。

ネス湖訪問は過去一回半?ある。最初は1966年で、ネス湖の直前のフォートウィリアムまで行ったが、ネス湖まで足を伸ばしてもどうせネッシーに会えるわけではなし ( 秋の学年始め直前でもあった )と断念した。ところが帰国後二度三度ネス湖とネッシーのことが紹介されるテレビ番組を見たら惜しいことをしたとの思いに駆られ!、二十年ほどのちにやっと訪問した。といってもやはりネッシーは現れなかったが、代わりに?若い日本人女性二人組が現れ、インバーネスまで同乗させてくれないかと頼まれた。しかし既に四人乗車だったので断った。二人はそれでは湖畔の宿を探すとのことで別れたが、夕方近くなのにその元気に感心 ( 寒心?) させられた。

今回のテレビ番組を見たら物価が日本よりもかなり高いと感じた。1ポンドが千円だった1960年代の英国は鉄道運賃を始めとする物価の高さが印象的だったが、その30年後は物価はむしろ日本より安くなっていた。その後EU加盟や好景気もあり、再び物価が上昇したようだ。しかしその好景気は金融業や不動産業などが中心で、街を走る車は外国車 ( 製造地は英国も少なくないが ) ばかり。多くの英国車のブランドが消滅するか、外国資本に買収されている ( インド資本にも!)。英国が「世界の工場」など遠い昔であることはもちろんだが、物づくりを怠って良いのか、他人事ながら心配である。