2017年9月29日金曜日

一寸先は闇!

「政界は一寸先は闇」とは言い古された言葉だが、あらためて真理と感じる。つい先日前原氏を新代表に選んだ民進党が出来たてホヤホヤの「希望の党」に吸収合併?されると予想した人は少ないのでは?

思えば山尾志桜里議員の「不倫事件」による党離脱が民進党混迷の発端だった。代わり映えのしない民進党幹部たちに代わって山尾氏が幹事長に抜擢されると聞いたとき、これは同党再生のきっかけになると期待した人は私も含めて多かったのではないか。同氏の軽率さは責められるべきだが、起死回生の一手と彼女を抜擢した前原氏にも小さくない打撃だったろう。

前途に自信を失いかけた前原氏にとり改憲で一致できる小池氏との連携は周囲が考えるほど奇策だったとは私は思わない。むしろ共産党を含む野党連携よりも受け入れ易いものだったろう。しかし小が大を呑み込むこの合同は、改憲と新安保法制の支持という条件で「希望の党」側が入党を審査するという屈辱的な条件付きで、吸収合併に限りなく近い。

私は民進党の両院議員総会は激論の場になると予想したが明確な反対は無く、満場一致の形をとったと聞き心底驚いた。党代表選挙で野党共闘路線を主張した枝野氏の支持者たちはなぜ反対しなかったのか。。

それを解くカギの一つは当日 ( 昨日 )の朝刊の世論調査での投票予想率ではなかろうか。出来たばかりで政策も明らかでない「希望の党」支持が13% ( 『朝日』も『毎日』も ) に対し、民進党支持はそれぞれ8%と5%だった。本来は国民が衆院解散を支持していないことを示したかった?新聞社の「全国緊急世論調査」はむしろ民進党議員たちの意気阻喪を招いたのではないか。これも「一寸先は闇」の好例かもしれない。

P.S.    前回のブログの国際購入費は国債購入費、国民の記憶は国民の記憶力の誤りです。悪しからず。

2017年9月27日水曜日

衆院解散の結果は?

安倍首相が衆院解散を決めた。この解散決断に対する前原民進党代表の「敵前逃亡解散」、「自己保身解散」を始めとする野党側の酷評に対し首相自身は「国難突破解散」と名付けている。「物は言いよう」と苦笑する他ない。

私はこれまでも書いて来たように北朝鮮の原爆やミサイルの脅威を重大と考えている。しかし、海の向こうを攻撃するミサイルを持たない我が国には米国を外交的に支援する以外に当面出来ることはない。国会審議のため一ヶ月や二ヶ月費やしても何の支障もあるまい。

安倍首相がもう一つの解散理由として挙げているのは、消費税2%引き上げで生まれる財源を一部社会保障に当てる他は国際購入費の削減による財政再建に当てるとの野党との過去の合意を変更し、幼児保育や高校教育の無料化に当てる。この公約変更につき有権者の意向を訊ねなければならないとの理由である。首相は少子高齢化の趨勢に対抗するため教育無償化を推進するというが、私は後代に残す赤字を少しでも減らすことがむしろ効果的だと考える。どちらが正しいかは別とし、首相と同じ事を先に唱えた前原氏をいわば出し抜くための口実として使ったとしか思えない。

東京新聞 ( 9月22日 ) の「本音のコラム」で作家の佐藤優氏は、今度の衆院解散が「森友・加計疑惑」から国民の目を逸らすためであるとして「権力者が国民の記憶を軽視しているように思えてならない」とする。同氏によれば氏と話した政治部記者たちはこの解散が与党を利すると考え、社会部記者たちはむしろ与党不利に働くと考えていると言う。こうなったら早く結果を知りたいと考える私は不謹慎か?

2017年9月22日金曜日

ロヒンギャ問題とスーチー女史

少数民族ロヒンギャに対するミャンマーの警察や暴徒による人権侵害に「国家顧問」アウンサンスーチー女史が抗議しないとの批判が国連やその加盟国から強く挙げられている。同じノーベル賞受賞者のパキスタン人のマララもスーチーの沈黙を批判している。

たしかに40万人とも言われる国外避難者の数もその困窮ぶりもただごとではない。しかしスーチーの地位は自称であって憲法上明文化されたものではないのでは?  そうとすれば国軍に対する立場は弱く、いわば相手のお目こぼしに依存しているとも言える。

しかし、それ以上に彼女の言動を縛っているのは国民の九割を占めるという仏教徒の反ロヒンギャ感情だろう。ロヒンギャの信仰するイスラム教と仏教の相性が一般論として悪いとは言い切れないが、それが民族の差異と重なった場合、相容れない関係となってくる。運動家と異なり政治家に圧倒的多数の国民の声にあらがえと要求するのは困難である。それは政治家であることをやめろというのに近い。リンカーンでさえ当初は「だれもが抱いている感情というものは、正しくても正しくなくても、無視してはならないのである」として奴隷即時解放論をとらなかった。とれなかったのである。

最も公正な解決はロヒンギャが多数を占める地域の独立ないし隣国バングラデシュへの併合だろう( バングラデシュが望むかは分からないが ) 。 しかし、少数派の分離の権利 ( 自国領土の縮小 ) はヨーロッパでさえ最近のカタルーニャのスペインからの離脱要求のように容易には認められない。ヨーロッパの外に眼を転ずれば、イラン、イラク、トルコなどに住む人口三千万人とも言われるクルド人の分離独立を周辺国は認めようとしない ( 国境確定の難しさを考えれば反対も分からぬではない ) 。

かつて第一次大戦後、ギリシャとトルコ間の領土確定は計百数十万人の住民交換という荒療治 ( 当事者にとっては国外追放だろう ) により決着がつけられた。大戦という異常事態の後だからこそ実現できたと言える。現代ではマイノリティの権利の尊重という解決策しかないのだろう。

2017年9月19日火曜日

教え子の著作

開成高校教師時代の教え子の太田八千穂氏から著書を進呈された ( 『登り道   鳥甲山から産婦人科医へ』幻冬社 2017年 )。わずか2年間の同校での勤務だったが、同君のクラスの2組の連中数名は授業だけでなく1DKの公団住宅の我が家を訪ねて騒いで帰ったので家内もよく知っているし ( 留学時、横浜港に見送りに来てくれた )、当時山岳部の部長だった太田君には山岳部の顧問を要請され一年半ほど務めた縁もある。

産婦人科医としての同君の活躍の章は用語を含めて門外漢には理解できたとは言えない! 著書の大部分を占める慈恵医大山岳部での活動をはじめとする登山歴や、文学 ( 高橋和巳 )や音楽 ( アルゼンチン・タンゴ ) への偏愛ぶり?のうち後者に関しては知らぬではなかったが、当時の大学山岳部の部活動の厳しさは想像以上だった。医大でもこれ程とは。その上、専門教育もなおざりに出来ないのだからよく頑張ったものだと感心した。

文中、同君の祖母で歌人の四賀光子の特集記事 (『読売』日曜版  2016年4月24日 )の存在を知らせたとして私の名前が言及されていた。図書館での新聞読みの思わぬ功徳??    馬鹿馬鹿しいとしか思えない衆院解散騒ぎにうんざりしていたとき、楽しい読書となった。

2017年9月15日金曜日

根拠の無い楽天主義

朝ドラの「ひよっこ」が北朝鮮のミサイル発射により放映中止となった。それは仕方のないことだが、朝のニュース番組が他局を含めてほとんどミサイル報道一色だったのには閉口した。もっとも私の不満は放送局にではなく北朝鮮に向けられるべきなのだろうが。

北朝鮮のミサイル発射に対する我が国の反応が過剰だとの声が韓国などにあるようだ。私も交通機関のストップなどは過剰反応だと思う。だが、北朝鮮の短期的な脅威に対しては過剰だとしても、中長期的な脅威に対しては今以上に過敏であって当然だと思う。暴言としか言いようのない北朝鮮の発言の真意が米国を交渉に引き出すことにあるとしても、悪罵もこれだけ続くと独裁者といえども国民の手前引っ込みがつかなくなる危険がある。

中長期的に北朝鮮の脅威に警戒が欠かせない理由の第一は、同国にとって朝鮮半島の統一は絶対に断念できない国家目的であることである。祖父金日成が北朝鮮国家の偶像である限り、彼の果たせなかった願いを放棄することは出来ない。そして韓国が北朝鮮による併呑を拒否する限り、武力による威圧 ( 必ずしも戦争ではなくとも ) での統一を断念できないだろう。

スイスの小都市ルツェルンには3万人分の核シェルターがあり、スイス全体でも人口分の核シェルターがあると聞く。どの国とも同盟を結んでいない永世中立国のスイスでもそれほど用心深い。私も東アジアに簡単に核戦争が起こるとは思っていない。しかし人命尊重がほとんど国是となっている現在の日本ほど脅迫に弱い国は考えられない。北朝鮮の核やミサイルの中長期的な脅威を軽視すべきではない。自国が戦争を嫌悪するからと言って他国もそうだと思い込むべきではない。「ひよっこ」の視聴を邪魔された怒りで言っているのではない!

2017年9月12日火曜日

岩手山登山の思い出

NHKのBSプレミアム「にっぽん百名山」は関心のある山の場合は見る。昨日は、私が20歳台の中ごろに登った東北の岩手山 ( 2038米 ) だった。番組では西側の松川温泉から登り、八合目の山小屋に一泊して山頂に達っし東側に降りるコースだったが、私の場合その逆のコースだった。

東北本線の夜行列車で早朝、大学での友人と二人滝沢駅に降りた。駅前から登山口までのバスを探したが、早朝だからかそもそもバス路線が無いのかバスの気配は皆無で、止むを得ず歩き出した。正午を過ぎて山頂に着き、その日のうちに松川温泉をめざして尾根道を歩いた ( 岩手山は盛岡方面からは独立峰に見えるが、連峰のひとつ )。「百名山」の番組では夕食の食材やコンロ持参なので重そうなリュックだったのに対し私たちは軽いリュックだったが、計15キロ ( と紹介していた ) のコース後半はやはり長かった。A君は生来の楽天家で途中で「あ、もう近い」と何度か言い、私が「未だ未だ」と返事することの繰り返しだった。それでも夕刻までに松川温泉に着いた。今思えばかなりの強行軍だったが若さで乗り越えた。翌日の午前、東京から直行したOさん ( 一年先輩 ) と合流し、八幡平にのぼり、籐七温泉と御生掛温泉に各一泊して帰京した。

ともにメディア業界に進んだ二人とはその後も安達太良鉄山に登ったりしたが今は二人とも故人である。真偽は明らかではないが、中間管理職となったA君は会社の労使紛争で板ばさみとなり自死したと聞いた ( あの楽天家の彼がそこまで追い詰められたとは.......)。その墓に一緒に詣でたOさんは定年後喉頭がんで亡くなった。声を失いたくないから手術をしないと本人から聞いたが、どちらが良かったか?  体力が無く何時も一番軽いリュックを許されていた私がこのブログを書いている。
 

2017年9月8日金曜日

北朝鮮制裁強化の必要

国連安保理に米国が提出した北朝鮮制裁強化案への中国とロシアの態度決定が注目されている。今朝の「朝日川柳」に「ハチの巣を説得しろと無理を言い」という川柳が載っている。「ハチの巣」はむろん北朝鮮を意味するが、米国が中ロに対して「無理を言」っているのか、逆に中ロが米国に「無理を言」っているのか今一つ明確でないが、撰者が「対話強調の中ロ」とコメントしているので後者と分かる。全く同感である。

米日韓三國がこれまで何年も北朝鮮と対話を行なっても効果はなく、その間に北朝鮮は原爆 ( 水爆も?)の弾頭とそれを運ぶICBMを完成させてしまった ( らしい )。私はオバマ前大統領のイランやキューバに対する宥和的政策を支持するが、北朝鮮に対しては優柔不断だったと言わざるを得ない。ケネディ元大統領は「一度騙されたら騙した方が悪いが、二度騙されたら騙された方が悪い」との名言を吐いている。

現在、韓国には軍民合わせて20万人の米国人と5万人の日本人がいると聞く。軍事的解決は不可能ではなくとも犠牲があまりに多いと米国も考えるだろう。となれば、徹底した圧力、北朝鮮と経済関係を続ける第三国 ( とくに中ロ ) への準経済断交も、どれほど自国へのはね返りがあっても決意せざるを得ないだろう。

中ロも米本土に照準を合わせたICBMを所有しているではないかとの北朝鮮弁護論もあろう。しかし之まで中ロ両国の行動にどれだけ不満があっても、両国が自国防衛以外に原水爆を使用することは考えられなかった( そのぐらいの責任感は期待できた )。北朝鮮とても原爆開発の当初の目的は自国の存立だったろうが、これほど強力な道具をそれだけに使用を抑制する保証はない。「対話」は原爆やICBMの開発凍結では不十分である。逆に、もし北朝鮮の「核」の完全廃棄に中ロが協力するならば米国も両国の正当な不安や不満を鎮めるための代償 ( サード配備の中止以上の ) を用意しなければならない。

2017年9月7日木曜日

世界の大学ランキング

新聞各紙に「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」による世界の大学ランキングが載っており、今年の1位はオックスフォード大、2位ケンブリッジ大で、3位にカリフォルニア工科大とスタンフォード大と米国勢が占め、アジアからはシンガポール国立大22位、北京大27位、清華大30位。日本勢は東京大46位、京都大74位である。

年度ごとの変動はあるが ( 去年は1位オックスフォード大、2位カリフォルニア工科大、3位スタンフォード大 )、日本の大学の順位はあまり変わらない。何とも情けない話のようだが、上位10校では米国7校、英国3校、スイス1校 ( 同位校あり )、上位20校なら米国15校、英国4校、スイス1校となり、パリ大学もモスクワ大学も入っていない。ドイツさえミュンヘン大34位、フンボルト ( ベルリン )大62位。つまり英語公用語国が圧倒的に有利なのである。

そうなるのは他者に引用された論文数以外に教員対学生比率、外国人教員比率、外国人学生比率が選考基準になっているからである。日本の大学の国際化が遅れていることは以前から指摘されているが、英国以外のヨーロッパ諸国も同じであり、全ての学問分野で自国民の研究者が育っていることも大きいだろう。

とは言え現状に満足して良いはずはない。最近亡くなった私の教え子の物理学者は日本の研究者による論文数の減少を憂いていた。やはり絶対数が少ないと優れた論文も少なくなるという。大学や研究機関の予算増額も必要だろうが、中学校や高校の理科教育の充実も効果があるだろう。今朝の『朝日川柳』に、「やれ東大京大言うの日本だけ」と言われたくない!

P.S.前回の『毎日』のコラム「余滴」は「余禄」の誤り。「余滴」の方が趣があると思うが!

2017年9月2日土曜日

朝鮮人虐殺事件と小池都知事

関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件に関し小池都知事が関係団体 ( 日朝協会 ) の犠牲者慰霊の行事に追悼文を送らなかったことがメディアで報道され問題視されている。従来は石原知事も舛添知事も追悼文を寄せていたのであれば、そこに変更への積極的判断があったのだろう。知事自身の詳しい説明がない現在推測するしかないが、犠牲者6千余人との関係団体の挙げる数字が過大だと考えているとの推測は可能だろう。

2009年の政府の中央防災会議は震災時の約十万人の死者のうち朝鮮人 ( 一部は中国人も ) の虐殺犠牲者数を1%から数%と推定したという ( 朝鮮総督府による調査では千人弱とあるので1%とはそれも根拠とされたのか?) 。大きな幅のある数字だが、それ以上の確かな数字は決めようがないだろう。

そうした現状であっても千人単位の犠牲者があったとは言えそうだ。日本文化を熱愛したポール・クローデル仏大使 ( 劇作家としても有名 ) も朝鮮人が殺されるのを目撃している ( 『毎日』のコラム「余滴」9月1日 )し、のちの評論家清水幾太郎も血まみれの銃剣を目撃したという。いずれにせよ関係団体の「自然災害の犠牲と人の手で虐殺された犠牲とは性質が異なる」との小池批判は正しいと言う他ない。小池知事は少なくともより詳しい説明をすべきだろう。

小池都知事による都政の大掃除は都民の圧倒的支持を得てきた。しかしメディアの批判を生んだ今回の知事の判断は「都民ファースト」運動にとって躓きの石となるかもしれない。都議会の既成政党は自民党も民進党も、付け入る隙を見出したと思っているかもしれない。