2018年7月24日火曜日

スポーツと人種偏見

今朝の朝日新聞によると、ワールドカップ・サッカーのドイツ代表の1人でトルコ系のエジル選手がトルコのエルドアン大統領と面会した写真をドイツ国民から批判され、怒って代表から引退するという ( 新聞報道は他に1紙のみ。多分 )。「写真に政治的意図はなかった。家族の出身国の最高職位者への敬意と弁明したが、6月のトルコ大統領選の直前で、政治的に利用された面は否めない」と記事は伝えている。

前回のブラジル大会でのドイツチームの優勝に貢献したエジルは、「試合に勝てば僕はドイツ人で、負ければ移民の子だ」と反撥しているという。ドイツ社会の非難に「民族差別と軽蔑を感じた」とのエジルの反撥はおそらくその通りなのだろう。しかし、最近のエルドアン大統領の施政は言論の自由をはじめとする西欧的価値観を逆なでする行動の連続であり、ドイツ世論がエジルの軽率さ (  NHKテレビ?によると「私の大統領」と発言したとか ) を非難したのも理解できる ( トルコは貧しい低開発国ではない ) 。エジル選手の個人的資質もあろうが、子供時代からスポーツ漬けで社会常識を欠く一部スポーツ選手の欠陥が露呈した面もあろう。

逆に今回優勝したフランスは、これがフランスチームかと言いたくなるほどアフリカ系選手が多い。属地主義というか、フランスでは民族や人種の違いよりも言語をはじめとするフランス文化を共有しているか否かが重視される。かつて同国が世界第2の植民地領有国だったころ、「文明化の使命 mission civilisatrice 」という正当化論が唱えられた。もちろんそこに欺瞞を見ることは容易だが、フランス人がどれほど自国の共和制文明の優越を信じていたかがうかがわれる。

とは言え、今回のドイツ社会のトルコ系選手への反撥が、最近の移民難民への警戒というヨーロッパの風潮と無縁とも思えない。フランスとても何時まで例外でいることが出来るだろうか。感情が激しやすいサッカーは予兆かもしれない。




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