23日の『東京新聞』に元NHKキャスターの木村太郎氏がコラム『太郎の国際通信』で、「カショギ氏の『別の顔』」と題する文章を載せている。それによればジャマル・カショギ氏は「サウジアラビアの武器商人の大富豪で王家と密接な関係にあったアドナン・カショギ氏」の甥で、若い時はムスリム同胞団に参加しており、米軍によるビンラディン殺害の時のツイッターに「私は心が破れ崩れ落ちて泣いた」と書いたという。富裕な武器商人の出身とはどこかのテレビで聞いていたが、ビンラディンに心酔していたとは初耳である。
サウジアラビアのムハンマド皇太子は女性の自動車運転を始めて許可したり、汚職まみれの王族を罰したり、開明的な改革者との印象を持たれていた。それなのにジャーナリスト殺害を命じたとあれば失望を感ずる。しかし、ビンラディンに心酔していたカショギがむしろ反開明派の王子たちの代弁者だった可能性はある。彼がサウジアラビアにおける言論の自由の擁護者だったとは私は容易に信ずることができない。
最近、東京博物館で、「アラビアの道--- サウジアラビア王国の至宝」と題する文化財の展覧会があったが、5章に亘るその内容のうち3章はイスラム以前の文化の紹介で、元サウジアラビア駐在の日本大使が驚いたという ( 『毎日』10月19日 )。「宗教の希釈化」( 同 )を推進する皇太子は原理派の敵である。「人権」の名に惑わされて中東政治を単純化してはならない。
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