不平等を格差と表現することの問題性を指摘する大野氏に私も同感である。しかし、そこには問題を矮小化する意図以上に、赤裸々な表現にたじろぐわれわれ日本人の心性があると思う( メデイアに矮小化する意図があるとは思えない )。20数年前、日米間の貿易不均衡を是正するための「経済構造協議」が行われたが、英語では Structural Impediments ( 妨害、障害 ) Initiative だった。この日本語訳では米国側の本気度 ( むしろ怒り ) が日本国民には伝わらなかった。
さらに遡れば、わが国の歴史教科書が近代日本による侵略を正直に書いていないとの国の内外の批判があった。しかし、教科書には「日本の侵略」との表現も無かったが、英国の「インド侵略」もフランスの「インドシナ侵略」も「進出」としか書かれていなかった。控えめの表現 ( understatement ) は日本人気質の一特徴なのである。しかし、この国際化時代にはそうも言っていられなくなるだろうか。
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