2019年7月30日火曜日

古書店も欲しがらない復刻版文学叢書

裏のフェンスの取り替え工事に際して邪魔になる可能性のある倉庫の中身を前もって取り出した。本当に小さな鉄板製の倉庫なのに、30年を超えて積もったホコリにまみれた中高生時代の教科書などの古本類の多さにびっくり。その中に「漫画少年別冊」の手塚治虫の『火の鳥』の2号と3号があった。最近のお宝番組で漫画本でも希少本なら馬鹿馬鹿しい高値が付くことが少なくない。もしやと思ってインターネットで調べたが、どちらも300円未満らしく、夢ははかなく消えた!

今回出現した古書の中に宮澤賢治の『注文の多い料理店』の復刻本が表紙はボロボロになりながらも出てきた。以前にこのブログで言及したような気もするが、明治大正昭和3代の代表的な小説類三十数編を初版当時の装丁のまま完全復刻したほるぷ社の叢書 ( 昭和49年 ) を当時10万円前後で購入した。恥ずかしながらほとんど読まなかったので『注文の...』以外は新品同様。終活の一環として文学書専門の某古書店に売却しようと電話したら、倉庫が満杯なのでと見事に断わられ驚いた。当時は全巻揃っていると思っていたが、今回ようやく揃ったのだが......。

もう読むことも多分無いので誰かに無償で進呈したく、幸い旧同僚が引き受けてよいと言ってくれた。しかし、彼は私より2歳ほどの後輩なので、遠からず?ご子息にとって ( 我が家と同様 ) 迷惑物となるので躊躇せざるをえない。専門書がほとんど無価値と評価されたのも悲しいが、復刻版の文学書も例外ではなかった。こんなご時世になろうとは..........。私は長生きしすぎたのだろうか!


2019年7月29日月曜日

だれに「おもねる」のか

 NHKの報道姿勢が政府寄りで偏向しているとの批判はなんら新しいものではないが、今回の参院選で「NHKをぶっ壊す」と主張する党が国政に名乗りをあげ議席を得たことには驚いた ( 私は視聴率競争を重視せざるを得ない民放だけになって欲しくないので )。しかし、同党の「結党目的」を読むと前記のスローガンほど過激ではなく、「偏向是正」を目的とするわけでもないようだ。

昨日の『毎日』の読者投稿欄に「今のNHKは信用できない」との題の文章が載っている。投稿者は「現経営陣によるNHKを私は信用していない」「NHKのニュースを見る度に、政権におもねるも検閲が行われているのではないかとの疑念が湧き......」と書いている。しかし、メディアが「おもねる」対象がつねに政権と考えるのは単純極まる。メディアにとっては「世論」におもねる方がずっと容易である。新聞社にとっての購読部数、テレビにとっての視聴率はメディア各社の死命を制する。それに対する反論としてはテレビ局に対する放送免許の取消や不更新の危険があるが、現在の我が国で政治的理由による中央キイ局の廃止などできるとは思えない ( 内閣が吹っ飛ぶだろう ) 。

一時期、籾井勝人前NHK会長の政権に「おもねる」姿勢がメディアで再三批判された。私もNHKは政府の方針を無視できないとの意味の発言は問題だと感じた。しかし、のちに籾井氏の問題発言はNHKの国際放送に関してだと偶然知った。私は国民の視聴料で支えられるNHKの国際放送が対外的に政府批判を繰り広げるのはどうかと思う。

最近、上田良一新会長が板野NHKエンタープライズ社長を本社の専務理事に呼び戻した。しかし、『朝日』( 5月23日 )によると籾井氏は「 板野氏と政権との関係が強すぎる」として「1期2年で総局長を退任させ『彼を絶対に戻してはいけない。NHKの独立性が失われてしまう』と当時の朝日新聞の取材に対しても口にするようになった」とのこと。

私は上田、板野両氏について何も知らないので批判する気はない。しかし、『朝日』が籾井氏の自社の取材中の発言を当時報道せず、今頃明かすのは納得できない。

2019年7月25日木曜日

松方コレクション展によせて

現在、上野の国立西洋美術館で開催中の松方コレクション展に合わせて、NHKの『日曜美術館』で「3000の数奇な運命   松方コレクション百年の旅路」が放映された ( 7月14日 )。最近ようやく録画で鑑賞したが、一昨日 ( 23日 ) にBS日テレの『ぶらぶら美術館・博物館』でも同展を紹介していた。両者には数字など細部で違いもあったが、断片的にしか同コレクションの由来を知らなかった私には教えられることが多く、感動を禁じえなかった。

よく知られているように同コレクションは、第一次世界大戦中に莫大な利益を得た「川崎造船所」( 船の需要は無限だった ) の経営者の松方幸次郎が英仏両国で買い集めた3000点に達する絵画や彫刻などを指す。両国人の優れたアドバイザーにも恵まれ大金を投じて買い集めたが、一方で富豪の道楽買いと見られもした。その面が無いとは言えないが、最近、特定の絵を入手して大層喜んだ手紙も明らかになり、必ずしも量だけを追い求めたわけではなかった。さらに文中には日本人が「西洋人の心を理解する手助けをしたい」とのコレクションの目的が記されており、同胞の西洋理解を深めることも目的だった。

しかし、3000点の美術品の半ばは関東大震災の猛火により失われ ( NHK ) 、日本政府が「贅沢品」輸入!に100%の税を課するためロンドンに保管中だった900点は第二次大戦中のロンドン空襲により失われた ( 同 )。パリに保管された400点はドイツ軍の進駐の前に郊外に疎開され喪失を免れたが、戦後の返還 交渉( 大戦中の日本はフランスの敵国だったため「返還」ではなく「没収品の寄贈」と見做すフランスは、20点を返さなかった !)でフランス政府は散逸しないよう単一の美術館への収納を「寄贈」の条件とした。こうして国立西洋美術館が誕生した。

第一次大戦終了とともにわが国の戦争景気は終わり、昭和恐慌の中で川崎造船所の経営も破綻した。社員にとっては社長の美術品道楽も一因と感じられたことだろう。しかし、大きく異なる文化を持つ日本人に「西洋人の心を理解する手助けをしたい」との松方幸次郎の高い志は失われなかったと言えるだろう。そして、そうした志は松方だけでなく多くの明治人に共通したものだったろう。

2019年7月23日火曜日

失敗は成功の母

メディアでここしばらく格好のテーマにされていた参院選挙が終わった。改憲を目論む三党の議席が3分の2に達しなかった事実を新聞各紙は強調しているが、いささか苦しい。モリカケ問題から始まり度重なる失言や年金問題を考えればむしろ与党の勝利だろう。

野党の不振の理由はいくつか考えられるが、何と言っても民進党政権の失敗が未だ有権者の記憶に残っていることが大きいだろう。しかし歴史上、保守派政権の無能や悪政を批判して政権交代を果たしたものの改革を実現できずに退陣した左派政権の例は珍しくない。

そうした先例の嚆矢と言えるのが1929年成立のマクドナルド内閣の失敗である。英国史上最初の労働党単独内閣は折からの世界恐慌という不運もあり分裂崩壊し、第二次大戦直後のアトリー内閣まで労働党は長い雌伏の期間を迎える。しかしその間、チャーチルの戦時 ( 挙国一致 )内閣に入閣して得た統治の経験を生かして戦後、世界最初の無料の医療保険制度 ( 今日でも外国人も無料。行き過ぎとの批判はあるが ) の導入など大きな改革を成し遂げた。失敗は成功の母ということだろう。

それにしてもナチスドイツを打倒した英雄のチャーチルを戦後ただちにお払い箱にした英国国民の冷静さ ( 政治的成熟 ) には驚く。現在のEU脱退問題をめぐる混迷が嘘のようである。国際統合と国家主権の間の妥協はそれほど難しいということなのか.........。

2019年7月21日日曜日

大量放火殺人に想う

川崎市登戸の私立学校生殺傷事件をはじめ最近痛ましい事件が続いたが、放火殺人事件としては過去最大級と聞く京都アニメーション社の大量殺人事件は痛ましさも最大級である。

私自身は京都アニメーションの社名も知らなかったし、作品名も一つぐらいしか記憶にないが、日本のアニメ作品が世界でも高い評価を得てファンも世界に拡大しているとは聞いていた。何よりも、作画を愛し希望かなって入社した若い人たちの大量死にはこんなことがあって良いのかと思う。不満を抱いた元社員の復讐といった事情 ( だから許されるというものでは無論無いが ) すら無さそうだ。他人の私からしても憎んでも憎み足らない犯罪である。

死刑制度を容認する私でも絞首刑といった残酷な処刑方法は改めて欲しいと思っていた。しかし今回は「八つ裂き」といった苦痛に満ちた刑がないのを残念に思う。被害者やその家族もかならずや同じ思いではないか?  死刑廃止論者はどう反論するだろうか。

一昨日の東京新聞のコラム『筆洗』( 『朝日』の「天声人語」や『読売』の「編集手帳」に当たる )に、「世の中に想像を超えた蛮行をためらわない人間が、やはりいるという事実が今は重い」とある。全く同感だが、同紙がこれまで死刑制度にどういう意見を表明していたか知りたい。事後の「ワニの涙」ならもう沢山である。

2019年7月16日火曜日

フェンス工事が終了

今月早々に始まった我が家のフェンス取り替え工事が連休前に予定通りに終了した。梅雨期のため工事期間の延長も計算済みだったが、さいわい関東地方は曇天ながら雨は降っても夜間だったのが幸いした。

フェンス取り替えと言っても道路に面した南面はずっと以前に改築していたので、斜面に面した北面のフェンスの取り替えだった。金網式のフェンスは半世紀を経て見栄えは悪くなっていたが、下の道路からわざわざ見上げる人もいないので私は気にならなかった。しかし、ブロック部分が一部崩れかけていたので家人の要望に従った。

ということで私個人はあまり気乗りのしない取り替えだったが、完成してみるとやはり気持ちは良く後悔は全くない。何より最大時数名の職人たちのてきぱきした仕事ぶりには感心しきりだった。感じの良い人も不愛想な人もいたが、期限内にきっちり仕上げてくれた。米国やフランスなどでの職人のいい加減さを読んでいた ( 自分の経験ではなく ) ので、わが国の職人道は衰えていないと誇らしく感じた。

フェンスの向こうの景色は半世紀前にはまだ田んぼも残り、夏の夜は緑色のウンカが窓にびっしり付いた。今は手前に戸建て住宅、駅近くにマンション群が並び、多摩川は全く見えなくなった。タヌキかアライグマは出没しわるさをするが、ヘビは姿を消して久しい。それに合わせるかのように住民の高齢化が進んだ。ふた組ほど残った若い家族の小学生の子供たちが前の道路でサッカーをする声がむしろ快く響く。

2019年7月13日土曜日

ドゥテルテ比大統領への評価

今日の朝日新聞に「比『麻薬戦争』あふれる遺児   国連人権理事会が調査要求」との見出しの記事が載っている。7月11日に国連人権理事会が、フィリピンのドゥテルテ政権が追求する麻薬犯罪対策のもとでの超法規的殺人といった人権状況について調査を求める決議を初めて採択したとのこと。

ドゥテルテ大統領によるフィリピンの麻薬犯罪の追求の中での多数の人権侵害は以前から報道されており、ついに国連人権理事会も動き出したとの記事である。それによると殺し屋たちとその犠牲者を合わせると死者1万7000人、その結果親を失った子どもは17年9月までに3万2395人に達するという。深刻極まる数字である。

麻薬犯罪はわが国では微々たるものだが、米国などでは深刻な事態になっていると聞く。トランプ政権による米国とメキシコとの国境での壁の建設は両国間の難問となっているが、じつは越境者の大半はメキシコ人ではなく、ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラの国民であり、これら三国ではギャングの跳梁に政府は無力で、住民は自らと家族の生命を守るため国外脱出を図っている。つまりこれら三国は最悪の破綻国家なのである。

フィリピンも今ギャングの麻薬犯罪を防止しなければ中米三国と同様に破綻国家になるだろう。私の目にはドゥテルテ氏はどんな悪評を浴びても破綻国家への歩みを阻止するため体を張って行動していると映ずる。今回の国連人権理事会の調査要求は47理事国中、賛成18、反対14、棄権 ( 日本も ) 15で決まったという。積極的賛成は4割にも達しなかった。国連人権理事会の専門家たちはフィリピンが破綻国家になったとき、どう責任を取るつもりだろうか?

2019年7月11日木曜日

野球と国民性

今朝の朝日新聞の多摩版に、「帰国、日本流を体感    ICU高 白鳥誠大投手」との見出しの記事が載っている。昨日初戦敗退したICU高校のエース投手は小中校時代に米国でベースボールに打ち込んだ。高校から帰国したが、日米の「野球文化の違いに戸惑った」とのこと。

彼は日本の高校野球の「犠打の多さ」、観客席の吹奏楽の応援の「うるささ」に違和感を持ち、「マネージャーって必要?」とも感じたという。しかし、「次第に周囲の支えに感謝の気持ちが生まれた。守備陣の頑張りでピンチを脱し、犠打で好機が広がる。全員野球の大切さが分かった」「うまいだけがすべてじゃないと、日本で少しずつ学んだ」という。

米国の国技の野球がわが国に移植されて100年あまり。両国民の国民性の違いは、ほぼ同じルールのスポーツにまで及んでいるようだ。図式的な言い方になるが、選手の自主性の幅が大きく、伸び伸びとしたプレーを許す米国流に対し、チームの勝利のため自分を犠牲にすることも厭わない日本流との違いである。自由と規律とどちらが良いと言うつもりはない。

米国人はアフリカ系と先住民系 ( と中南米系 ) を除けば全員が自分の意志で大西洋を渡った人たちの子孫であり、当然に自己主張を貫くタイプが多いのではないか。それに対し、近年、日本人も生活感情など昔とずいぶん変わったが、それでも米作農民だった時代の協調性 ( 共同体への忠誠心?)が残存しており、それが時に美意識にまで昇華されているのだろう。

日本人の私も無論その例外ではない。それでもスポーツ観戦記事のあまりの自国贔屓には馴染めないが..........。


2019年7月6日土曜日

日韓米のトライアングル?

日韓関係は底なしの悪化をたどっている。わが国が韓国の必要とする半導体関連品の輸出に制約を課した ( 輸出禁止ではない ) のに対し、韓国の朴政権が我が国と結んだ慰安婦財団の合意の破棄を実行に移した。

前大戦中の韓国人徴用工の日本企業への補償要求を同国の最高裁が正当と判決したのに対し、日本政府が日韓間の解決済みの問題を蒸し返す判決として是正を要求したが、文在寅政権は言を左右にして応じなかった。韓国も三権分立の国でありむやみに司法部の決定に干渉できないとの韓国政府の主張には、それなりの論理が通っていた ( 国際法上の問題を別とすれば ) 。しかし両国の合意に基づく措置を一方的に破棄する今回の韓国の決定は明らかな国際法違反だろう。

わが国の韓国への輸出制限は日本経済にとっても打撃となる可能性がある上に、WTO ( 世界貿易機構 ) が日本に不利な判定を下す可能性は大きい ( WTO は自由貿易に有害か否かにしか関心は無いだろう ) 。それでも安倍政権が輸出制限措置を発動するのはトランプ政権の暗黙の支持 ( ないし理解 ) を感じているからでは無いか。

昨夜のBSフジの「プライムニュース」で二人の経済評論家 ( 真田幸光、鈴置高史 ) は、今の日韓関係は米韓亀裂の反映との意見を述べていた。米国はいまや非友好国となった韓国に半導体の多大なシェアを委ねる危険を感じているのではないか。ドル債務の多い韓国にとり日韓間の不和はウォン貨の下落を招くだろう。それでもよいのかとの米国の不快感のシグナルではないか。

両氏の予想が正しいかどうか私には分からない。しかし最近文在寅大統領が朝鮮戦争当時の北朝鮮の将軍を称賛したとの報道は私を驚かせた。短気なトランプが北朝鮮の核廃棄と米軍の韓国撤退を取引する可能性は皆無ではあるまい ( 中国は大歓迎だろう )。何事も損得で判断するトランプには「駐留なき同盟」は魅力的だろう。北朝鮮の影響力が半島全体に及ぶことは歴代の米政権にとっては悪夢だったが、トランプがそう感じるかは確かではない。少なくとも文在寅政権は反対しないだろう。文氏は朝鮮戦争への米国の介入を迷惑なことだったと考えているのではないか。わが国もそうした将来も見据えなくてはならないだろう。

2019年7月1日月曜日

独裁の二つの型

「アラブの春」当時のエジプトで選挙で選ばれたモルシ大統領が軍事クーデターにより打倒されてもう数年になるが、先日裁判を受けている最中に急死した。図式的に捉えればシーシ軍事独裁政権による民主主義の圧殺とも言える。しかし私はそうした新聞報道に納得できなかった。一昨日 ( 6月29日 ) の東京新聞の『本音のコラム』欄に常連寄稿者のカリーム師岡氏の「小粒のモルシ」との小文が載っており、同感するところが多かった。

彼女によるとモルシは他のイスラム同胞団の指導者たちが立候補を禁じられたため立候補した小粒の幹部で、「カリスマを求めるエジプト人から見るとモルシは大統領の器ではなく.......、宗教色の強い勢力のかいらいとも見られ、このままでは寛容な文化立国エジプトが失われてしまうという感情が広がった」「退陣を求める数百万人規模のデモと軍の介入によりモルシは失脚し.......、当時は多くのまっとうな知識人が退陣要求に賛同した」とのこと。師岡氏も元大統領の異常な死に「胸が痛む」とするが、「モルシが早々に辞任していれば」との思いを禁じ得ないという。

カリーム師岡氏の日頃のコラムは私にときにアラブ弁護色を感じさせるが、啓発されることも多い。エジプトの軍事独裁政権はナセル大統領の時代から一貫してイスラム同胞団を禁圧してきた。彼らは西欧流の民主主義をエジプトで直ちに実地に移すことはできないと考えたが、エジプトの近代化は目指していた。しかし、イスラム原理主義、広く言って全体主義イデオロギーにとっては他の思想は禁圧すべきものでしかない。カリームのように、「寛容な文化立国エジプト」を大切に思う人間には同胞団の支配は望ましくなかったろう。世界の四大文明の発祥地との彼女の自国への誇りは排他的イデオロギーに馴染めないのだろう。近代化を推進しようとしたケマル・パシャ流の独裁と近代化を否定する復古主義的独裁とは似て非なるものではなかろうか。