藤原義江と言っても若い人には何の実感もないだろうし、私もその名を冠した歌劇団の主宰者として知るだけでレコード以外の肉声を聞いた覚えはない。しかしヴァレンチーノの再来とも言われたという美男ぶりで女性出入りも盛んだった彼の名声?は知っており、戦前日本における混血児の境遇はどんなものだったかにも興味を覚えたのである。
幕末のトーマス・グラバーと同じスコットランド出身でグラバーの次の世代の外国人商人の父と芸者の母の子として生まれ、父に認知されなかったため母にもうとまれ ( 生活に追われていた ) 、惨めな少年時代を過ごした義江は天性の美声の力で欧米でも認められたオペラ歌手となった。しかし本書によると、外国では当初は「荒城の月」などの日本の歌曲で人気を博したのであり ( 私の英国人の友人が曲を聴いて old castleとすぐに答えた ) 、フランスのレジョンドヌール勲章の受賞なども西欧に生まれたオペラを日本に根付かせた功績と言う面もあったのではないか。
美しい女性に会うと理性を失う彼の習性と同様、海外でのオペラ公演には経費を度外視した義江は晩年はパーキンソン氏病に苦しむとともに、金銭的にも追い詰められた。彼が帝国ホテルに住んでいると聞いていた私は、鎌倉の豪邸を売り住むに家もない晩年の彼に同情したホテル支配人が一室を提供していたとは知らなかった。どんな分野でも草創期には損得を度外視して突き進んだ人たちが出現するが、義江もその一人だったようだ。ひょっとすると直木賞の選者たちもそれに心打たれたのかも.........。
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