2018年7月19日木曜日

「孤独担当大臣」の誕生

何ヶ月か前、英国政府が「孤独担当大臣」を創設したと報ぜられ、奇異の感を抱いた。昨日の朝日新聞に「英国人     実は孤独?」との見出しの記事が載っている。それによると英国赤十字の調査では成人の5人に1人!が孤独を感じており、75歳以上の半数が独居老人とか。担当大臣を創設したのもなるほど分からぬでもない。その効果のほどには疑問もあるが。

こうした事態が英国にとどまらないことは予想される。南欧とくにイタリアなどは家族の絆がまだ健在とも聞くが、南北の境界に位置する?パリでは犬のフンを踏む危険が少なくとも以前は大いにあった。やはり愛玩犬で孤独を癒していると考えて間違いあるまい。わが国でも冠婚葬祭を除くと親族との交流は乏しくなった。

近代の個人尊重の風潮の先頭を走って来たと考えられる西欧大国の老人 ( 老人だけではない ) が孤独に悩むとは考えてみれば皮肉である。明治大正時代の我が国では藤村や漱石の作品が示すように、家制度の抑圧に悩む近代的自我が文学の大きなテーマだった。しかし、家の束縛が薄れるにつれ個人は孤独の影を深めた。

人間社会では長所と短所はしばしば背中合わせである。政権交代という議会政治の正道を求めて四半世紀前我が国は小選挙区制を採用した。それが間違っていたとは思わないが、国会議員の小粒化は明らかに進行した。官僚に背後から操られる政治を改めるため内閣が官僚の人事権を握ったら、政治家の意向を忖度して行動する官僚が続出した。どんなに立派な制度を採用してもそれを運用する人間の質の向上が伴わなければ意図した効果は望めない。それでも試行錯誤を諦めてはならないのだろう。

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