2018年5月31日木曜日
2018年5月30日水曜日
どこまでpolitical correctness は主張できるのか?
数年前になるか、スマップの香取慎吾が公然ワイセツ罪を犯したとのかなり大きな新聞記事があった。偏見から、芸能人なんてそんな程度かと一瞬考えたが、よく読んだら、酒に酔って深夜都心の公園で全裸で声を挙げたということだった。法律に当てはめれば公然ワイセツ罪になるのかも知れないが、有名人とはいえそんなに大きく扱うべき事件かと疑問に思った。
二、三日前、警官が女性の水着姿を盗撮したとの記事 ( 地方版だけ?) があった。よく読んだら遊園地のプールで水着姿の女性監視員をカメラで追ったとのことだった。しかし、温泉場で入浴中の女性を了解なく撮ったならともかく、公開のプールで水着姿の女性監視員を撮ることが盗撮と言えるのだろうか? 巡査が制服姿だったとは考えにくいので、一般客もプールにカメラ持参で入場すれば盗撮者扱いされかねないのでは?
女性に対してではないが、米国のスターバックス店で飲み物を注文せず座席を占めている黒人客 ( 客と言えるの?) を退席させるため、警官を呼んだことが人種差別に当たると糾弾されているという。相手が白人だったら警官を呼ばなかったろうという批判で、確かに店員に人種差別意識が無かったとは言い切れない。しかし、公園の無料ベンチではあるまいし、催促されても注文せずに座り続ける相手でも警官を呼ぶことが間違っているのだろうか? これでは今後とも説得に応じない黒人やラティーノに対してどうしたら良いのか? そのうち白人客も説得に応じなくなるだろう。米国のpolitical correctness キャンペーンも度を越せば、第二第三のトランプの登場を避けられないだろう。
2018年5月27日日曜日
日大の病根
日本大学の大塚学長の記者会見は、関西学院大学とのアメフト試合で問題を起こした宮川選手に手を差し伸べたいとの気持ちは感じられたが、監督やコーチの責任については曖昧さを通した。私は不満だったが翌日の新聞に載った日大の法人構成図を見て納得した。学長は5人の常務理事の1人ではなく、その下部の28人の理事の1人でしかなかった。いやしくも教育機関である大学の学長が、制度的にこれほど下位 ( アメフト部の監督よりも!)に置かれた大学が他にあるのだろうか。
他にも女子レスリングの伊調選手にパワハラを働いた某指導者のように、過去に挙げた多大の成果を味方に批判を許さぬ独裁的指導者の存在が珍しくない。26年ぶりとかに日大アメフト部を日本一にした内田監督もその1人だろうが、日大は体育系大学でもなければ昨日今日設立された大学でもない。
ちょうど半世紀前、全国で全共闘運動が拡大していた頃、日本大学では全学共闘会議が秋田明大議長のもと、激しい ( 死者を出す ) 学園闘争を行なった。他大学の全共闘運動が、目指すところは硬直した大学への正しい批判を含んでいたとはいえ、中国の文化革命やフランスの5月革命の影響を受けたイデオロギー過剰の運動だったのに対し、日大生の学園闘争は不正経理への怒りに発し、体育会系学生の暴力的妨害を受けながらの止むに止まれぬ闘争だった。全国の全共闘運動が退潮したのに連れ日大全共闘も敗北したが、日大生への国民の敬意を高めた運動だった。
当時から半世紀、日大が改革らしい改革を怠って体育会出身者の跳梁を許してきたことは否定できないのではないか? 日大全共闘の元学生たちの願い、今は故郷で自動車修理工場を営むと聞く秋田明大氏の願いが今度こそ実現するよう願うばかりである。
2018年5月24日木曜日
藤原義江の生涯
直木賞作家の古川薫氏が亡くなった。私は氏の名前もしかとは知らず、作品も全く読んだことがなかった。しかし代表作の一つに、オペラ歌手藤原義江を題材にした直木賞受賞作の『漂泊者のアリア』( 1990年)とあったので一読したく、図書館で借り出した。
藤原義江と言っても若い人には何の実感もないだろうし、私もその名を冠した歌劇団の主宰者として知るだけでレコード以外の肉声を聞いた覚えはない。しかしヴァレンチーノの再来とも言われたという美男ぶりで女性出入りも盛んだった彼の名声?は知っており、戦前日本における混血児の境遇はどんなものだったかにも興味を覚えたのである。
幕末のトーマス・グラバーと同じスコットランド出身でグラバーの次の世代の外国人商人の父と芸者の母の子として生まれ、父に認知されなかったため母にもうとまれ ( 生活に追われていた ) 、惨めな少年時代を過ごした義江は天性の美声の力で欧米でも認められたオペラ歌手となった。しかし本書によると、外国では当初は「荒城の月」などの日本の歌曲で人気を博したのであり ( 私の英国人の友人が曲を聴いて old castleとすぐに答えた ) 、フランスのレジョンドヌール勲章の受賞なども西欧に生まれたオペラを日本に根付かせた功績と言う面もあったのではないか。
美しい女性に会うと理性を失う彼の習性と同様、海外でのオペラ公演には経費を度外視した義江は晩年はパーキンソン氏病に苦しむとともに、金銭的にも追い詰められた。彼が帝国ホテルに住んでいると聞いていた私は、鎌倉の豪邸を売り住むに家もない晩年の彼に同情したホテル支配人が一室を提供していたとは知らなかった。どんな分野でも草創期には損得を度外視して突き進んだ人たちが出現するが、義江もその一人だったようだ。ひょっとすると直木賞の選者たちもそれに心打たれたのかも.........。
2018年5月22日火曜日
政治のエンターテイメント化?
新聞社やテレビ局が行う世論調査は実施日や質問の仕方により結果に相違があったりするのであまり信用しないが、昨日の紙面に載った『朝日』と『読売』の調査結果は両紙の政治的傾向の違いにもかかわらず似たようなものだった。数字に違いはあっても誤差の範囲で、傾向としては安倍内閣への支持の増加と不支持の減少 ( 大した変化ではないが ) は両紙に共通だった。前回の調査との間に加計学園問題で政府や官僚の答弁の矛盾はより明らかになったのに。
その疑問を解くカギと私に思われるのは『朝日』の「文書改ざんやセクハラ問題をめぐる麻生財務大臣の対応が辞任に値するか ( 大意 )」との質問への回答である。イエスが47%、ノーが40%をどう評価するかは別とし、男性は40歳以下、女性は30歳以下でそれぞれノーがイエスを上回っている。
私は以前から米国民のトランプ支持の一半の理由は彼のエンターテイメント性にあると考えている ( 彼が次に何を言うかへの期待!)。わが国でも麻生氏の「暴言」を年長者は不快と感じても、年齢が下がるほど面白がっているのではないか。
近年のテレビ ( 特に民放局 ) のお笑い番組の多さは他言を要しないだろう。そして視聴者は私の様な年配者よりも若年者の方が多いのではないか? そして後者は政治家に対して面白いかどうかを判断の尺度としているのではないか? 若者の保守化が指摘されて久しいが、テレビの意外な影響力もその理由に思えてならない。私も政治に対して「まなじりを決する」のが常に正しい態度とは思わないが、昨今野党たることが難しいのは彼らの能力不足だけではないようだ。
2018年5月20日日曜日
ウィンザー城とイートン校
英国のハリー王子と米国人女優メーガン・マークルさんの結婚式がロンドンにほど近いウィンザー城で執り行われた。同国としてはこれ以上望めないほどの好天のもと、テロもなく終了したのは目出度い。パレードの沿道には警官が10メートルおきぐらいに配置されていたとはいえ、10万人の群衆の身体検査をしたとも思えない。もしテロリストが混じっていたら阿鼻叫喚の惨状となっていたろう。
チャーチルの母親は米国人だったが英国王の結婚相手に米国人は居ないはず ( 退位後のエドワード8世とシンプソン夫人を別とし)。1930年代当時は離婚歴のあるシンプソン夫人は王妃になれなかった。今回、マークルが離婚歴のうえに歳上で、アフリカ人の血を半分受け継いでいるのに英国民の祝福を享受したかに見えるのは時代の反映なのだろう ( 王妃の可能性が乏しいこともあろう )。黒人国も少なくない英連邦諸国との絆はむしろ強まった。やんちゃ王子であることが逆に役立つこともある!
ウィンザー城を訪ねたことはあるが、結婚式場となった礼拝堂に多数の連隊旗が飾られていたことぐらいしか記憶にない。もともとテムズ河の対岸のイートン・カレッジの方に私の興味はあった。日本の中高一貫校に当たる年齢の同校の生徒がフロックコート?を着て街を歩いており、校内も入り口近くは入れた。そこには二つの世界大戦の戦没卒業生の名前が多数刻まれた壁があった。
戦争は資産家階級が起こし、その犠牲者は民衆であるとはよく聞かれる言葉だが、少なくとも当時の英国には当てはまらないようだ。 イートン校には資産家の子弟しか絶対に入れない ( オックスブリッジとは違う ) し、第一次大戦の半ば過ぎまで英国に強制的な兵役はなく、兵役志願者に困ることはなかった。20世紀初頭にはまだ「貴人の責務 noblesse oblige 」が英国では生きていた。
2018年5月15日火曜日
米国のイラン政策の転換
これまでイランに対し一定程度融和的だった米国とEU諸国の対応が、トランプ米大統領の対イラン強硬策への転換を機に割れている。トランプ氏の核合意破棄の動機は何なのか。
もっとも単純な動機はオバマ前大統領の諸政策の否定だろう。じっさいオバマケア ( 医療保険 ) への反対を手始めにトランプの反オバマの姿勢には執念のような印象さえ受ける。しかし、無論それだけが理由ではあるまい。より重要なのはイスラエル( と米国の有権者 )への配慮だろう。現行のイランとの核制限合意が期限付きでその後は未定であることとミサイル開発禁止が無いことが親イスラエルのトランプの気に入らないのだろう。さらに、彼を核合意破棄に踏み切らせた理由として、イランと激しく対立するサウジアラビアが反イスラエル色を弱めたことが従来の米国の中東での仲裁者的立場の完全放棄をもたらしたのだろう。
中東問題の専門家の高橋和夫元放送大学教授はテレビ・インタビューで別の見方を述べていた。トランプの今回の核合意破棄は、イラン程度の不徹底な合意を受け入れないぞとの北朝鮮への警告だという。たしかに、北朝鮮に対して核兵器とミサイルの完全放棄を要求しながらイランにはそれを求めないのは一貫していないとも言える。ただし高橋氏も北朝鮮への警告として効果的かは疑問だとしていたが。
それでも英仏独らヨーロッパ諸国がこれまでの核合意を守るため努力しているのはイランの穏健派政権を追い詰めたくないとの考慮だろう。私も困難でもその努力をぜひ続けて欲しいと願う。戦前日本の国際協調派を絶望させたハル・ノート ( 中国本土からの即時全面撤兵を迫った米国務長官の対日通告 ) の再現は見たくない。昭和前期のわが国の国際協調派と同様、イランの現在の政権も弱体で当てにならないと見限ったのだろうが、もう一歩の努力を惜しんではならない。
2018年5月6日日曜日
トリアー市のカール・マルクス像
ーカール・マルクスの亡命地ロンドンのハイゲート墓地には旧ソ連政府が建立した気味の悪いほど巨きな首だけのマルクス像がある。今朝の新聞各紙は、生誕200年を迎えたマルクスの生誕地のドイツのトリアー市に中国政府寄贈の5.5米のマルクスの立像が建てられたと伝えている。いまや共産主義とは名ばかりの中国なのに、むしろその故に近代共産主義の始祖の権威を利用したいのだろう。他方、トリアー市は中国人観光客の増加を期待して歓迎とか。
私は英国留学中の大陸旅行 ( 1966年 )の際、トリアーに一泊したことがある。ライン河遊船の後、パリに向かう途中の宿泊地としてトリアーを選んだのだが、マルクスの生家を見たいとの気持ちもあった。当時は社民党地方支部として使われていた様子だったが、すでに夕刻だったので閉じられていた。翌日再訪する時間の余裕も熱意もなかった。
当時は唯一の外国旅行取扱機関だった日本交通公社は出国者にポケット版の『外国旅行案内』4冊をくれた。当時は邦語の外国旅行案内書は皆無だったので、その1冊 ( ヨーロッパ編 ) は観光対象を選ぶ上で貴重だった。英語圏ではアーサー・フロマーの『ヨーロッパ5ドル旅行』が貧乏旅行者のバイブル ( のち日本語訳も出た ) で、観光対象だけでなく安宿を探すのに大いに役立った。しかし手元にある両書 ( 思い出いっぱいで捨てられない!)ともトリアーの紹介はない。
同市はヨーロッパ人には古代ローマの遺跡で知られている所なので、帰英後トリアーに一泊したと友人たちに告げたら当然そこの観光が目的だったと誤解され、マルクスの誕生地と知るものはおらず、バツの悪い思いをした。私とても夜に家族とパリでホテル探しをするのが不安だったのがトリアーを宿泊地とした主な理由だった。非共産国人でマルクス詣でをするのは日本人ぐらいだったようだ。現在はどうなのか。
2018年5月4日金曜日
イスラム諸国の原理主義化
中東諸国を訪問中の安倍首相夫妻のアブダビでの写真に昭恵夫人がスカーフ着用で写っていた。以前、イランで仕事をする邦人ジャーナリストもスカーフを着用していた。国ごとに違いはあろうが、いくつかのイスラム諸国では外国人といえどもイスラムの習慣を強制されるようだ。考えてみればおかしなことである。
昨日の朝日新聞に「トルコ政権の言論弾圧」との見出しの記事が載っている。それによれば現在のエルドアン政権に閉鎖された報道機関は約150社に及ぶ。収監されているジャーナリストは2017年73人、16年81人で2年連続で世界最多とか。
世界一の親日国を台湾と競っている?トルコのジャーナリストたちの受難は残念至極であり、心が痛む。トルコはほぼ100年間、国父とも言うべきケマル・パシャの政教分離の国是を固く守ってきた。それがいまや過去のものとなりつつあるのは悲しい。しかも現政権は国民の固い支持を得ている。
トルコだけではない。「多様性のなかでの統一」を掲げ諸宗教の共存を国是としてきたインドネシアで、ジャカルタ市長がイスラム教を冒涜したとの市民の怒りで市長の座を追われた。不注意な発言はあったようだが、穏和派イスラム教徒が支配的とされてきた国でもイスラム教の急進化が進んでいるようだ。同教内のスンニ派とシーア派の抗争もイラク、パキスタン、バングラデシュなどで激化している。
今年刊行された飯山陽『 イスラム教の論理 』( 新潮新書 ) によればイスラム国 IS のイスラム教解釈は正しい。したがってイスラム過激派と呼ぶよりはイスラム原理派と呼ぶのが正しいようだ。キリスト教諸国もかつては新旧両教徒の間の殺し合いがあり、進化論を未だに否定する原理派もいる。しかし政治と宗教を分けて考えるべきだとの考えが今では支配的である。イスラム教も政教分離容認の途上だと私は考えていたが、世界の一体化、グローバル化はむしろ逆の流れを活性化するようだ。諸国民の共存は正しい目標だが、混住がそうとは言えない。
2018年5月2日水曜日
北関東一泊旅行
例年、連休を避けその前後に、遅咲きの桜花を求めて東北地方や長野県を訪れるのが慣例となっていたが、年齢とともに走行距離は縮まってゆき、今年は北関東の草津温泉となった。先ごろの元白根山の噴火で客足が伸びないとの草津町長の嘆きを聞いたことも計画の後押しをした。
上信越高速道の渋川インターを降りてから草津 ( 標高1100米 ) 迄の一般道はけっこう長いが、予想通り花の歓迎を受け続けた。渋川近辺はハナミズキの並木が主で、いつの間にかハナミズキがわが国の主要な街路樹のひとつとなっていたことを知らされた。その後は標高が上がるにつれ沿道の桜が、草津の咲きそめの山桜まで絶え間無く続いた。途中の枝垂れ桜や八重桜は沿道の住民が植えたものが成長したのだろう。
近年は北関東では山向こうの万座温泉を贔屓にしてきたが、草津の某小亭は40年近く前に泊まったことがあり、歓待された。人出は中心の湯畑あたりはそれなりだったが、季節を考えれば例年より少なかったかもしれない。
帰路は軽井沢、野辺山を回り、須玉インターから中央高速を利用して帰宅した。この日 ( 27日 ) は前日ほどの好天では無かったが山間の桜は満開のところも多く、「行く春」を家人と惜しむことができた。
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