戦時中のソウル ( 京城 ) の邦字紙の韓国人従軍慰安婦の募集広告ではその報酬額は同年齢層の女性のそれの10倍だったという ( 秦郁彦 ) 。彼女たちは知らなかっただろうが、親たちが慰安婦の仕事の実態を全く知らなかったとは考えにくい。そこには子ども ( とくに女性の ) が家のために犠牲になるのは時にはやむを得ないとの家父長制的心性が働いていたのではないか? 我が国の戦前の東北地方の子女の身売りの場合も絶対的貧困の存在は否定できないが、同じ心性が働いたのではないかと私は推測している。
1965年の日韓請求権協定の締結時に韓国側が従軍慰安婦問題の解決を強く迫ったとは聞かない。むしろ当時の彼女らは国の恥、対日協力者と見られており、名乗り出るどころではなかったのではないか? 韓国民が彼女らの存在を知らなかった筈がない。
同じ昨日の新聞に韓国の検察に起訴されていた朴裕河世宗大学教授の『帝国の慰安婦』( 日本版 朝日新聞出版 1992 ) に対しソウル地裁が、元慰安婦たちの名誉を毀損していないとの理由で無罪を言い渡した。我が国で「大佛次郎論壇賞」や「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム賞」を受けた学問的著作が司法により有罪とされるようでは「美濃部事件」や「滝川事件」を起こした戦前日本と何ほども変わらない。世論に抗して学問の自由、表現の自由を何よりも重視した裁判官には心からの敬意を表したい ( まだ控訴審があるが )。真の日韓和解のため同胞の無理解をおそれなかった朴裕河氏の勇気は言うまでもない。
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