2019年4月27日土曜日

名歌を再現する歌碑

かなり以前から各地の観光地にボタンを押すとその地にちなむ歌謡曲や唱歌が鳴り出す碑のようなものが建ち始めた。特別に料金を取られるわけではないのでこれまで数箇所で試したことがある。

一番その場所にふさわしくなかったのは信州諏訪湖畔の、天竜川がそこから始まる釜口水門の傍の小公園にある「琵琶湖周航の歌」の碑である。作詞者の旧第三高等学校生の小口太郎の脳裏にあったのは故郷の諏訪湖畔の風景だったというのが長野県人の言い分なのだが、それで滋賀県人が納得するとはとても思えない。

美空ひばりの「みだれ髪」の碑は福島県の南端に近い塩屋埼灯台にある。観光旅行の途中に立ち寄っただけで私はひばりの持ち歌にその歌があることも知らなかった。数多いひばりの歌の中でも結構知られた歌らしく、確かに心に残る歌ではある。

東北地方の桜の名所の一つに北上展勝地がある。私が訪れた時はわずかに花の盛りは過ぎていたが、大河北上川の風情はあり、そこに「北上夜曲」の碑があった。往時そのあたりの物産品を河口の石巻まで運んだ和船が復元されて係留してあり、北上川の水運用としての価値をしのばせられた。

信州の小諸城址には以前から藤村記念館があるが、近年そこに藤村が教えた小諸義塾の記念館が加わった。その前に藤村の詩に藤井英輔が作曲した「惜別の歌」の碑があった。もともと作曲者の母校中央大学の学生歌であり、彼が、学徒出陣する友の無事を祈って作ったと聞く。そうした由来を聞けばいっそう心に染みる歌である。

2019年4月25日木曜日

博物館歴訪

40年ほど続いた奥多摩 (青梅市)の吉川英治記念館がこのほど閉館したとのこと。戦時中に吉川が疎開してそのまま住み続けた緑豊かな邸宅を歿後記念館としたもので、開館当時、近くに夫人が開いた和菓子店で夫人自身の笑顔の応対を受けた記憶がある。その後、学生の博物館学実習の視察 ( お礼参り?)のため再訪したが、入館者数の減少には勝てなかったとか。

いつ頃からか、博物館学実習という教科が導入され、教員が交代で一回は視察することになった。私はマイカー利用のため希望して遠い所を担当することが多く、山本有三記念館 ( 三鷹市。これは近い ) 、半蔵門のカメラ博物館 ( 我が家からは遠い!)、千葉県立関宿城博物館などを訪ねた。山本有三記念館は太宰治が入水自殺した玉川上水沿いの大正末期の典雅な洋館 ( 有三が住んだ ) だった。現在はそこから歩いて数分のジブリ記念館がポピュラーである。学生は本格的に学べる大規模施設よりも気楽な小施設を選びたがると感じた。カメラ博物館のことはこのブログで、「開運鑑定団」の常連の鑑定士に関連して触れたことがある。

千葉県立関宿城博物館は千葉県の北端の野田市のそのまた最北端の、利根川と江戸川の分岐点にあり、旧城跡の近くに再建された城にあった。担当の役職者が応対してくれたが、私の母が房総半島の突端の白浜町 ( 当時は安房郡長尾村根本 ) の出身で私も毎夏を母の実家で過ごしたと告げると、実習生の話題そっちのけで大いに話が弾んだ。博物館の直前には終戦時の首相の鈴木貫太郎の生家と記念館もあり、この日の私はすっかり行楽気分になった。千葉県の縁者だから贔屓するのではなく、一見に値するのでは?

2019年4月23日火曜日

日本は世界有数の安全な国!

スリランカで無差別テロが起き数百人の死傷者を出した。同国の国情は複雑で、わが国の南アジア専門家も直ちには犯人たちの推定が困難だったようだが、スリランカ政府はようやく宗教的マイノリティのイスラム教徒の犯行と断定した。専門家ではない私には憶測しか出来なかったが、キリスト教会と外国人がテロの目標ということなら仏教徒やヒンズー教徒よりも同じ一神教のイスラム教徒の犯行だろうと考えていた。

21世紀の世界で今回のような全く無関係な人々に対する凄惨な手口の犯行に弁解の余地はない。しかし、異教徒や異端派に対する蛮行は史上数多くあり、特定の宗教や民族に限られない。キリスト教世界にも中世以来宗教戦争は絶えなかった。本ブログで先日偶然言及したフランス南部の異端派 ( カタリ派 ) と正統派の宗教戦争もその残虐さは相当だったと聞くし、十字軍が聖地エルサレムで異教徒に蛮行を働いたことは事実のようだ。

それでも現代の欧米や我が国で今回ほどの凄惨な事件は考えられない。特定の宗教や民族性と蛮行との親近度がゼロとは私は思わないが、主たる理由は多くの途上国と欧米や日本との歴史的発展段階の差だろう。そしてその段階の差はまだまだ簡単に埋められないだろう。

あまり自覚されていないようだが、我が国とヨーロッパでは日本の方が人種や宗教に起因する暴力に対し安全度は高い。『東京新聞』(4月22日)の「ハーフと向き合う」という特集記事でスウェーデン人とのハーフの子育てをするノンフィクション・ライターの山本真弥氏は、「子育ては、しばらくは日本でする予定です。日本は子育てがしにくい国ではないし、医療体制も整っています。何より日本は安全です」と語っている。北欧諸国といえば人権が尊重される最も安全な国と思われがちだが、数年前、人種問題に発するテロで20~30人?の死者が出た。

何年か前、保育園に子供を入れられなかった母親が、「保育園落ちた。日本死ね」と発言して話題となった。私に我が国の母親の困難は所詮実感できないし、多少過激でも発言の自由は何よりも守られなければならないが、もう少し世界に目を向けて欲しいとは思う。

2019年4月21日日曜日

中国人学者の元号観

わたしは2週間ほど前の本ブログで元号騒ぎは「終わってみれば大山鳴動、鼠一匹」と書いた。発表までのメディアでの憶測騒ぎがこれで一段落すると思ったのである。それは大間違いだった。その後、テレビ・コメンテーターの吉永みち子によれば、「日本人がこんなに元号に興味を持つと思われなかったというくらいの大フィーバーだった」( 『毎日』4月20日 )。

日本人がフィーバーしたのか、メディアが勝手にフィーバーしたのかは確かでないが、元号決定後の内閣支持率が9%上昇した ( 同 )となるとやはり国民の関心事ではあるのだろう。何しろその間、閣僚の問題発言が相次いだのだから ( 今さら国民は驚かない?!)。

昨日の『朝日』に北京大学教授で元号問題の専門家のインタビュー記事が載っている。辛徳勇教授は「令和はわかりやすく、書きやすいので良いと思う」と好意的である。わたしは我が国が独自の年号 ( 大化 )を採用した意味をこれまで深く考えたことがなかったが、教授によると「元号は天命を受けたことを象徴する」ゆえに日中両国が「対等なのだと明確に示した」のであり、「中国の元号を併用した朝鮮半島などとは異なる」とのこと。

しかし、「中国との文化の違いや『日本化』をことさら強調するのであれば賛成できない。ナショナリズムを助長し、悪影響が出る」との教授の意見には全面的に賛成である。

教授はまた日本人が漢字を借用したと同様、「現代中国語には、明治以降に日本で考案された単語が大量に使われている。それらの言葉がなければ中国人は会話も書くこともできない」と言う。新しく用語を作らなければの意味だろう。私も戦前の中国のマルクス主義文献はすべて日本語からの重訳であると聞いている ( 毛沢東もそれら無しではマルクス主義者になれなかった?!)。その意味では初めて国書が元号に利用されたことなど特筆するほどのことなのか? 「東アジア共通の文化という大きな視点で考えたらいいと思う」との教授の意見に耳を傾けるべきだろう。

2019年4月19日金曜日

フランスの大聖堂の思い出

観光名所が数多いパリでも5本の指に入るのは確実なノートルダム大聖堂の火災をほとんど同時進行で見た驚きは大きかった。宗教心のない異邦人の私ですらそうだから、炎上する大聖堂を見上げるフランス国民の落胆は想像に難くない。
 
それでも被害は大きいとはいえ再建困難ではなさそうなのは良かった。これが完全な木造建築だったら文字通り「灰燼に帰して」いたろう。何より正面のバラ窓を含めステンドグラスの多くは安泰だったようだ。石造の部分はたとえ崩れてもかなりの程度に再建できようが、ステンドグラスの再生は困難だろう。

フランスには各地に華麗な大聖堂が存在するが、わたしが訪れた数か所ではステンドグラスの美しさといえばパリの西南数十キロ離れたシャルトルのノートルダム大聖堂が有名である。それもさる事ながら、遮るものもない大平原に立つ大聖堂が、近づくにつれ次第に大きくなって行くこと自体が感動的だった。

重要度で言えば、独仏国境に近いランスのノートルダム大聖堂は歴代のフランス王の戴冠の場所として知られている。パリの大聖堂と同様、フランス革命時に反宗教熱に取り憑かれた暴徒の破壊行為 ( ヴァンダリズムという言葉の語源とか )の対象となった上に、第一次大戦でドイツ軍の砲爆撃で巨きな被害を受けた。だが、素人が見た程度では完全に復旧されていた。

特異な大聖堂といえば南仏トゥールーズの近くのアルビの聖セシル大聖堂が第一だろう。石材を産しないための煉瓦造りでもあるが、この地で中世にカタリ派という異端派とローマ教会派の激しい宗教戦争を経て建てられたため、窓の小さな要塞としか言いようのない異様な聖堂だった。むしろ昔の司教館を利用したロートレック美術館が楽しかった。ロートレックといえばパリの歓楽街を描いたポスターで知られるが、馬の絵をたくさん描いていた。ヨーロッパでは競馬は上流階級の娯楽だった。

2019年4月15日月曜日

藤原正彦 『国家と教養』を読んで

1週間ほど前からこれまで縁の無かった腰痛に罹り、今春の花見は市内しか見ることが出来なかった。そのため、購入したが未読だった藤原正彦『国家と教養』を読んだ。

私はこれまで同氏の『国家の品格』も他の単行本も読んでいない。むしろ仄聞した氏の英語早期教育反対論に反感を抱いていた( 黒板に数式を書けば済む数学者が何を言うか!)。しかし、本書を読んで氏の行論に共感する点が少なく無かった。

教養といえば19世紀以来ドイツ文化は世界の最先端を行くものだった。しかしそのドイツ人がジェノサイドを実践した。その理由はむろん簡単では無かろうが、氏によればドイツでその高踏的?文化を享受したのは主に「教養市民層」と呼ばれる人たちだった上に、政治や経済や歴史などの「社会教養」や「科学教養」を欠いた。

ホロコーストもドイツ人がナチスの唱える優生学 ( 疑似科学 )を信じ、数値化できない「情緒」や人間性の重要性を忘却した結果起こった。「教養が無いと、一つの論理だけ猪突猛進」すると氏はいう。経験主義的でユーモアを忘れない英国人の国民性を氏はより高く評価する ( 私も同感 )。

「現代社会の病の本質は.........民主主義に教養がついていけない」点にあると考える氏は、わが国の大衆文化 的教養を( 童謡や唱歌や歌謡曲、映画、マンガなど ) を情緒を養うとして高く評価する。氏の論述には矛盾も皆無とは言えず、異論は多々あろう。しかし、「民主主義という暴走トラックを制御するものは国民の教養だけなのです」との氏の結論に同意する人は少なくあるまい。

2019年4月14日日曜日

相次ぐ自動車会社の検査不正

一昨日、昨日とテレビついで新聞でスズキ自動車の検査不正が大きく報道されている。この1年ほど?の間に日産から始まってスバルに至るまで各社での「検査不正」が発覚したと思ったら、ついに今回、スズキに至った。同社の場合、不正は二重三重という。由々しい事態と捉えるべきなのだろう。

しかし、毎年の米国民の自動車信頼度アンケートでは日本車は常に圧倒的に上位をを占める。日本車と言っても今は大半はメキシコを含む現地生産車だろうが、この落差は理解に苦しむ。

どの社の時だったか、最近の自動車部品の精度の向上は昔とは比較にならないほどなので車体完成後の安全テストはほとんど不要なのだが ( 米国車にはないとか ) 、検査不正とされるとこのブログで書いた覚えがある。じじつメディアでは毎日、交通事故が報ぜられるが、車の欠陥による事故とは滅多に聞かない。昔はドライブ中に道路脇に故障車をよく見かけたが、今はほとんど経験しない。

私の個人的体験でも、ユニークさで知られる某フランス車は購入後間もなくラジオの遠隔操作装置が不具合になったが結局修理はしなかった ( 当時のフランス車はその程度の故障は想定内だった。それに手を伸ばせば済むこと )。ドイツ車というと一見堅牢な印象を与えるが、世界の小型車の基準とも言われる某車の初代は高速道で突然加速が止まらなくなることが三度ほどあり ( 怖しかった ) 、四年後?手放した時はボディーの末端がサビはじめていた。

今回のスズキのケースはビドイと言われてもしかたが無いが、これでスズキの販売台数がそれほど減るかどうか。車の電子化の進展とともに故障の可能性を予告する表示装置も進化していると感じる。そちらにも一層注力して欲しいし、もちろん安全運転装置も ( 高齢者の最大の関心事!)。

2019年4月7日日曜日

菅官房長官と『東京新聞』望月衣塑子記者

。1月以来、内閣記者会での会見中、菅官房長官への『東京新聞』の望月衣塑子記者の度重なる質問に対し菅氏が返答を拒んだりした「事件」がメディアで一斉に問題視された。私は望月記者の質問が実際にどうだったのかを録音テープででも知りたいと思ったが、結局断片的にしか知ることができなかった。正確な報道を旨とするメディアが肝心の両者間のやり取りを明らかにしないことに納得できず、望月記者の質問がややエキセントリックだったのではないかとも疑った。

昨日の『東京新聞』に同社の「新聞報道の在り方委員会」( 部外者4名で構成 )の審議内容 (3月18日 )が大きく掲載されている。それによると、内閣記者会は幹事会が質問制限に反対の意向を口頭で伝えただけでその後の動きはないという。記者会の反応は何とも鈍いという印象だが、東京新聞の政治部長は「望月記者の質問の仕方や中身に様々な意見がある」。 当事者の「双方で解決してというのが ( 記者会の ) 本音ではないか」と解説?している。これに対し萱野稔人教授 (津田塾大)は「なぜ他社の協力が得られないのかは掘り下げて検討してもいいのではないか」。「望月記者は官邸側に突っ込まれるような、決めつけや事実誤認の質問をしている。質問にもそれなりの準備をすべきだ」と発言している。長官と記者のやり取りの報道が不明瞭なのはやはりそういう事だったのかと思う。他の委員たちは望月記者に迎合的だが、ともかく今回の両者のやり取りは反対意見の封殺などとは呼べないようだ。

2019年4月4日木曜日

イスラム教諸国の明暗

2日の朝日新聞の夕刊に、「不倫・同性愛行為は死刑  イスラム教国ブルネイで新法」との記事が載っている。それによると同国では今月から、「不倫と同性愛行為に投石による死刑を課す刑法が施行される。窃盗罪には手足を切断する罰則も導入される」のに対し、国際人権団体アムネスティー・インターナショナルが「人権侵害だ」と強く批判している。私は国際人権団体はもちろんのこと、国連人権理事会でさえ他国の人権状況にむやみに口出しすることに賛成しない。それでもこのブルネイのイスラム法導入 ( 外国人も同罪 ) にはアムネスティーの批判に賛成せざるを得ない。

これまで、中東諸国やパキスタンと異なり東アジアのイスラム教諸国の国民は穏健なイスラム教徒と見られてきた。しかし最近はインドネシアやマレーシアなどでも原理主義の台頭が見られる。私は我が国への外国人労働力の導入に賛成だが、多文化との共生など念頭にない宗教信者の移民には反対せざるをえない。

きのう、同じ『朝日』の朝刊に、「サウジ皇太子  揺るがぬ権力」「カショギ氏殺害事件から半年  『若き改革者』 若者から支持」との記事が載っている。もっとも宗教戒律が厳しいと言われたサウジアラビアでムハンマド皇太子が女性の自動車運転やスポーツ観戦やコンサート出席などを許可したことへのサウジ女性の喜びの声を伝えている。同国の女性の間では「サウジの春」との声もあると以前読んだ記憶があり、日本のアラブ通からも皇太子の改革は「庶民から絶大な支持を得ている」との指摘もあった ( 郡司みさお『毎日』11月7日 )。他方で同皇太子がジャーナリストのカショギ氏の殺害に関与した疑いは極めて濃いし、女性の権利を主張した活動家の拘束なども伝えられている。

カショギ氏は「イスラム教に誇りを持つ自由民主主義者だ」と語っていたという。それに噓いつわりは有るまい。しかし、「アラブの春」では下からの改革運動は果てしない混迷 ( リビア )か原理主義派の支配 ( エジプト ) に終わった。カショギ氏はこの現実から学ぶべきではなかったか。この地では上からの改革にはそれなりの正当性があると認めざるをえない。だれであろうとサウジ女性の地位向上を実現して欲しい。



2019年4月2日火曜日

元号決定す!

平成の次の元号がようやく決まった。前回は先帝の死去直後に決定が国民に知らされたので、今回のようにメディアが大騒ぎする暇もなかった。したがって単純な比較はできないが、終わってみれば「泰山鳴動、鼠一匹」の感もないではない。

私もどんな元号でも良いと思っているわけではない。感じが良い名称に越したことはないし、自分の名前の画数の多さに多年不便をかこっていただけに画数の少ない元号が望ましかった! その意味では令和は伝えられる他の5候補と比べ元号らしい語感も良いし、画数も少なかったので不満はない。

元号は中国の皇帝が臣民の時間を管理する制度であり、人民主権の現代に存続させるべきではないとの廃止論がある。一理も二理もあるとしても元号で時代を区切って特徴づける習慣は肯定的にも否定的にも一定の有効性はある。他方、元号を廃止した中国や朝鮮やベトナムなどの国民が日本国民より幸せのように見えない。今回の事態を中国国民は分家に本家の発明品を盗まれたと感じているのではないか?

それと別に、今回の元号発表が官房長官と首相のダブル発表となったのは感心できない。こんな機会にまで安倍首相が自国文化の宣伝をするのは無くもがなもいいところである。もともと奥ゆかしさがウリの首相ではないが、前近代の我が国がいかに中国の文化的影響を受けていたかへの首相の知識の浅さが露呈したのではないか。森友事件で自分も夫人も全く無関係と断言して自分から苦境に陥ったのと同じ思慮の浅さと言われても仕方がない。