2020年6月28日日曜日

その労働に感謝

一週間ほど前 ( 6月21日 ) に民放テレビで放映された『超巨大コンテナー船に乗せてもらいました』というドキュメンタリーを見た。二夜放映なのだが、前半 ( 往路 ) は一部しか見なかったので、録画した後半 ( 復路 ) を今日見た。圧倒的な迫力があった。

全長400メートルの巨大船に約1万個のコンテナー積んでヨーロッパに往復するのだが、我が国には接岸できる港は存在しないので、日本向けのコンテナーはシンガポール港で降ろし、別のタンカーで日本に運ぶとのこと。乗組員30名ほどは3名のフィリピン人コックを除けば全員日本の海の男たちと言いたいところだが、25才の女性三等航海士が独り乗っている。

ヨーロッパの最終寄港地はドイツのハンブルグ。そこで北欧産の木材などを積み、次の寄港地ロッテルダムで大麦など各種のコンテナーを積む ( 我が国のビール原料の大麦の9割は外国産とのこと ) 。地中海を横断しスエズ運河を抜けると紅海からアデン沖まで海賊の襲撃に備えて放水銃や船の周囲を囲む鉄条網まで準備して最高度の警戒態勢をとる。自衛艦と自衛隊機の協力が何と有り難い事か。

ドバイより東はコロナウイルス警戒のため上陸許可が出ない。シンガポールで下船予定だったテレビチームも下船できず、中国や韓国にも寄港を断られ、やっと香港で上陸を許可された ( コンテナー船は同地から再びヨーロッパへ )。力仕事に耐えた女性航海士ら乗組員、日本の料理本を手渡され立派な和食を作ったフィリピン人コックたち、航路の安全を確保した自衛隊員たち。感謝とともに、せめて物質面でその労働に応えてあげたいと思った。

2020年6月25日木曜日

河野防衛相の決断をほめたい

河野防衛相が口火を切ったイージス・アショア配備計画の撤回に内閣が同意した。むろん安倍首相が不承不承でも同意しなければ防衛相の発表もあり得なかった。それでも私は河野氏の決断を高く評価する。今朝の朝日新聞による内幕報道によると、河野氏の配備中止論を首相はやはり不承不承受け入れたようだ。

イージス・アショアの導入計画が当初から賢明でなかったかは専門家でない私には何とも言えない。しかし秋田と山口の配備予定地の住民の強い反対もさることながら、ブースター落下防止のための改良に多額の追加費用と長期の配備の遅れが明らかとなった。それを指摘され首相も不承不承受け入れたようだ。
しかし、その背景には北朝鮮のミサイル技術の大幅な向上があった。最終的に数千億円 ( それ以上?) 必要なイージス配備といえどもミサイルが一発でも防衛網を突破すれば基地は廃墟と化すだろう。仮に性能向上が言われるほどでないとしても数十発も同時に撃ち込まれたら同じ結果となろう。現在ではミサイル攻撃に対する防御は経済的に成り立たないようだ。

一方、トランプ大統領が配備見直しに怒るだろうことは間違いあるまい。すでに韓国には従来の5倍の駐留費を要求している米政権が、防衛費をGNP1%枠の我が国を大目に見るはずがなく、NATO諸国並みの2% ( 守られていない国も少なくないが ) を求めてくるだろう。それに抵抗するには限界があろう ( NATO諸国も基地提供をしている ) 。それでも所持金をドブに捨てるようなイージス配備よりはずっとマシである。


2020年6月22日月曜日

フォークランド戦争の捉え方

「妻にして母にして一国を負ふ者が  撃て撃て撃てと叫びて止まず」「画面より『鉄の女』の声ひびき  東のわれの今日のおののき」。今日の東京新聞の『昭和遠近』という連載コラムに三国玲子歌集『鏡壁』の短歌を歌人の島田修三氏が紹介している。「鉄の女」で分かるように、サッチャー英首相のフォークランド戦争 ( 1982年 ) に際しての行動を批判した三田氏の短歌である。

フォークランド戦争は、アルゼンチン沖数百キロの英領フォークランド諸島 ( アルゼンチンではマルビナス諸島 ) を当時のアルゼンチンの軍事独裁政権が自らの不人気を挽回するため占領した紛争で、記憶しておられる人も多いだろう。米国を含む列国の仲裁の試みを退け一度は全島を占領したアルゼンチン軍に対し、サッチャー首相は二百数十名の戦死者を出しながらも軍事力で数千キロ先の島を奪回した。アルゼンチン側は女性と見て英首相を見くびった面もあろうが、それ以上に、反植民地主義の旗を掲げれば英国は反対できないとタカをくくったのだろう ( 島民は英国人の意識 ) 。サッチャーは勝利し、ガルチエリ首相はは敗北した。

英国艦隊がポーツマス港に帰還したとき出迎えた民衆の熱狂をニュースで見て、平生は冷静な ( 冷静を装う?)英国民とは思えなかった。思えば1956年の第二次中東戦争 ( ナセル政権によるスエズ運河会社接収を怒り英仏イスラエル三国軍がスエズ地区を占領した ) で米国にまで反対されて撤兵して以来、かつて「太陽の沈む事なき」英国は反植民地主義を掲げる現地勢力につねに譲歩を強いられて来た。その無念を晴らす機会をついに英国民が捉えた故の熱狂と私は理解した。

その後、フォークランド戦争を回顧した「勝利の代償」という題の英国の民間放送 ( グラナダテレビ?)の番組をNHKで見た。事実を冷静に辿っており、アルゼンチンに好意的とは言えなかったが、同国の兵士たちには同情的だった。最後に息子を戦死させた英国の母親の深い悲しみが語られていた。私はこの番組の偏らない姿勢に感じ入って授業で録画を紹介した。


2020年6月18日木曜日

コロナ禍と米国プロスポーツ

我が国のプロスポーツもコロナ禍に苦しんでいるが、当然ながら外国でも同様のようだ。昨日の朝日新聞に「泥沼大リーグ  選手会との交渉難航   年俸削減で溝   最悪中止も」との見出しの記事が載った。当初はオーナーの代表と選手会との間で試合数に比例する減俸ということで合意したが、のちにオーナー側が無観客試合による収入減を加味して追加の減俸を求め、選手側が交渉決裂を表明したという。オーナー側の対応のブレも問題だし、無観客試合でもテレビ放映料は入るだろうから選手会側の不満はわかるが、選手側ももう少しファンへの配慮を示してほしい。

野球に限らず米国の一流スポーツ選手の年俸の高さは驚異だ。しかしファンが一流のプレーに満足して試合場を後にするのだから何の問題もないとの見方もあろう。それでも長期の中止に対するファンの失望に心が痛まないのだろうか。

私の草野球の経験など比較に不適当かもしれない。しかしスポーツをする者ならアマチュアであれプロであれ自分の絶妙な美技や快打を見せる喜びは何物にも代えがたいと感ずるのではないか ( 私見ではとくにファインプレー!)。

大谷翔平選手は一年待てば契約金が何倍にもなると予想されたのに一年でも早くプレーしたいと昨年渡米した。米国のアスリートもプロである前にスポーツ選手である事を示してもらいたい。


2020年6月15日月曜日

緊急時の対応

コロナウィルス対応の追加対策を盛り込んだ第二次補正予算が成立した。それを報ずる朝日新聞の見出しは「2次補正  疑念残し成立。   給付金事業委託 『中抜き』。  予備費10兆円『白紙委任』」とある。しかし私には事態の緊急性の認識を欠くと思われてならない。

もっとも批判を浴びた「持続化給付金」の場合、一日千秋の思いで待つ零細企業にとってスピードを欠く救済は無意味となり兼ねない。他にも各種援助金審査を抱えて忙しい役所が直接に扱えなければ業界団体に依頼するほか無いし、応募した2グループのうちより無理がきくと思われた「サービスデザイン協議会」が選ばれたのは不自然ではない ( 電通色が強いと明らかであっても ) 。同会が20億円「中抜き」したとの批判も送金手数料だけで15億円かかるとの報道もあり、予想外の事態も考えれば「中抜き」というほどのものだろうか。

給付実務が2次3次 ( 4次?)の下請けに肩代わりされたとの批判も事務量から考えれば何らおかしくないのでは。資格審査不要の10万円給付に比べれば、売り上げ低下が50%以上との条件つきの持続化給付金の手続きは対象数の差をしのぐ煩雑さではないだろうか。同日の同紙によれば、10万円の給付金の支払い済み38%に対し、持続化給付金の場合74%とか。批判に値する数字とも思えない。

予備費10兆円という額は異常であり、正常時なら許される額ではない。しかし今後の展開を予想することは困難である。スピードが死活的意味を持つ時、わずか数日の遅れも重大な結果を生み兼ねない。総じてメディア各社 ( 全部とは言わないが )の批判は事態の緊急性の認識が不十分ではなかろうか。


2020年6月11日木曜日

私の東京物語

東京新聞に「わたしの東京物語」と題した全30回の続きものがあり、3人の筆者が書き継いでいるようだ。昨10日は「東京03 」というお笑い三人組の一人角田晃広の7回目だった。私はこれまでこのコラムの存在に無関心だったが、今回「西永福と永福町」という見出しだったので思わず目を通した。

京王電鉄の井の頭線は渋谷と吉祥寺の間12.7キロを走る路線で、その中ほどに永福町駅と西永福駅がある。私は戦前戦中に永福町かろ渋谷寄り2駅目の東松原に住んでいた。現在は同線には普通の他に急行電車もあり、西永福や東松原は急行は止まらない。しかし戦前には急行はなく、普通車の半数は永福町止まりだった。

永福町の近くには大宮公園 ( 現在は和田堀公園 ) があり、何回も訪ねたことがある。大きな池には10メートルほどの高さから舟が滑走して着水するウォーターシュートという名の遊具があり、乗るとスリル満点だった。ウィキペディアによると豊島園とここしか無かったとか。

西永福には小学校 ( 国民学校と呼んだ ) の担任のK先生の習字塾があり、私は書道は上達しないまま終わったが、なぜかその担任には気に入られていたので一年ほど通った。帰りの西永福駅からは永福町駅で折り返す電車が見えた。

間もなく疎開が始まり、級友が一人また一人と姿を消した。そのさなかに父の転勤のためではあったが私も愛知県に移った。数年後、東京の大学に入学し早速西永福の先生宅を訪ね歓待された。しかし、先生自身も鳥取に疎開しておられたので、旧教え子たちとの交流はあまりなく、むしろ私に幹事役になって同窓会を開いて欲しいとの口ぶりだった。しかし、私とても級友たちに別れを告げるいとますら無く東京を離れていたので旧師の願いに応えられなかった ( のちに再会できた友は二人だけだった ) 。私よりずっと辛い思いをした同級生は多かったろうが、寂しい思い出である。

2020年6月8日月曜日

ミネソタ州の警官犯罪

米国の人種差別反対デモは鎮静化の兆しはない。同国ではこれまでも黒人に対する警官の暴力 ( とくに銃器による )による死は珍しくなかったとしても、今回の蛮行の悪質さはきわだっており、黒人たちの怒りは当然である。

私の見落としかもしれないが、死亡した黒人男性が何をした結果事件となったかは報道では分からなかった。一昨日 ( 6月6日 )の東京新聞の『本音のコラム』に「悲劇の背景」と題する師岡カリーマ氏の小文があり、やや詳しく事情を知った。

それによると死亡した男性はスーパーで20ドルの偽造紙幣を使用し、スーパーの店主が警察に連絡したことが事件の発端だった。しかし、米国の紙幣はニセ札が少なくないことは常識であり、男性が店の前にとどまっていたことから、かれはニセ札使用とは知らなかったとカリーマは判断する ( 私もそう思う ) 。一方、ニセ札と知って店主が警察に通報したとしても落ち度とまでは言えない。かれの店はその後、「脅迫や掠奪、破壊行為にあった」が、それでも遺族に葬儀の費用負担を申し出たという。

スーパーの店主はパレスティナ移民二世で、店は父が30年前に設立したとのこと。その故か、あるアラブ紙は「仮に客が白人や美女でもすぐ警察を呼んだか。我々はアラブ人差別を非難する一方、自らは黒人を差別していないか」と強い言葉で追及するこラムを掲載したとのこと。厳しすぎる感じもしないではないが..........。

以前読んだ各国歴史教科書の国際比較の書 ( 現在手元にない ) によると、アフリカの北部のアラブ系住民はかつてしばしば南部の黒人の奴隷狩りをした。しかし、アジア・アフリカ諸国の連帯のためか、アフリカ諸国の教科書には現在そうした事実への言及はないとのことだった。

「誰であれ、自らの差別意識を自問自省するのは大切だ」とのカリーマの結論には賛成である。

2020年6月5日金曜日

先進国とは

米国の黒人男性殺害事件が惹き起こした混乱状態に米軍派遣による対処を公言したトランプ大統領に対し、新旧の国防長官が反対を表明した。しかも両人とも元職業軍人であり、波紋をよんでいる。かつて原潜の艦長だった人が反核運動に加わったように、米国の軍隊には上官絶対服従の旧日本軍とは違った伝統が存在するようだ。

じつは我が国でも半世紀以上前に、日米安保条約改定に際し岸首相が自衛隊出動の可能性を打診したとき、赤城宗徳防衛庁長官が反対したため沙汰止みとなった。誕生したばかりの自衛隊を政治から出来るだけ離したいとの赤城氏の判断は賢明だった。原則論からすれば日米両国とも国民が選んだ最高指導者が任命した閣僚はかれに従うべきである。しかし何事にも例外はある。米軍を政治的対立から離したいとの願いは軍出身のゆえにむしろ強いのかもしれぬ。

その翌日?、31年前の天安門事件の犠牲者を追悼する香港住民の集会が本土に配慮する当局により禁止された。本土政府の要人が米国の黒人殺害事件を例に米国批判を強めている。しかし中国の要人が香港の自治侵害を批判すれば辞職どころか即重罪人となるだろう。

香港人がどれほど一国二制度を護ろうとしても本土との力の差は如何ともし難く、亡命しか道はないかもしれない。幸い、ジョンソン英首相は英国発行の「海外市民旅券」所持者35万人の英国滞在期間を延長 ( 半年→1年 ) するだけでなく、申請資格者250万人への「 将来的な市民権獲得」にも言及した。英国一国で受け入れ可能とも思えず、オーストラリア、カナダなどの英連邦諸国の協力も必要となろう。それでも旧宗主国の責任を多少とも果たそうとの意思は立派と言えるのではないか。

2020年6月3日水曜日

東京の憂鬱

昨日、東京都は「東京アラート」を発令した。なにやら警戒心を掻き立てる小池知事得意の英語使用だが、べつだん以前のステージ1に復帰するわけではないとか。しかし、地方が東京からの訪問者に疑いの目を向けるのではないかと思うと憂鬱である。

一昨日ようやく1人10万円の給付金の申し込み用紙が届いた。嬉しいのは否定しないが、公務員諸氏と同様我々年金生活者も収入が減少したわけではないので申し訳ないとも思う。かといって何処か有益な機関に寄付する義侠心もまだ湧いてこない..........。政府は消費振興のため給付したのだから使わなければいけないが、後期高齢者がモノを購入してもあと何年使えるのかと考えてしまう。その点、旅行はピッタリなのだが......。

私どもと違い、個人企業者とくに飲食業者などの苦しさは半端でないだろう。早急な支援が欠かせない。しかし、ガールズバーやホストクラブにまで支援金を配ると聞くと複雑な気持ちにもなる。

私には実感は全くないが、リモートワークの進展が通勤難を軽減したり、人口の大都市集中に少しでもブレーキをかける結果になれば、コロナ禍もすこしは日本の課題の解決に資するのではと願う。