2018年5月27日日曜日

日大の病根

日本大学の大塚学長の記者会見は、関西学院大学とのアメフト試合で問題を起こした宮川選手に手を差し伸べたいとの気持ちは感じられたが、監督やコーチの責任については曖昧さを通した。私は不満だったが翌日の新聞に載った日大の法人構成図を見て納得した。学長は5人の常務理事の1人ではなく、その下部の28人の理事の1人でしかなかった。いやしくも教育機関である大学の学長が、制度的にこれほど下位 ( アメフト部の監督よりも!)に置かれた大学が他にあるのだろうか。

他にも女子レスリングの伊調選手にパワハラを働いた某指導者のように、過去に挙げた多大の成果を味方に批判を許さぬ独裁的指導者の存在が珍しくない。26年ぶりとかに日大アメフト部を日本一にした内田監督もその1人だろうが、日大は体育系大学でもなければ昨日今日設立された大学でもない。

ちょうど半世紀前、全国で全共闘運動が拡大していた頃、日本大学では全学共闘会議が秋田明大議長のもと、激しい ( 死者を出す ) 学園闘争を行なった。他大学の全共闘運動が、目指すところは硬直した大学への正しい批判を含んでいたとはいえ、中国の文化革命やフランスの5月革命の影響を受けたイデオロギー過剰の運動だったのに対し、日大生の学園闘争は不正経理への怒りに発し、体育会系学生の暴力的妨害を受けながらの止むに止まれぬ闘争だった。全国の全共闘運動が退潮したのに連れ日大全共闘も敗北したが、日大生への国民の敬意を高めた運動だった。

当時から半世紀、日大が改革らしい改革を怠って体育会出身者の跳梁を許してきたことは否定できないのではないか?  日大全共闘の元学生たちの願い、今は故郷で自動車修理工場を営むと聞く秋田明大氏の願いが今度こそ実現するよう願うばかりである。


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