2018年10月30日火曜日

ブラジル大統領選の意味

ブラジル大統領選で元軍人で右翼ポピュリストのボルソナーロ氏が当選した。新聞の見出しに「ブラジルのトランプ」とある。トランプ米大統領がデマゴーグ的とすれば、ボルソナーロ氏は正真正銘のデマゴーグだろう ( それともトランプと異なり選挙後は豹変するか?)。しかしブラジル国民は黒人蔑視や女性蔑視を公言するこの人物を指導者に選んだ。

今朝の朝日新聞は「既存政治批判  支持集める」との見出しをつけている。その批判の二大テーマは左翼政権時代の大規模な「汚職」と「治安悪化」のようだ。汚職はひとまずおき、同紙によれば治安悪化は「サンパウロ州だけでも年30万件の強盗事件が発生し、車両盗難は50万件」という。前時代の数値と比較しなければ「悪化」と断定できないが、1日当たりどちらも1000件前後となる。「きれいごとはもうたくさんだ」とのボルソナーロの言葉にブラジル国民が共感したことは事実だろう。だいぶ以前のことだが、ブラジルの警官たちによる殺人事件の続発が報道された。彼らが命がけで ( ときに犠牲者を出して ) 捕らえた犯人たちが寛大な判決を受けるのに我慢できなくなったのである。

「治安悪化」と言えば、現在ホンジュラスから米国へ数千人が行進中だが、その理由は経済困窮とともに治安悪化 ( むしろ崩壊 )であるという。経済困窮ならともかく、国民が直接生命の危険にさらされ逃亡するという事なら、「破綻国家」というほかない。言語が共通な旧宗主国 ( スペイン?)に再併合して貰ったらどうかと言いたくもなる。ブラジル国民がその前に手を打つというのなら外国人がどうこう言っても始まらない。国民の生命を守るのは国家の第一の義務だから。

2018年10月24日水曜日

ジャマル・カショギ氏とは何者?

20日ほど前にイスタンブールのサウジアラビア総領事館で殺害されたジャーナリストのジャマル・カショギ氏の死に関し、トルコのエルドアン大統領はサウジアラビア政府による計画的殺害と発表した。誰もが政府による犯罪と予想していたとはいえ陰惨極まりない事件であり、中東政治の闇を覗いた気持ちにさせられる。サウジアラビアの実力者ムハンマド皇太子が事件の黒幕であるとはエルドアンは言っていないが、それは事件を最大限に利用しようとの計算からだろう。

23日の『東京新聞』に元NHKキャスターの木村太郎氏がコラム『太郎の国際通信』で、「カショギ氏の『別の顔』」と題する文章を載せている。それによればジャマル・カショギ氏は「サウジアラビアの武器商人の大富豪で王家と密接な関係にあったアドナン・カショギ氏」の甥で、若い時はムスリム同胞団に参加しており、米軍によるビンラディン殺害の時のツイッターに「私は心が破れ崩れ落ちて泣いた」と書いたという。富裕な武器商人の出身とはどこかのテレビで聞いていたが、ビンラディンに心酔していたとは初耳である。

サウジアラビアのムハンマド皇太子は女性の自動車運転を始めて許可したり、汚職まみれの王族を罰したり、開明的な改革者との印象を持たれていた。それなのにジャーナリスト殺害を命じたとあれば失望を感ずる。しかし、ビンラディンに心酔していたカショギがむしろ反開明派の王子たちの代弁者だった可能性はある。彼がサウジアラビアにおける言論の自由の擁護者だったとは私は容易に信ずることができない。

最近、東京博物館で、「アラビアの道--- サウジアラビア王国の至宝」と題する文化財の展覧会があったが、5章に亘るその内容のうち3章はイスラム以前の文化の紹介で、元サウジアラビア駐在の日本大使が驚いたという ( 『毎日』10月19日 )。「宗教の希釈化」( 同 )を推進する皇太子は原理派の敵である。「人権」の名に惑わされて中東政治を単純化してはならない。

2018年10月21日日曜日

皇后の在り方

美智子皇后が昨日84歳の誕生日を迎えられた。私とは一歳違いで過去60年間同じ時代を生きて来られた皇后が、今後は前皇后としてやすらかな余生を送られることを願う。皇室の歴史に詳しいわけではない私だが、現皇后ほど聡明で高い人格の皇后が史上何人もいたとも思えない。それだけにその生涯が幸福だったことを願わずにはいられない。

メディアに突如「美智子さん」として登場して以来の彼女の人生は、「想像すら出来なかったこの道に招かれ」「私にとり決して易しいことではありませんでした」と昨日の文書で述懐された通りだろう。それ以来、平成天皇と国民への奉仕に明け暮れた一生だった。一人の国民として感謝に絶えないが、それが一人の女性としての「美智子さん」にとって幸福な生涯だったかと考えると何とも言えない。むしろ時に痛々しいとも私に感じられた生涯だった。

ヨーロッパとくに英国の王室のメンバーのときに奔放と言いたくなる言動が理想とまでは考えないが、常に天皇を立てて模範的な皇后たろうとされた現皇后にはもっと自由に振舞っていただきたかったとの思いが私にはある。昨日の『東京新聞』に政治学者の三浦瑠麗氏が、「良い一時代ではあったが、次の御代も同じかたちを目指す必要はない」と書いているが、私も強くそう思う。雅子皇太子妃には前例にいささかも囚われることなく、一人の女性として幸せな生涯を送って欲しい。彼女にもそうする権利はあるはず。

2018年10月19日金曜日

公立中高教育の破壊?

今朝の『東京新聞』の「本音のコラム」に元外交官で作家の佐藤優氏が、「受験刑務所化する中高一貫校」について書いている。埼玉県立浦和高校出身の氏が母校でおこなった講演の報告記である。

浦和高校は埼玉県随一と言ってよい歴史を持つ名門校である。現在の首都圏の私立中高一貫校ブームの中でも例外的に高い評価を得てきた県立校だろう。ところが同校は東大合格者日本一を続ける開成中学高等学校とまともに競合する所在地にある。台東区日暮里にある開成校は東京の下町とともにJR総武線やJR京浜東北線の沿線をヒンターランドにしている。佐藤氏としては母校擁護のため一肌脱ぐのは当然だろう。

氏はむろん特定校ではなく私立中高一貫校を問題としている。氏によれば最近の後者では、中学の最初の2年間で数学の成績が芳しくない生徒は一流私大をめざす組に入り、早い段階で理数系授業から遠ざかる。逆に数学に強い生徒は歴史など文系の授業に身を入れないですむ。氏はそうした趨勢を「受験刑務所化する中高一貫校」と名付けて警鐘を鳴らす。

まったく正論であり、私も同感する。しかし、公立の中学や高校に徹底した受験教育ができない以上、一流大学を目指す生徒たちの親たちが氏の言に耳を傾けるとも思えない。それなのに政府自民党は私立の高校の授業料を無償にする方針という。借金に借金を重ねている政府のやるべきことだろうか。

2018年10月18日木曜日

『ホモデウス』の示す人類の未来

昨夜、テレビのニュース番組?を見ていたら、イスラエルのヘブライ大学のエバル・ノア・ハラリ教授の『ホモデウス』という人類の未来を論じた新刊本 ( 河出書房新社 ) を紹介していた。

私は知らなかったが、ハラリ教授の人類史を通観した『サピエンス全史』は世界的に話題を集めていたという。今回の『ホモデウス』は人類の未来を論じている。ホモデウスとは神のような人間、神に近づく人間という事のようだ。番組とインターネットによる知識だけで論ずるのは無謀だが、あまりにショッキングな人類の未来像として一言述べたくなった。

教授によれば、飢餓、疫病、戦争といった災厄を克服しつつある人類は、AI ( 人工知能 ) やバイオテクノロジーの一層の進展により数十年のうちに神のような存在に進化するという。というと人類の未来は明るいかというとそうではない。200年以上前の産業革命は労働者階級を創出したが、AI革命は労働者階級を「無用者階級」に変えるという。個人として「無用者階級」に転落しないためには人間は一生学び続けなければならない。

原著を読んでいないので教授の未来像が一国の変化の先を論じているか知らないが、私には国際社会の未来が気になった。現在、AI革命の先頭に立つ米国や、何とかそれについて行ける?ヨーロッパ、日本、韓国、中国、インドなどの未来は暗くないだろう。しかし、ついて行けない国々はどうなるのか?  これまで我々は発展途上国もいつかは先進国に追いつくと予想していたのではないか。しかし、AI革命により今後は両者の距離は縮まるどころか拡大するのではないか。すでにその兆候を私は感ずる。先進国民の利他心がそれにブレーキをかけられるか。AI革命やバイオテクノロジーの進歩は人類の未来にとって原水爆戦争や地球環境の悪化と並ぶ難問かもしれない。

2018年10月12日金曜日

領土問題解決の難しさ

今日の朝刊各紙にNPO法人が日中両国 ( 中国は10大都市 ) で実施した相手国への好感度調査の結果が報道されている。『朝日』の見出し「中国人の対日感情  大幅に好転    訪日客の増加影響か」が各紙一致した内容と言ってよかろう。

尖閣諸島をめぐる対立などの影響で、2013年に5.2%まで低下した中国人の対日好感度が徐々に回復し、今年は42.2%にまで高まったという。未だ半数に満たないとの反論も可能だが、わずか5年間の変化としては劇的と言えるし、なにより日本への渡航経験がある中国人 ( 同国人の18.6% )に限れば74.3%が好感を抱いたという。

観光客として見れば中国の風土のスケールの大きさは日本の比ではないが、狭い移動距離で経験する日本の風土の多彩さは特筆もので、大涌谷のように首都から100キロの近くに煮えたぎる大地が見られる国は稀だろう。それ以上に日本人の公衆道徳の高さ ( 敢えて言えば )は中国人旅行者には印象的なのだろう。

国民の対日好感度が高まったからと言ってそれが尖閣問題をはじめとする難問を抱える日中関係に直ちに反映するわけではない。事態はそれほど甘くないだろう。しかし独裁政権が政策を転換させようと考えたとき世論の対日好感度は転換に多少ともプラスに働くだろうし、なによりほかに名案があるわけではない。

プーチン大統領が領土問題解決を後回しにして平和条約を結ぼうとの突然の呼びかけをした。それに対する新聞各紙の反応は否定的である ( 食い逃げされる!)。なかには安倍内閣批判の新たな一手と捉える新聞もある。しかし年金支給の改悪?などで人気の急低落を招いたプーチンが焦っているとの見方も可能である。何れにせよ時間は日本の味方ではない。

各国で民主化が進展するのは望ましいのだが、領土問題に関する限り20世紀の民主化の進展が解決を長引かせ、ときに平和条約の締結を困難にしてきたのが悲しい現実である。

2018年10月8日月曜日

世界的文化財の保存

数日前、ブラジルの国立博物館の所蔵文化財の多くが火災により失われたと報道された。中南米諸国はそれぞれ立派な国立博物館を有するだろうが、ブラジルのそれは恐らく最も重要な博物館だったのではないか。石造やコンクリート造りでもそんなに燃えるものなのか。それにしても多大な文化的損失だろう。

火災への備えが不十分だったとしても意図的な行為による損失とは異なる。イラクのフセイン政権が崩壊したさいバクダッドの博物館が略奪に遭ったと知らされたときはショックだった。当時の私は残忍な独裁政権の崩壊を心から喜んでいたのだが。

それでも盗みは石川五右衛門の言ではないがどの国にもあったし今後もありうる。しかし、イスラム国 ( IS )によるシリアやイラクの文化遺産んの破壊には弁解の言葉も見当たらない。イスラム教以前の文化遺産は破壊して構わないということなら文化破壊の思想というほかない。

現在、大英博物館が所蔵し展示するパルテノン神殿の破風 ( エルギン・マーブル ) をはじめ欧米諸国の博物館の所蔵文化財の多くは、略奪品ではないとしてもいわば不等価交換の結果であり、いっとき返還要求がなされ話題となった。それに対し欧米諸国はロンドンやパリやニューヨークだから世界の人たちが容易に目にすることができると正当化した。一応の理屈だが ( 私もその恩恵に浴した一人 ) 、本心は返還するのが惜しかったのだろう。しかし彼らも欧米が所蔵する方が安全だとまでは言わなかった ( 仮に内心そう思っていても公然の反対理由には出来なかったろうが )。

火災のような過失による損失はどの国にもありうることだし、対策も不可能ではないが、異文化の意図的破壊による損失は対策の立てようがない。便宜的には現在の状況もやむを得ないのではないか。

2018年10月6日土曜日

青木繁「海の幸」の舞台

今日の『朝日』の土曜版beの連載「みちものがたり」は夭折の画家青木繁の名作「海の幸」とその舞台の布良 ( めら ) 海岸をとりあげている。房総半島のほぼ南端の布良には私は何度か訪れている。母の実家は布良から2キロほど先の旧長尾村根本にあり、私は小学生の頃は毎夏をそこで過ごしたからである。

当時は房総西線は両国が始発駅で無論蒸気機関車。ススで鼻の中を黒くして着く安房北条駅 ( 現在の館山駅 ) からはバスに半時間ほど揺られると根本だったが、戦争末期は木炭バスは富崎 ( 布良の別名 )までしか行かず、残りを歩いた。まだ風景を愛でる年齢では無かったが、道沿いに咲くナデシコの美しさは心に残った。夜にはかなり先から来客の提灯の灯が見えて印象的だった。

母の実家は築200年?ぐらいで大黒柱の太さが物珍しかった。朝鮮出身の詩人金素雲 ( 岩波文庫に『朝鮮民謡集』、『朝鮮童謡集』あり ) が一夏を過ごしたことがあったと聞いた。戦争末期はときおり館山基地の「海兵団」の若者たちの行軍訓練を見かけた。棍棒 ( 海軍精神注入棒と言った ) で殴られる兵士がかわいそうと祖母が言っていた。海軍は陸軍ほど狂信的では無かったが、それは士官以上の話だったようだ。

「海の幸」の男たちは丸裸だが、早朝魚を入手する根本の浜で見た男たちはむろん裸ではなく、あくまで青木の創作だった。布良に青木に同行した内縁関係の福田たね とは間もなく別れるが   のちに尺八の奏者として知られる ( 毎夕、NHKラジオで流れた『笛吹童子』のテーマ曲の作者 ) 福田蘭童は2人の遺児だった。

2018年10月2日火曜日

本土と沖縄県と宜野湾市と

沖縄県知事選で野党が支援した前衆議院議員の玉城デニー氏が、与党が支援した佐喜真前宜野湾市長を396,541票対316,321票でやぶり、新知事に選ばれた。政権側の経済的支援の餌に惑わされず、本土への強い不満 ( むしろ怒りだろう ) を貫いた沖縄県民は立派だった。

普天間飛行場のある宜野湾市の市長選も同時に行われ、こちらは与党支援の松川正則候補が野党支援の仲西春雅候補を抑えて勝利した。締め切り時間の関係か、1日付けの紙面で結果を報じたのは『朝日』だけのようで、同紙にも私の知りたい投票数の記載はなかった。

今朝の『読売』と『毎日』で遅ればせながら松川候補26214票対20975票と知れた。『朝日』には続報は無かった。同紙の報ずるように知事選が玉城氏の「大勝」なら、宜野湾市長選の松川氏も「大勝」だった。知事選の結果報道に6面を割いた『朝日』は宜野湾市長選の票数を読者に知ってほしく無かったとしか思えない。

これまでも宜野湾市民は基地被害に苦しみながらも辺野古移設に賛成とは発信しなかった。たとえそれが被害に苦しむ住民の数を百分の一に減らすことになっても。しかし、市長選という間接的な形で苦しい胸の内を明らかにした。私には沖縄県民と宜野湾市民の関係はわれわれ本土住民と沖縄県民の関係に重なって見える。それにしても一方の「大勝」を報じても他方の「大勝」を黙殺するのは公平とも思えない。