2016年2月5日金曜日

宜野湾市長選の意味

もう先月のことになるが宜野湾市長選は佐喜真市長の再選という結果になリ、普天間基地の辺野古移転反対を唱えた志村氏の敗北となった。多くのメディアは佐喜真氏の「大差」の勝利と報じたが、六千票差ということは三千人の市民が意見を変えたならば結果は逆転しかねなかった訳で、私など予想より小差だったと感じた。また多くのメディアが佐喜真氏が辺野古移転問題への意見表明を避け、「争点隠し」をしたと報じた。その指摘は正しいが、志村氏が辺野古移転反対を強く訴えたのであれば佐喜真氏の沈黙が何を意味したかは明らかだった。「争点隠し」を同氏の勝因とするならば宜野湾市民の判断力を貶めることになろう。

他方、メディアによって差はあるようだが、宜野湾市民の57%は辺野古移転反対を表明したという ( 沖縄タイムス )。基地の騒音や危険を他所に押し付けることへの心苦しさが現れたと見ることもできるが、宜野湾市民も本土の身勝手さに不満いっぱいであると理解すべきなのだろう。                 

私が予想より得票差が少なかったと考えたのは、今回も報道映像を見るたびに基地を取り巻く形の宜野湾の市民は騒音と危険を逃れようがないと感じたからである。以前に当ブログで書いたように拙宅も上空を立川基地の自衛隊のヘリコプター編隊 ( といっても2機から4機ぐらい ) が通過する間、テレビの音声は聞こえず腹立たしかったからである。たかが年に数回あるかどうかの被害?で宜野湾市民と比較する気など毛頭ないが、それが毎日のべつに続くことへの同市民の苦しみと腹立ちを想像することはできる。それを考えれば宜野湾市民の選択をおろそかに考えたくない。

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