2021年4月29日木曜日

『ポツンと一軒家』の魅力

  今日の朝刊に載ったビデオリサーチによるテレビ視聴率 ( 4月19日~25日 )によれば、テレビ朝日放映の『ポツンと一軒家』がNHKニュースに次ぐ堂々の2位となっている。この番組については本ブログで取り上げたことがあるかどうか記憶が定かでない。しかし、録画された同番組 (4月25日)を昨夜偶然見たので印象を記したい。

  同日の番組は通常の2倍の2時間放映だったので訪問先は二軒。前半は和歌山県の山中のゆづ農家で、かつてのみかん栽培は経営的に成り立たず瓶詰めのゆづ液で生計を立てている。家族は飲食店で働いていた東南アジア ( 国名は忘れた ) 出身の妻と男子中学生2人。ゆづの木は余計な枝の除去など樹上での作業が欠かせず危険も伴うが、妻も先頭に立って作業をしていた。

  番組後半は徳島県の一軒家で、長い山道を登って辿り着いた家は吉野川を見下ろす住まい。夫以外の家族は平野部の自宅に住む。テレビ局の協力で古い8ミリフィルムが上映され、何十年前の夫婦の結婚披露宴に数十人の親類縁者が着飾って山中の家に集まった様子が映し出された。夫婦にとっても久しく無縁となっていた記録だが、フィルムの存在すら知らなかった高校生?の娘は感涙にむせんでいた。

  一軒家と言っても当初からのケースもあれば、昔は数軒の小部落がいつか一軒残されたケースもあるが、電気はどんな山奥でも利用でき、道路も一応は舗装されている。しかし市町村道への何キロかは落葉掃除など自分で維持しなければならない。

  当番組の人気は不便に耐えて先祖の家と生業を守り続けている人たちの頑張りに心洗われる思いが理由なのではないか。この番組を構想したプロデューサーら関係者はすごいと思う。訪問先の家族がまさかの訪問に喜ぶ場面は住民への何よりの励ましだろう。

2021年4月23日金曜日

現代の『勇気ある人々』

  このブログで言及したことがある気もするが、ジョン・F・ケネディの上院議員時代の著書に『勇気ある人々』( 1967  日本外交学会。最近の別訳あり )がある。現在ではケネディの演説のゴースト・ライターのソレンセンの著と知られるが、世論に逆らって真実を訴えた人びとの物語である。いつの時代でもそうした「地の塩」のような人たちがいた。

  一昨日、元従軍慰安婦たちの対日賠償を求める訴訟をソウル中央地裁が却下した。同地裁では1月に日本政府に賠償を命ずる判決があったのだから逆転判決と言えるが、注目されるのは他国の判決は我が国に対し効力を有しないとの日本政府の主張や2015年の日韓慰安婦合意の有効性など、日本政府の主張をほぼ全面的に認めていることである。

  前兆と言えるかどうか、政権発足時に日韓慰安婦合意を破棄した文大統領が最近前言をひるがえしてその有効性を認めていたし、1月の地裁判決に今になって「すこし困った」と発言していた。それでも「親日」という言葉がマイナスのレッテル貼りとなる現在の韓国で日本との再交渉を命じた判事の見識と勇気には頭が下がる ( すでに激しい非難が。『読売』4.23 )。

  「中華民族の偉大な復興」を目標に掲げる習近平主席のもと、最近の中国の一方的な国権主張は目に余る。その最中に温家宝前首相がマカオ紙に寄稿した。文化革命時代の教員の父親の受難を回顧し、「私は貧者や弱者に同情し、侮蔑や抑圧に反対する」と強調。理想の国家像として「思いやりや人道、人間の本質に対する尊敬と青春や自由、奮闘の気質があるべきだ」と記しているという( 『朝日』4.21 )。明らかな習指導部批判と読める。その証拠にSNS上の関連する投稿は削除されたりしたという。今後政権から不当な扱いを受ける危険を冒しても、沈黙していられないと決意した前首相の勇気に敬意を表したい。

  

2021年4月21日水曜日

より良い入試制度とは?

   記事の扱いは目立たないが、今朝の各紙に「英語民間試験・記述に消極論」との見出し( 『朝日』)で昨日の文科省の有識者会議で2025年以降の大学入試共通テストの英語の民間試験利用は「見送りを求める意見が大勢を占め」、国語と数学への記述式問題導入についても「消極論が強く」、「入試改革のかつての二大看板は当面実施されない公算が大きくなった」とのこと。二大看板の導入を決めた有識者会議とはメンバーの大幅交代もあったのか、何とも奇妙な結末である。

 なぜ方針転換となったのか。私見によれば、理想の入試問題を追求するあまり、他の条件を軽視したことに尽きる。私は退職後もしばらくは新聞掲載の大学入試センター出題の世界史と英語とくに前者には出来るだけ目を通していたが、数年前からやめていた。問題の質の向上は明らかだったが、解答への負担が大きくなるばかりだったから。

 大学としてできるだけ的確に受験生の能力を知りたいと思うのは当然だろう。しかし、今回の「改革」に限って言えば、 受験生の便益や親の財政的負担にもっと留意すべきだったろう。入試の質の向上の必要は留学でヒヤリングに苦労した私にもよく分かるが、競争条件の平等もそれに劣らず大切に思える。

 かつて有名進学校で教えた際、受験生活は辛いだろうが今後の人生で大学入試ほど公正な扱いを受けることはないと知れと激励した。その意見は残念ながら今も変わらない(この項二番煎じ?)。

2021年4月19日月曜日

新疆ウイグル自治区の現状は「ジェノサイド」か?

  日米首脳会談が終わり共同声明が発表された。台湾問題が注目の的だが、「香港及び新疆ウイグル自治区における人権状況への深刻な懸念」との箇所もわずか1行だが前者に劣らず重要である。

  他国の内政問題への批判は濫用されるべきではない。しかし、程度にもよるし、中国は国連の五大常任理事国メンバーであり、人権問題でも模範でなければならないはず ( 国連設立当時、米英仏中ソは「5人の警察官」にも例えられた )。

  米国はバイデン政権になってウイグル自治区での人権状況に「ジェノサイド」という表現を使用し始めた。私は当初そこまで言い切れるかとの疑問を抱いた。ジェノサイドとは単なる大量虐殺ではない。一民族つまり子供に至るまで抹殺する行為を意味する。軽々に使用されるべきではない。

  しかし、昨日の朝日新聞の『天声人語』によれば同自治区では中国の統計でも不妊手術は「2014年3千余りだったのが、18年には約65万件」「じつに18倍の増加」をしたという。それが事実ならジェノサイドの呼称は誇張とは言えない。

  現在の自治区の人口はウイグル族と漢族がほぼ同数らしい。国策で多くの漢人が送り込まれた結果だろうが、イスラム教徒のウイグル族は産児制限をしないはず。中国政府はウイグル族が再び多数派になることを恐れているのだろう。しかし、だからと言って国策による強制的な「間引き」が許されて良いはずが無い。中国は早急に国際機関による調査を受諾すべきである。

  

2021年4月16日金曜日

韓国の軍備は何のため?

  今日の『産経』によると、韓国が新しく国産戦闘機を完成披露したという。当然最新の装備を盛り込んだろうが、レーダーに映らないステルス性能はないという。それでは米国製のF35戦闘機より劣るが、超高価なF35を購入するよりも同じ費用で非ステルス機を何機か入手する方が利口と考えてもおかしくない。それより何より時刻生の戦闘機を持つ誇りはどの国民も同じだろう。

  我々は韓国の軍備は北朝鮮の攻撃に備えるものと思いがちだが、ヘリ空母 ( 2007年、「独島」の完成 ) や、給油機をエアバス社に4機発注、射程1500キロのミサイルも開発中と聞くと、目的は別と知れる。北朝鮮の奥行きは300マイルで、給油機も中距離ミサイルも必要ないから。

  以上の知識は朝日新聞の元軍事記者の田岡俊次氏のAera ( 9月9日号 )掲載論文による。それによれば「陸軍49万」の韓国は日本の自衛隊の3.6倍。国防予算は日本の76% ( GDP比 7.5% ) で遠からず日本を上回る。「韓国はすでに軍事大国であり、日本を仮想敵国としていることを認識すべきだ」との結論。

  私はこれまで何度も田岡氏の新聞紙上の記事を読んでおり、朝日新聞の論調との違和感を覚えたことはなかった。しかし、同氏の掲げる数字を無視して良いとは思えない。日本による韓半島の再侵略など米国も中国も許すはずがない。韓国の軍備強化は水も自給できない独島死守のためなのか。それとも最新の兵器を持ちたがる軍人の本性の現れなのか。現在の韓国がそれほど軍人主導の国とは思えないが。

2021年4月14日水曜日

原発処理水の海洋投棄

  日本政府は東電福島第一原発の処理水を海洋投棄する方針を決めた。それに対し全国と福島県の漁業団体の長がそれぞれ絶対反対を表明した。新聞各紙は、「唐突な政治判断  地元反対を押し切り」との見出しの『朝日』から、「他に選択肢はなかったろう」( 社説 )との『読売』を両極に、日頃の政治姿勢を反映した主張をしている (『産経』は未見。『日経』は地元との対話が不十分だったとしながらも、「決定内容は妥当」とする )。

  福島県を中心に漁民が風評被害を心配して反対するのは理解できる。それに対して、有識者会議が海洋投棄を是認していると反論しても、各国の原発もトリチウムを海洋投棄していると反論しても有効ではない。漁民自身が風評被害であることを認めているのだから。風評ならば敷地内のタンクがすでに1000基に達していても、今後何年経とうが賛成に変わることはあるまい。

  2021年現在、中国、韓国をはじめ少なくない数の国が我が国の水産物の輸入を禁止したり制限している。そうした国々からすれば、処理水の放出を我が国が許さないことは禁止の絶好の口実となっているのではないか( まだ正常復帰していない )。私には処理水の海洋放出は、長い目で見れば漁民を不当な状態から脱却させると思える。

  

2021年4月11日日曜日

旬の食材

  タケノコを八百屋の店頭に見かける季節となった。私は自分の味覚に幻想は持っていないが、季節の食材は一度や二度は味わいたいし、タケノコは中では好きなほうで、やはりこの時期に欠かしたくない。

  最近、テレビニュースで二度タケノコ堀りの場面を見た。1度目はプロの農家のタケノコ堀りで、素人には分からないほどの微妙な地面の変化を察知し、完全な形で掘り出すわざに感心した。2度目はレクリエーション的なタケノコ堀りで、すでに地上40センチほどに伸びたものを掘っていた。固くなっているのではと思ったが、楽しい行事ならそれはそれでいい。

  図書館分室への途次の竹林でもタケノコは何本も膝の高さに育っているが、掘る気配は皆無。店頭ではそう安くもないのに日本も贅沢な国になったと昭和ひとけたの人間は思う。

  半世紀前、斜面に立つ現在の我が家に入居したとき、バス道路に面した北面に孟宗竹を植えた。竹は一年で成長する。出来るだけ早く家を緑で囲みたかったし、竹の葉ずれの音に憧れたのである。目論見どおり三年か四年で竹林となったが、同時に竹の根が盛大に下水溝に侵入した。放置することもならず、私の名案は御破算となった。

2021年4月9日金曜日

医療費負担の変更

  政府がようやく重い腰をあげ、医療費の9割を負担免除される層と7割を免除される層の間に8割免除の層を設定する案を国会に提出するとのこと。将来の一層の少子高齢化を考慮すると若年層の負担は増大する一方だろう。それに備えて高齢者の負担率を上げるべきだとこのブログでも書いた記憶がある。

ところが、私自身が80歳の大台を越すと医療機関通ひの回数が倍増し、なるほどそうした事情も斟酌する必要もあると反省した。それでも高齢化社会の進展は避けようのない事実であり、これまでの延長では済むまい。

その点で今度の政府提案は遅まきながら第一歩として評価できる。これまで所得金額により患者負担が1割から3割にジャンプするのは唐突すぎた。もっとも三種への分類変更となって私自身はどこに属するかが分からなくなってしまった!

立憲民主党は政府案に反対して高額所得者の自己負担の増額を提案するという。しかし、彼らへの負担増額だけで将来の危機を回避できるとも思えない。かつて社会党が政権を取ったとき、それまでの日米安保条約の評価を百八十度変えた経過をもう一度繰り返すのだろうか?

2021年4月2日金曜日

ロンドン・オリンピックをふりかえる

  吉村大阪府知事が大阪市の聖火リレーを中止すべきだと発言した。府と市の関係がどうなっているかは知らないが、このところの大阪の感染者数の激増を考えれば聖火リレー中止は妥当だろう。オリ・パラ大会自体の開催すら危ぶまれるが、あくまで開催を目指すなら競技以外はできるだけ簡素にすべきだろう。

  第二次大戦中の中止を経た戦後最初のオリンピックは1948年のロンドン大会だが、未曾有の戦火、とくに「ロンドン空襲」として名高い大きな被害の後、通常の大会など開催できるはずも無く、節約に徹した大会だった。

  今朝の毎日新聞のコラム『金言』に小倉孝保編集委員がロンドン大会の実情を紹介している。競技場はむろん新設など論外。選手や関係者の宿は軍や大学の施設を利用。交通は選手も地下鉄など公共交通機関を利用。大会期間中の食料も自前で調達だった。競技施設の不備もカナダが水泳の飛び込み板を持参。スイスは体操用具を、アルゼンチンは馬術用の馬を提供。ある競技は実施が予定より長引き日没となったが、自動車のヘッドライトの光を集めて続行したという。

  それでも今日、ロンドン大会にケチをつける人は居ない ( 敗戦国日本は参加を許されなかったが、それは別問題 ) 。コラム筆者の言いたいのも初心に帰れということだろう。私も同感だ。1948年と現在では比較できないと言う人もあろう。しかし2021年は対コロナ戦争の最中であることを想起すべきではないか。