2017年4月30日日曜日

盆栽の世界大会

盆栽の世界大会が我が国で開催され多くの外国人が訪れている。元来は中国から伝わったものらしいが、今日では外国でBONSAI として知られているそうなので、今は日本が本場 ( 少なくともその一つ )なのだろう。私にどれほどの美的センスがあるかは別とし、大木や林までもが数十センチのうちに再現されているのは驚異であり、本当に美しいと感ずる。盆栽だけではない。かつて日系移民二世は米国で庭師になる人が少なくなかったようだが、今でも我が国の庭師たち ( と言ってもその辺の農家 なのだが )の美意識の確かさには感心する。

むかし ( 1982年 ) 、韓国の評論家李御寧氏の『「縮み」志向の日本人』が日本文化論として話題を呼んだ。確かに日本人は大きなものより小さなものに心を動かされるようだ。中国の天安門広場を囲む建築群の巨大さは印象的であるが、国力の違いばかりが彼我の差の原因ではあるまい。やはり美意識の違いがそこに存在するのだろう。二十年ほど前、中国の客人を都心に案内して旧首相官邸の前を通ったら彼女が、how small ! と叫んだので私も家内も憮然となった。

ヨーロッパ人と一言で言っても国民性は様々であることは知られている。英国が美食の国だと思う人は少ないだろう。何しろ英国では料理の味付けは各自が食卓の塩と胡椒でする ( していた )。英国人は内心ではラテン民族の美食への執着を軽蔑しているのではないかとさえ思いたくなる。しかしフランス人やイタリア人の美的センスはゲルマン系民族も一目も二目も置いている ( 自国の自動車のデザインを彼らに依頼することが少なくない )。

今日のアジアでは各国民が他国の短所にばかり目を向けているが、それぞれの国民の長所が冷静に評価される時代が早く来て欲しいものである。

2017年4月25日火曜日

大谷石資料館

昨日、宇都宮市の大谷石資料館を訪ねた。仙台に知人を訪ねた帰途、福島の高湯温泉に一泊。そのまま真っ直ぐ帰京するのも勿体ないので大谷石資料館に立ち寄った。ここは十数年前に同僚と三人で訪れたが、休館日 ( 現在は冬期以外は無休 )で見学できず、四年前は家内と立ち寄ったが東日本大震災の後で地下の採石場跡が危険なので休館中。今回が三度目の正直だった。

今回意外だったのは前二回は人の気配があまりなかった ( 休館のためだけか?)が、今年は広い駐車場に何台も車がおり、若い人たちの訪問者が多かったこと。入場して分かったのは、近年テレビや映画のロケ地として、またクラシック音楽やロックバンドのコンサート会場として ( 能楽や生花も!) 頻繁に使用されたとのことで、今流行の「聖地巡礼」の地になっているらしいことである ( 内部に写真が展示 ) 。

大谷石と言っても関東地方以外の人には旧帝国ホテル の正面 ( 現在は犬山の明治村に移築 ) ぐらいしか思い浮かばないかもしれないが、関東では主に塀として、一部には蔵や住宅の材料として利用され、見慣れたものだった。その採石場跡は新建材が多用される現在は一種の産業遺跡となっている。垂直の壁に囲まれた幾つもの巨大な空間は原色の投光器で照らされた異色の空間である。内部は階段の連続なので足の弱った老人向きではないのが残念と言えば言える。

戸外は「山笑う」という季語そのままの出始めた新緑と山桜が、暗い空間から出たという理由も加わり立ち去り難いほど美しかった。私が年間で一番好きな時期で、そのあまりに短いのを惜しむばかりである。

2017年4月20日木曜日

辺真一氏の近著

韓国では看板や地名表示などにハングル文字以外はほとんど使われないので、外国人には最も不親切な国だと聞いたことがある。ガイド付きの四泊五日の旅行ではあまり実感はなかったが.......。

私は韓国の知人にソウルは漢字ではどの字になるのかと聞いて、該当する漢字はないとの答えにびっくりしたことがある。「日帝支配36年」時代の京城は論外かもしれないが、ソウルはかつて漢城、漢陽など立派な?漢字名を持っていたのに。看板同様、外国人に不便かどうかなど韓国人にはどうでも良いことだろうが、一事が万事ということもある。私には独善のように映る。

日韓問題というと毎日のようにテレビで発言している辺真一氏の最近著『在日の涙』( 飛鳥新社 4月17日刊 ) を読んだ。氏の著作を読んでいない私にはテレビでの氏の発言を聞いても日韓関係や北朝鮮に対する氏の立場がいま一つ分からなかったので読んでみたのである。

「私がはじめて公刊する『祖国・韓国への諫言』である」と氏が宣言する本書を読んでその厳しい韓国批判に正直驚いた ( 「韓国人の認識不足には度し難いものがある」)。その理由の一半は書名が示すように氏が徹底して在日コリアンの立場で書いていることにあるのだろう。韓国語が流暢でない在日が韓国で「半日本人」と蔑まれることは知られているが ( 本国人より下手なのは当たり前ではないか!)、日韓基本条約で日本が韓国に支払った8億ドルの経済協力金以上の金額を本国につぎ込んだという在日の一人として、また、かつてロッテの韓国進出を懇願したのに今は罪人扱いする本国に堪忍袋の緒が切れたのだろう ( 「誰のおかげで韓国はここまで大きくなったのか」)。平均的日本人の韓国観よりも厳しいと私が感じたのは正確ではなく、氏の韓国批判に我々が知らない事実も少なくない ( ともかくも反日武力闘争をした金日成に対する韓国人のコンプレックス。漢字廃止で北に先を越された南、などなど )ことが理由なのだろう。

「帰国運動」で家族を北に送った在日コリアンが日本人より早く北への幻想を脱したとする辺真一氏はそれでも北朝鮮との連携を日本に勧める。それは日本海への出口を持たない中国が北朝鮮 ( 各種の豊富な鉱物資源を持つ ) への領土的野心を持つとの辺氏の確信もあるが、それによって韓国や中国の反日感情が気勢を削がれるとの理由からでもある。意外な提言だが、果たしてそうなるか.........。

2017年4月18日火曜日

「最後の拠り所」

刑務所を出所しても生活は成り立たず、再び犯罪にはしる高齢者が多いという。今朝のNHKニュースで二十歳から始まり服役11回を数え出所した老人のケースを取り挙げていた。途中から見たのか (  それが思い出せない!) 、10回まで何の罪を犯したのか思い出せないが、警察も市役所も明日以後の生活相談に乗ってくれない。下関駅で夜を過ごそうとしたが深夜には閉鎖するので追い出され、ついに放火して同駅を全焼させたという。出所後一年の現在はちょっとした仕事に就いてやっと小さな幸せを掴んだようだ。この老人にこれまで選択肢は果たしてあったのかと番組は問うていた。

高齢の犯罪者にはわざと無銭飲食をするなどして刑務所入りする者が少なくないという。「木枯らしが吹くと舞い戻ってくる人々がいる。『検事さん、私も年でね。できたら南の方の刑務所をおねがいしますよ』............。雇ってくれる人もない。生活保護を求める手段も知らない。こうした人々にとって、刑務所は、飢えと寒さと世間の風から守ってくれる最後の拠り所だった」。『日本経済新聞』の火曜日の夕刊のコラムに半年間 ( 2015年1月~6月 )、25回のエッセーを寄せた元検事総長は私の短い高校教師時代の教え子である。読んだと声をかけてくれる知人は多くても、本気で書いた宗教や社会時評への言及ではなく「人情話」への評が多かったということだが、同君の謙遜と照れ隠しだろう。生徒の頃の抜群のスピーチの才能が今は文筆の才に姿を変えている。見聞したことのない ( むろん正式入所したこともない!)「最後の拠り所」の中を垣間見せてもらった気がする。同僚の検事たちも人情を解する人たちだったと信じたい。

2017年4月15日土曜日

桜を詠んだ歌

今朝の新聞の川柳欄に「散らかせど叱られもせず花吹雪」「見てるだけ乗れませんよと花筏」と桜花を詠んだ二句が載っている。ちょうど昨日今日と花吹雪が激しく、水面ならぬ駅前広場は一面の花びらだった。

少なくとも東京では開花宣言後も続いた寒さのためか満開になかなか至らなかったが、そのためか花期は4月に2週間近く続いた。そのせいかメディアの花便りも例年以上に頻繁だった。山桜や八重桜はこれから盛りを迎えるのが楽しみである。

桜花を詠んだ歌といえば西行の「願わくば花の下にて春死なむ........」が有名だが、日本人の桜花好きといえば在原業平の「世の中にたえて桜のなかりせば.........」がピッタリだし、私個人もこちらを好む。万葉集の格調の高さが良く理解できない私は古今集の方に気に入った歌が多い。とくに業平の歌は形にはまっていないので ( 「忘れては夢かとぞ思ふ思いきや......」)好きである。

先日、何新聞の投稿欄かは忘れたが、「同期の桜」のような戦時の犠牲的精神を賛美している軍歌がテレビで歌われたのは嘆かわしい上に危険な徴候だとの投稿が載っていた。軍歌も大部分は 忘れられてメディアで聞かれるのは一部分なのだが、「同期の桜」は現代でも同期入社の社員たちの酒の席で歌われるので ( インターネットによると愛好に世代差がない!)、やり玉に上がったのだろう。しかし、ほとんど歌われない4番以下を除けば天皇や軍人精神をとくに賛美した歌でもないので、そこまで警戒することもないと思うのだが、桜の散り方からいさぎよい死という連想になるからいけないのか。ひとの感じ方はさまざまである。

2017年4月12日水曜日

米国のシリア空軍基地攻撃

昨日イタリアで開かれていた主要7ヵ国 ( G7 )の外相会合は共同声明で先日の米軍機のシリア空軍基地への攻撃を、「シリアでの戦争犯罪に対応し、化学兵器の使用を防止するため注意深く計算された、対象が限定された対応」と是認した ( 東京新聞4月12日 )。同時にロシアを「重要な国際的プレーヤー」と認め、対露追加制裁を認めなかった。

米軍の攻撃の翌4月8日の新聞各紙の社説の見出しは『朝日』の「無責任な単独行動だ」と『産経』の「蛮行許さぬ妥当な措置だ」を両極端として、他紙は「介入の決意を示したトランプ氏」(『読売』)、「政治解決へ本腰を入れよ」( 『毎日』)、「武力に頼りすぎるな」( 『東京』)と、断定的な非難も支持も避けていた。

今回の攻撃が毒ガスに苦しむ子供たちの映像に促がされたとのトランプ氏の言葉を否定する気はない。しかし動機としては自国内の施策が抵抗に会い停滞していることや、オバマ前大統領がシリア問題で不決断だったと攻撃した手前、何らかの行動に出ざるを得なかったことが大きかっただろうし、中国に北朝鮮への圧力を迫るためもそれに劣らぬ動機だろう。今がチャンスと見たのだろう。

トランプしを動かした動機はともかく化学兵器の使用が人道に反することは疑い無く、言葉だけの反対で良いのかという疑問は残る。第一次世界大戦後の国際連盟は侵略国に対し事実上は経済制裁しか要求できず、枢軸国の連盟規約違反に無力だったし、現在の国際連合はその反省の上に立って武力制裁を可能としたが、五常任理事国の一致を条件としたため実効を挙げてこなかった。今回も米国議会や国連と協議していたら従来どうり非難決議が精一杯だった可能性が大きい。

しかし、もしシリアやロシアが主張するように反体制派が所有していた毒ガスが惨劇の原因だったとすれば話はまったく別である。その可能性は乏しいが、住民を盾にすることを意に介さない一部の反体制派にとって敗北を避ける方法は他に無くなったことも事実。それともG7はシリア政権の毒ガス使用の確証をつかんだのだろうか。その証拠が何より待たれるところである。

2017年4月8日土曜日

山菜の季節

庭のタラの木にタラの芽が八個ほどついた。ニ、三日前には小さな芽で、今年の寒さのせいで遅れるだろうと思っていたが、あっという間に数センチの大きさになったので二個を残して収穫した。明日にでも、買ってきたマイタケなどとともに天麩羅にして食べるのが楽しみである。もう一回は芽がでて収穫できるだろう。

3月中頃には裏の土手でフキノトウを摘んだ。と言っても矢張り数個を二回収穫した程度だが、去年は目に見えて個数が減少していたので今年は全滅かと思っていたが、逆に少しだが増えた。しかし来年のためにと四つほど残しておいたら誰かに取られてしまった。フェンスの外なので文句は言えないが、道から急斜面を10メートル近くも登って取る人がいるとは予想しなかった。

例年この時期には一面にツクシが生え二度ぐらい取るのだが、今年は遅いなと思っていたら二軒隣の家の斜面ではいっぱい生えている。一面に生える様を横の階段から見ると、大きさは違うが縞枯れ状態の山腹そっくり。しかし、写真に撮っても結果はいま一つだった。我が家の斜面になぜ今年生えないのか、これからなのか分からない。

タラの芽もフキノトウもツクシも量は微々たるものだし買ったものと味に違いがある訳ではないが、採れたてなので新鮮に感じて当人は有り難がっている。

2017年4月6日木曜日

国鉄民営化 三十年後

旧国鉄が分割民営化されJR6社が発足して今年で三十周年という。そのことの評価は何を重視するかによってさまざまだろう。苦労を強いられた人も少なくないだろうが、私自身はJR発足以来鉄道運賃が上昇しなくなったことは ( 特急料金などの例外はあるが ) 高く評価している。もし旧国鉄がそのまま存続していればそれまで同様運賃値上げが続いていたと思うから。JR貨物もようやく赤字を脱しつつあると聞く。

しかし、JR北海道やJR四国など人口減少地域のJR各社は経営難に苦しんでいる。人口減だけでなく、マイカーの普及がむしろ経営難の主因だろう。しかし、住民にマイカーの便利さを捨てろとは言えない。自治体の財政援助も限界があるとすれば北海道の場合せめて道一周などの主要路線は残して欲しい ( 最北端の稚内までの路線廃止もあり得るとは信じたくない )。

JR他社の場合、鉄道以外の業種への参入が認められ経営に大いに貢献していると聞く。それとは少し異なるが、JR九州の「ななつ星」が話題を呼び、こんどはJR西日本が「トワイライトエクスプレス瑞風」を六月から運営する。「ななつ星」の最高グレードが3泊4日95万円にも驚いたが、「瑞風」の同クラスは2泊3日で125万円で予約多数という。それだけの運賃 ( それでも運賃と呼べるのか!)を払っても10両に30人程度の乗客で、単独では赤字だという。全体として会社のイメージアップに貢献するということなら反対しても仕方が無いし、そもそもいくら高額料金でも乗る乗らぬは乗客の勝手である。私などモノとして手元に残らぬものに125万円を払う気になれないが、最高の思い出になると言うならそうですかと言うほかない。私は物欲重視人間なのだろうか?   ともあれ「ななつ星」や「瑞風」が両社の経営改善に貢献するよう願うばかりである。

2017年4月5日水曜日

テロの蔓延

ロシアのサンクトペテルブルクで地下鉄爆破テロが発生し、被害は死者だけでも二桁になりつつある。先々週のロンドンに続いてということならプーチン大統領の強権的政治に原因を帰すことは正しくない。

個人的な暗殺まで含めればテロは歴史とともに古いだろうが、テロやテロリズムという言葉が一般的になったのはフランス革命からだろう。しかし、それが連続して起こる流行期のようなものはある。19世紀末から20世紀初頭にかけて無政府主義者たちによるマッキンリー米大統領、カルノー仏大統領、エリザベート墺皇后 ( いっときわが国でも有名人になった ) らの暗殺もその一つである。一部のアナーキストにとっては高い地位にある人物はその地位ゆえに殺されてよいと考えられた。それまでのテロが個人的憎悪や復讐心に発していたとすればアナーキストのテロはいわば思想的動機に発していた。

無論その後も思想的政治的テロは絶えなかった。第一次大戦後イギリスが管理したパレスチナではユダヤ人による英軍管理施設への爆弾テロがあり、今次大戦後では北アイルランドでのプロテスタント系住民とカトリック系住民の間での長く続いた爆弾テロがあった。しかし、パレスチナでも北アイルランドでも原則としてテロは建物や施設の破壊行為であり、人間は退避できるよう直前に通告があった ( もちろん原則が守られない場合も、手違いで通告遅れの場合も少なくなかったろうが )。しかし、現在のテロは明らかに人命 ( それも出来るだけ多数の ) を狙った行為であり、それが流行となっている。その非人間性は過去の比ではない。

最近のオリンピックでは開催費のうちの警備費が巨額になりつつあるようだ。そうでなくとも大会の規模拡大とともに中小国でのオリンピック開催は困難になってきている。その上に多額の警備費となれば、そのうち大国でも開催を返上したい国が出てくるかもしれない。私の生きているうちにも ( それって何年先と思っているの?!)。