2017年9月22日金曜日

ロヒンギャ問題とスーチー女史

少数民族ロヒンギャに対するミャンマーの警察や暴徒による人権侵害に「国家顧問」アウンサンスーチー女史が抗議しないとの批判が国連やその加盟国から強く挙げられている。同じノーベル賞受賞者のパキスタン人のマララもスーチーの沈黙を批判している。

たしかに40万人とも言われる国外避難者の数もその困窮ぶりもただごとではない。しかしスーチーの地位は自称であって憲法上明文化されたものではないのでは?  そうとすれば国軍に対する立場は弱く、いわば相手のお目こぼしに依存しているとも言える。

しかし、それ以上に彼女の言動を縛っているのは国民の九割を占めるという仏教徒の反ロヒンギャ感情だろう。ロヒンギャの信仰するイスラム教と仏教の相性が一般論として悪いとは言い切れないが、それが民族の差異と重なった場合、相容れない関係となってくる。運動家と異なり政治家に圧倒的多数の国民の声にあらがえと要求するのは困難である。それは政治家であることをやめろというのに近い。リンカーンでさえ当初は「だれもが抱いている感情というものは、正しくても正しくなくても、無視してはならないのである」として奴隷即時解放論をとらなかった。とれなかったのである。

最も公正な解決はロヒンギャが多数を占める地域の独立ないし隣国バングラデシュへの併合だろう( バングラデシュが望むかは分からないが ) 。 しかし、少数派の分離の権利 ( 自国領土の縮小 ) はヨーロッパでさえ最近のカタルーニャのスペインからの離脱要求のように容易には認められない。ヨーロッパの外に眼を転ずれば、イラン、イラク、トルコなどに住む人口三千万人とも言われるクルド人の分離独立を周辺国は認めようとしない ( 国境確定の難しさを考えれば反対も分からぬではない ) 。

かつて第一次大戦後、ギリシャとトルコ間の領土確定は計百数十万人の住民交換という荒療治 ( 当事者にとっては国外追放だろう ) により決着がつけられた。大戦という異常事態の後だからこそ実現できたと言える。現代ではマイノリティの権利の尊重という解決策しかないのだろう。

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