私は英国留学中の大陸旅行 ( 1966年 )の際、トリアーに一泊したことがある。ライン河遊船の後、パリに向かう途中の宿泊地としてトリアーを選んだのだが、マルクスの生家を見たいとの気持ちもあった。当時は社民党地方支部として使われていた様子だったが、すでに夕刻だったので閉じられていた。翌日再訪する時間の余裕も熱意もなかった。
当時は唯一の外国旅行取扱機関だった日本交通公社は出国者にポケット版の『外国旅行案内』4冊をくれた。当時は邦語の外国旅行案内書は皆無だったので、その1冊 ( ヨーロッパ編 ) は観光対象を選ぶ上で貴重だった。英語圏ではアーサー・フロマーの『ヨーロッパ5ドル旅行』が貧乏旅行者のバイブル ( のち日本語訳も出た ) で、観光対象だけでなく安宿を探すのに大いに役立った。しかし手元にある両書 ( 思い出いっぱいで捨てられない!)ともトリアーの紹介はない。
同市はヨーロッパ人には古代ローマの遺跡で知られている所なので、帰英後トリアーに一泊したと友人たちに告げたら当然そこの観光が目的だったと誤解され、マルクスの誕生地と知るものはおらず、バツの悪い思いをした。私とても夜に家族とパリでホテル探しをするのが不安だったのがトリアーを宿泊地とした主な理由だった。非共産国人でマルクス詣でをするのは日本人ぐらいだったようだ。現在はどうなのか。
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