2014年4月17日木曜日

安全・美観・経費(その2)

東京西郊国立市の学園通りの桜並木が漸次切り倒されるという。
学園通りはJR国立駅から南に二キロ(?)ほどの片道二車線の立派な車道があり、両側を一橋大学のキャンパスが占める。車道の両側にソメイヨシノの並木があり、さらにその外側に歩道が設けられている。季節に無関係に美しい通りだが、桜の季節はとりわけ美しく、国立市民の誇りであろう(市民でもないのにおこがましい言い方だが)。
しかし電鉄会社が一帯を造成した戦前に植えられたと想像する桜は老木化し(だから立派なのだが)、安全のため切ることになったらしい。

老木ゆえ倒れたら死傷者が出かねないので市として放置出来ないと考えるのは自然である。学園通りの美観を守るため高層マンションの建設に反対して業者と裁判で争った市が好んで並木を切るはずがない。植え替えの費用も掛かる。しかし若木を植えれは美観を取り戻すのに最低十数年はかかるだろうし、今ほどの美しさはさらに先のことになろう。

おりから川崎市の商業施設で、広場のケヤキの枝が風もないのに自然に折れて幼児が重体になった。ケヤキ独特の美しい群生の株で、施設の品格を高めていることはテレビ画面でも十分うかがえた。死傷者が出たからと言って撤去して欲しいとは住民も思わないのでは?
注意深い管理の必要はもちろんだが、結局は表題の三者の関係はケース毎に軽重を考える他ないのだろう。当事者ではない私としては、メデイアが安全を錦の御旗に自治体当局を後知恵で非難するのはあまり聞きたくない事態であるが。

2014年4月13日日曜日

安全、美観、経費。

最近は子供たちまで犯罪や事故の被害者になる時代だからか、自治体が町の中に拡声機を取り付け、一定の時刻に住民に注意を喚起する。

我が家のすぐ裏の電柱にそうしたスピーカーが付けられており、定時(今頃は午後五時)に夕焼け小焼けのメロディーに続けて大人が子供たちの安全に気を付けるよう呼びかける。日頃は屋内で聞いていてその声の大きさが気になっていたが、今日、裏の斜面でツクシを摘んでいたら(ツクシぐらい田舎でなくとも採れる!)鳴りだし、その声の大きさに思わずぎょっとした。

安全とくに子供たちの安全は大事なので住民は我慢しなければならない。それは分かっているのだが、毎夕大声が繰り返されるとゲンナリもする。むかし住宅公団のベランダの手すりが子供の事故が起こるたび少しづつ高くなったと聞いた。そのうち手すりが伸び切って檻のようになるかと予想した。幸いそうはならなかったが。そんな馬鹿なと笑う人も有ろうが、中国でそうした天井までつながる手すり(もう手すりとは言えない)のアパートを見た。都会で、物が落下して歩行者に被害が出る可能性があり、納得できた。

子供たちに自己責任を求めるのは誤りだが、大人が自己責任を棚上げして安全要求を繰り返していると、万事が手すりが檻になり兼ねないと言うのは心配過剰かもしれない。しかし、美観を損ねるとして嘗ては絶対善だった歩道橋も最近は廃止される例が少なくない。安全のための経費にも限度が有ろう。その兼ね合いが難しい。(たかがスピーカーの音に何を大げさな!)?

2014年4月11日金曜日

事実誤認

出来るだけ間違いが無いように心掛けてはいるが、うっかりミスは避けがたい。

前々回、英国の皇太子夫妻がニュージーランドを訪れたと書いたが、ウイリアム王子は皇太子ではなかった。それにしてもチャールズ皇太子の最近の影の薄さは目立つ。まるでダイアナ元妃という太陽があって始めて光る月のようだ。しかし彼は仲々ユーモアのセンスもあるようだし、離婚したから国王としての能力が低いとも言えない。元妃への同情がマイナス効果になっているのでは?

それにしてもエリザベス女王は頑張っている。立派だが、それが良いことなのか私には多少の疑問がある。何故かそれがチャールズへの重しとなり、彼のやる気を削いでいないだろうか。
ヴィクトリア女王も即位期間の長さでエリザベスと甲たり難く乙たり難いが、彼女の子供のエドワード七世はなかなか即位出来ず、その間パリの社交界で羽根を伸ばすしかなかった。老害の側面が無かっただろうか?
余計なことだろうが、日本でも百歳を超えて大病院の理事長をつとめ大変な敬意を払われている人がいるが、私には何で偉いのかさっぱりわからない。

もう一つ。英国の鉄道のコンパートメント式の旧式車輌は各室をつなぐ廊下が無かったと書いたが、私が居た1960年代の旧式車輌は廊下の両端にドアのあるコンパートメント式の由。私の聞き方が悪かったようだ。しかし駅員がドアを閉めて回る音がプラットフォームに響いていたことは確実で、国鉄の全車両のドアが自動化されたのは1990年代になってからの由。のんびりの国情は矢張り争えないようだ。

2014年4月9日水曜日

英国の鉄道

前々回、英国ののんびりさの一例として1960年代まで各コンパートメントに直接ホームに乗り降りするドアがある車輌が使われていたと書いた。しかし家内にはそうした記憶は無いという。仕事のためにロンドンに何度か国鉄を利用した私と家内とでは違うのは当然なので、家内が健忘症なのではない! 逆に私の方が映画の画面で見たことを自分の事のように誤って記憶していたのではないかと不安になった。

そこで今はバンクーバーに住む元クラスメイトにメールしたら早速誤りではないとの返事が来た。彼によると、そうした車両はコンパートメント同士を結ぶ廊下がそもそも無い(だから自室から直接乗降する他ない!)上に、内側からドアを開ける取っ手は無く、乗客はドアの窓ガラスを下ろして(落として)外側の取っ手を回すのだという。そして一人の駅員porterが一列車の未閉鎖のドアを閉めて回る(と読める)。私自身が利用したことは無かったので今更に驚いた(呆れた)次第。

そういえば1966年だったか、ロンドン・マンチェスター間の鉄道電化が完成し、新聞が「鉄道の新時代」と書き立てていたことを思い出す。(ディーゼル機関車が普通だったので、いきなりSLから電化したわけではない)。わが国は英国に鉄道技術を学んだ筈だが、いつの間にか鉄道車両を逆に英国に輸出する関係となった。無論大いに喜ぶべきことなのだが.....................。

皇太子夫妻の旅行

英国の皇太子夫妻がニュージーランドを幼子と共に訪問中である。実はウイリアム王子はダイアナ妃の胸に抱かれて同国を最初の外遊先として訪れているとのこと。ニュージーランドが将来の英ほほほ国王の初外遊先に再度
選ばれたのは英王室と英国民の同国への特別の親近感と治安状況への配慮によるものであろう。       

世界ニュースにはならなかったが日本の皇太子夫妻も平成十四年に同国を訪問しており、私は偶然同じフイヨールド観光船に乗り合わせた。日本を離れる前から皇太子夫妻の同国訪問は耳にしていたので、現地で鉢合わせするかもと冗談を飛ばしていたが、まさかその通りになると思ってはいなかった。事実、最初の予定では前日に南島西岸のフィヨールド(ミルフォード・サウンド)見物をする予定だった。ところが春の盛りの12月と言うのに西岸への峠に近ずくと、雪がどんどん降ってきた。貸切バスは其れでも続々と峠に向かっていたが、レンタカー利用者としては大雪で帰路が二日閉鎖されたら帰国便に乗機出来なくなる。幸い予備日が一日あるので取りあえず引き返した。幸い雪はそれほどにはならず、翌日無事に峠を越えた。

現地では二つの会社が観光船を運行していた。その一つと交渉したら、日本の天皇が乗るので船内に閉鎖する部分があるという。皇太子だと訂正して先に乗り込んだ。そのうち皇太子夫妻がやって来たが、お付きの日本人や白人が二、三十人いた。私はタラップの上端近くに座席を取っていたので、タラップを登ってきた皇太子と目があった(だから何なんだと言うべからず!)。
天候が悪化する気配だったので、クルーズの前半(往路)は上甲板に出て景色を楽しんだ。しかし皇太子夫妻は往路には姿を見せず、見せたはずの復路では天候がやはり良くなくなっていた。

現地の人たちとの挨拶や交流も大事だが、夫妻のせっかくの楽しみが半減したのではなかろうか?   間も無くの雅子さんの発病も、そうした不本意の累積も一因だったのではと思わずにはいられない。

2014年4月6日日曜日

むやみにひとを疑った罪?

、十日ほど前にオレオレ詐欺(正しくは振り込め詐欺でした!)に騙されかけたと書いた。ところが先日、要求した正式書類がエアメールで届き、中に電話してきた大学院生の改めての手書きの依頼文があった。ひとを疑って恥ずかしい限りだが、苦しい弁解も出来ないでもない。

こういう事になった始まりは大学からの封書が二つあり、その内の一つ(学長の手紙)を私が開け忘れていたことである。あらためて開封したらそこには学長が寄付金集めfundraisingのため学生に電話をかけさせると予告していた。(ともあれ二度手間かけさせたとあればこちらも金額を増やさざるを得ない!)。
それにしても日本の大学が寄付金集めをする場合、学生に電話させるであろうか。現在のように振り込め詐欺が横行している時代ではないとしても、大学がそんな事を考えるとは思えないし、学生が簡単に同意するとも思えない。いくら大学院生だけの小規模カレッジの金集めでも。のんびりした国情抜きには考えられない。

私が滞在した1960年代半ばの英国の鉄道では、コンパートメントごとに下車のためのドアが開く旧式車輌も少数ながら使われており、始発のターミナル駅では発車直前に未だ開いているドアを駅員が閉めて回る。そのどしんどしんという音がホームに響いていた。今そんな車輌は使われていないだろうが、耳に残るその騒音が今は限りなく懐かしい。

2014年4月1日火曜日

捕鯨の終焉?

国際司法裁判所が日本の南極「調査捕鯨」の禁止を決定した。決定は最終決定との事なので、残る北西太平洋や沿岸捕鯨、特に後者の継続に主張を縮小する他ない。これにより仕事を失う人たちへの対策は欠かせないが、そもそも「調査」に一千頭もの鯨の捕獲が必要との日本の主張はとても外國に通用するものではなかったことが示された。
                                                                                                                                                                      

日本国民は礼儀正しく正直な国民と(一部の国を除き)世界で評価されていると信ずるが、国の政策ともなるとそれほど正直でもない場合も散見される。「調査捕鯨」もその一例だが、これまで「非関税障壁」と外国から指摘されてきたものにも該当するものがある。
昨年(?)まで我が国は防疫のためとの理由で牛肉の輸入を生後十二ヶ月までの牛に限って許可してきた。(国際的には二十四ヶ月まで問題ないと認められていたのに)。ようやく昨年輸入牛肉の年齢制限が諸外国並みに改められたが、テレビのインタビューで生産者が「大変だ! 生後十二ヶ月と二十四ヶ月とでは味が全然違うのです」と答えていた。図らずも十二ヶ月の制限は防疫のためではなかったと知った。古くは外国産の果物(オレンジやチェリーなど)輸入への禁止も生産者重視が甚だしく、むしろ外国の圧力が消費者の利益になっていたことも想起される(私はアメリカン・チェリーが好物! )。

非関税障壁だけではない。さらに古く、北洋サケマス漁業がソ連との協定により実施されていた時代、毎年のようにソ連は漁獲量の縮減を主張し、私など大国の横暴に腹立たしかった。しかし、ずっと後に日本のサケマス漁船団は協定に定められた制限を少しも守らなかったと知った。当時、政府はもちろんメディアもそうした違反を全く報じなかった。苦い記憶である。

むろん国内の肉牛生産者にこれまで以上の工夫と努力が求められることになり心苦しいが、果樹栽培者もこれまで品種変更や品質向上(ブランド化)などにより乗り切ってきた。健闘を祈りたい。