個人的な暗殺まで含めればテロは歴史とともに古いだろうが、テロやテロリズムという言葉が一般的になったのはフランス革命からだろう。しかし、それが連続して起こる流行期のようなものはある。19世紀末から20世紀初頭にかけて無政府主義者たちによるマッキンリー米大統領、カルノー仏大統領、エリザベート墺皇后 ( いっときわが国でも有名人になった ) らの暗殺もその一つである。一部のアナーキストにとっては高い地位にある人物はその地位ゆえに殺されてよいと考えられた。それまでのテロが個人的憎悪や復讐心に発していたとすればアナーキストのテロはいわば思想的動機に発していた。
無論その後も思想的政治的テロは絶えなかった。第一次大戦後イギリスが管理したパレスチナではユダヤ人による英軍管理施設への爆弾テロがあり、今次大戦後では北アイルランドでのプロテスタント系住民とカトリック系住民の間での長く続いた爆弾テロがあった。しかし、パレスチナでも北アイルランドでも原則としてテロは建物や施設の破壊行為であり、人間は退避できるよう直前に通告があった ( もちろん原則が守られない場合も、手違いで通告遅れの場合も少なくなかったろうが )。しかし、現在のテロは明らかに人命 ( それも出来るだけ多数の ) を狙った行為であり、それが流行となっている。その非人間性は過去の比ではない。
最近のオリンピックでは開催費のうちの警備費が巨額になりつつあるようだ。そうでなくとも大会の規模拡大とともに中小国でのオリンピック開催は困難になってきている。その上に多額の警備費となれば、そのうち大国でも開催を返上したい国が出てくるかもしれない。私の生きているうちにも ( それって何年先と思っているの?!)。
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