2017年1月28日土曜日

煙草の値上がり

日本たばこ産業 ( JT )が、「わかば」「エコー」「しんせい」「ゴールデンバット」など6ブランドを4月から値上げするという。はて、しばらく前に煙草は一斉値上げになったはずなのにと思ったら、これらは「旧3級品」と分類され、これ迄値上げはなかったようだ。

部外者には煙草の名称以外に分類があったとは初耳である。「しんせい」( 昔は「新生」だった?) は戦後しばらくは上級品の「ピース」と並んで代表的な煙草の銘柄だったが、やがてその存在を忘れていたのは私だけだろうか。ところが、30年ぐらい前、地方の自動販売機を利用したとき、「しんせい」や「わかば」など大都会ではもう見かけなくなった銘柄が未だ存在すると知った。

私は一日に三、四本吸う程度で、味の違いもよくは分からず、喫煙者と呼べないほどの喫煙者である。何か仕事 ( 新聞読み程度でも ) を終えたが次の仕事にすぐ取りかかりたくない時、煙草に手を出す ( むかし専売公社の宣伝文句に「たばこは生活の句読点」とあったが、私にピッタリだった)。したがってレストランやカフェが全面禁煙となっても困らないが、入口に喫煙可か不可を明示すれば全面禁煙まで必要かとは思う。

大都市と地方で売る煙草の種類にはっきり差があるのは所得水準の違いもあるのだろう。しかし世間体といったことも大きいのではないか。仮に近所で「しんせい」や「わかば」が売っていても私は人前でそれらを吸うかどうか何とも言えない。人間は周囲に左右されやすい存在である ( お前がだろう! )。ただ私は銘柄のいつの間にかの変化を忘れて値上げ反対を表明したくない。少なくとも嗜好品の値上げには反対しない。

2017年1月27日金曜日

韓国における「表現の自由」の現在

昨日の新聞によると中国の天津で大規模なニセ調味料工場が摘発された。工場用塩などで醤油を作っていたが、その塩には人体に有害な成分が含まれていたという。中国では同種の話を時おり聞くが、価格は本物の醤油の数分の1だった。ひどい話だが、ニセ醤油を買った人たちが数分の1の価格の品を本物と誤解していたとは考えられない。承知の上で購入したのだろう。

戦時中のソウル ( 京城 ) の邦字紙の韓国人従軍慰安婦の募集広告ではその報酬額は同年齢層の女性のそれの10倍だったという ( 秦郁彦 ) 。彼女たちは知らなかっただろうが、親たちが慰安婦の仕事の実態を全く知らなかったとは考えにくい。そこには子ども ( とくに女性の ) が家のために犠牲になるのは時にはやむを得ないとの家父長制的心性が働いていたのではないか?  我が国の戦前の東北地方の子女の身売りの場合も絶対的貧困の存在は否定できないが、同じ心性が働いたのではないかと私は推測している。

1965年の日韓請求権協定の締結時に韓国側が従軍慰安婦問題の解決を強く迫ったとは聞かない。むしろ当時の彼女らは国の恥、対日協力者と見られており、名乗り出るどころではなかったのではないか?  韓国民が彼女らの存在を知らなかった筈がない。

同じ昨日の新聞に韓国の検察に起訴されていた朴裕河世宗大学教授の『帝国の慰安婦』( 日本版  朝日新聞出版  1992 ) に対しソウル地裁が、元慰安婦たちの名誉を毀損していないとの理由で無罪を言い渡した。我が国で「大佛次郎論壇賞」や「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム賞」を受けた学問的著作が司法により有罪とされるようでは「美濃部事件」や「滝川事件」を起こした戦前日本と何ほども変わらない。世論に抗して学問の自由、表現の自由を何よりも重視した裁判官には心からの敬意を表したい ( まだ控訴審があるが )。真の日韓和解のため同胞の無理解をおそれなかった朴裕河氏の勇気は言うまでもない。

2017年1月24日火曜日

天皇退位問題の決め方

天皇退位をめぐる「有識者会議」の結論が発表された。新聞では「特例法ありき   本質論低調」との見出しの『朝日』を先頭にどちらかと言えば批判的論調が多いようだ。しかし私は会議のまとめとしてはこの程度が妥当だと思う。

私は以前のブログで摂政制の活用をベストとしたが、その後天皇の希望が近日中の退位ではなく、平成三十年あたり?を区切りに考えておられるらしいと分かってきた。それならば特例法制定なら可能だろう。

それでは皇室典範の本格的改正はどうか。本質的議論が低調だったとの批判はそもそも有識者会議への過大な期待に基づくのではないか。千数百年続く天皇制の皇位継承問題に終止符を打つには、女性天皇や女性宮家創設などの問題を全く素通りするわけには行くまい。そうなれば一年程度で論議に決着が付くとはとても思えない。やはり論点整理にとどまるべきであり、国権の最高機関である国会以外に決定できる者はいない。現天皇の希望に沿えるかどうかは大きな問題ではない。

元来、君主制は人間平等の原理に合致しない存在であり、本質論を始めたら玉ねぎの皮をむくように存在意義は限りなく縮小しかねない。君主制は人間性の不完全性の自覚にもとずく便法と考えた方が良い。悪用されないことを第一に考えるべきではないか。

2017年1月21日土曜日

米国大統領の就任行事

いまや世界の話題を独占するかのような米国大統領の就任行事が終わった。これまでの歴代大統領の場合もさわり?の部分は紹介されて来たが、今回ほどその一部始終がテレビ放送されたことはなかった。これはトランプ氏の功績か??  ともあれ、ブッシュ ( 父 ) 大統領をのぞき存命中のカーター氏以後の歴代大統領の姿が見られたのは懐かしかった。

新大統領の就任演説もその内容に賛否は当然あろうが流石に良く練られており、16分間と短いのも良かった ( 就任式全体の長さも前回の三分の一程度とか )。長い演説は印象が散漫になるだけではない。無理に引き延ばすと安倍首相のハワイ演説のように「寛容」という言葉を何回も用いて中韓両国を無用に苛立たせることにもなる。また日本の首相が日韓合意の実行を求めるのは当然だが、10億円を支払ったのにと、この人は言わでもがなのことを言う困った癖がある。

徹底して「米国ファースト」を強調するトランプ演説は米国民の耳には心地よく響くだろうが、その政策とくに経済政策が果たして米国民に望ましい結果を生むかは未知数である。それでも結果が悪ければ4年後に国民が判定を下すだろう。演説で批判された元 ( 前 ) 大統領たちがそれでも新大統領の前途を祝福する光景は、私にはやはり心温まる光景と感じられた。

反対派のデモは当然の権利行使だが、一部の黒ずくめの人たちの破壊行為はやはり見たくなかった。トランプ氏の人種差別的発言と比べて些細な事という見方には同意できない。かつて治安が悪かったニューヨークの下町を安全な街に変えた当時の市長 ( ジュリアーニ氏?) の対策の第一歩は破れた窓ガラスや落書きを無くすことだったという。反対デモを支持する著名人たちが破壊行為を大目に見れば、大衆は彼らの正しい発言にまで懐疑の目を向けるだろう。

2017年1月18日水曜日

年賀状あれこれ ( 2 )

一昨日、お年玉つき年賀葉書の当選番号の発表があり、三等の切手シートが7枚当たった。100枚中2枚、つまり2%しか当たらないのだから今年は近年にない当たり年である。二等 ( ふるさと小包み )  はなく、むろん一等もなかったが。

抽選当日、NHKニュースでは番号発表はなかった。当選してもあまり有難みがないから掲載しなかったのか?  確かに理解出来ないでもない。三等の葉書をくれた方にお礼の電話をしたいが、逆にそんなことでと驚かれそうだからしない。数年前にふるさと小包み ( ブランド牛肉だった )が当たったことがある。さすがに無断で頂くわけには行かず、早速お礼の電話をしたら教え子 ( 男子 )も喜んでくれた。

今朝の朝日新聞の小コラム「経済気象台」の筆者の場合、年賀欠礼の葉書が年賀状の1割ほどになるとあり、今年の我が家の場合と大差ない。コラム筆者の年齢は分からないが高齢者ほど欠礼の割合は高いだろうか。何れにせよ故人が80歳以上のケースが多い。さすが長寿国日本ではある。  

「経済気象台」の筆者は匿名なので、企業経営者や経済学者なのだろうと推測する他ない。現代史研究者に経済の知識は欠かせないので長年かならず目を通してきた。今回のコラムは年賀状を含む郵便物の減少への抜本的対策の必要を訴えるもののようだ。メールの利用など大きな趨勢には郵政公社も頭が痛いだろう。メールは年賀状の代わりにはならないと感ずるのは私の頭が古いからなのか。年賀切手シート7枚に私が影響されたのではない!

2017年1月13日金曜日

在日韓国民団と少女慰安婦像

今朝の朝日新聞に在日大韓民国民団の呉公太団長が12日の新年会の挨拶で釜山の日本総領事館前の少女慰安婦像の撤去を訴えたとの記事が載っている。呉氏は一昨年の日韓合意を「英断と評価している」とした上で、「今回設置された慰安婦少女像はなくさなければならないというのが在日同胞の共通の考えだ」「この問題で一番の被害者は在日同胞だ」として撤去活動に取り組むという。日本大使らの一時帰国や通貨スワップ再締結協議の中断といった日本政府の対抗措置については「大変厳しいが、早く問題解決してほしいという日本側の思いも理解できる」とする。他の全国紙や『東京新聞』のうち『産経新聞』だけがこの件を報道しており、記事の扱い方は『朝日』よりやや大きいが、「私たち同胞はまたも息を殺して生活しなければならないのか」との内容はほぼ同じであり、両紙の報道は正確と判断できる。

慰安婦像が一種のヘイトスピーチだと考えている私には民団長の発言はようやくという感じだが ( ソウルや国の内外の像には言及していない ) 、どれほどの躊躇や葛藤の末の発言かは想像にあまりある。そもそも韓国の大統領は金大中氏まで来日時に民団代表と会いもしなかった。在外同胞への同情どころか、故国が苦しかった時に共に苦しまなかった人たちとでも考えているのではないか。ある時期から在日コリアンたちが「在日」を強調し出したのは本土の韓国人が自分たちを「半日本人」扱いすると気づいたからではなかろうか。慰安婦像撤去への在日コリアンの願いに韓国の政治家やメディアはどう応えるだろうか。

たしかに現在の在日コリアンの大多数は「強制連行」の被害者たちの二世三世ではなく、大戦後の韓半島の政治状況 ( 済州島事件など ) と経済状況 ( 先に帰国した同胞の「日本の方がマシだ」との連絡 ) などで日本に渡航したり残留したりした人たちの子孫であるとは在日コリアンに協力的な研究者も認めている ( 福岡安則 『在日韓国・朝鮮人』中公新書 1993 )。それでも就職差別に代表される外国人ゆえの困難を経験してきた人たちである。

それにしても800人の集会に『朝日』と『産経』以外の社の記者が居なかったはずがない。両紙以外の編集デスクは在日コリアンの願いを何故黙殺したのだろうか。少なくとも在日コリアンの理解者とは私には思えない。

2017年1月11日水曜日

『ビリギャル』と『海街diary』

今年の一月上旬はいやに新聞休日が多かったので ( 来年からも?)、溜まって困っていた録画済みの映画から比較的新しい表題の二作品を見た。

『ビリギャル』は、偏差値30の遊び好きの女子高生が特別指導が売り物の塾の講師に励まされて、「私大の雄の慶應義塾大学」への現役入学を果たすというストーリーはご存知の人も多いだろう。女子高生を演ずる有村架純は実は20歳?だそうだが、高校生役に違和感は全くなかったし、ときにはホロリとする場面もあって娯楽作品としては良く出来ていた。しかし、主人公の変化を強調するために当初は金髪に派手な服装、カラオケびたりと受け狙いが目立った。その程度なら良いが、高校生の「スポーツ根性もの」など ( 『スイングガールズ』はスポーツものではないが ) 、生徒の変貌ぶりを示すため、わざと当初はむやみに汚い言葉を使わせたりするのは感じやすい少年少女への影響を考えるとどうかと思う。

『海街diary』は日本アカデミー賞最優秀賞作品賞など各種の賞を総なめだそうで、性格の異なる三姉妹が、出奔した父親がその地で産ませた妹を引き取り、しだいに新しい家族を形成する過程を描いている。大きな事件もなく淡々と話が進むさまは小津安二郎の作品を私に連想させた。舞台が鎌倉だったことも影響しているかもしれない。海外の映画祭では入賞できなかったらしいが、小津作品が海外で高い評価をかちとるまで半世紀近くかかったことを考えあわせると止むを得ないかもしれない。何より原作が漫画作品とは...........。日常生活を淡々と描くまで漫画が進化していたとは当方の認識不足だった!

今朝の新聞に2016年作品の『キネマ旬報』選のベストテンが発表されているが、人気最高の『君の名は』は入っていない。批評家たちと映画ファンの作品評価が違うことは何ら驚くに値しないが、これほど違うとは..........。よく理解出来なかった作品でも自分が見たものが評価されないのは釈然としない!

2017年1月6日金曜日

中高校教員の長時間勤務

昨年のいつ頃か、OECDの2013年の国際調査で日本の中学教員の勤務時間は週53.9時間で参加34ヵ国中最長だつたと報じられた。教員には夏休みがあるからとよく嫌味を言われた?私にはにわかに信じがたい数字だが、今朝の朝日新聞に新潟市の私立中高一貫校の教員の記事が大きく載っており、嘘ではないようだ。いつから何故そうなったのか。

記事によると激務の理由は「始業まで提出物の添削や校門前の登校指導............クラス26人分交換日誌に手書きで返事」、「土日は高校野球部顧問の活動............昨年1~3月は50日ちかく連続で働いた」とある。

私が生徒だった頃も東京の私立中高一貫校の教員だった時も、校門前の登校指導などしたこともされたこともなかったし、生徒個人への交換日誌どころか「学級通信」的なものをもらったことも書いたことも無い。そうしたことが法律で課せられているとは思えないので、結局、同僚がやっているのに自分がやらなければ指導に不熱心だと思われるということで一般化したのではないか?  そうだとしたら自縄自縛という他ない。私は教員の第一のつとめは生徒の心に残る授業をすることだと思うのだが。どうしてこうも外見が重視されることになったのか。

長時間勤務には部活動の指導に割かれる時間が大きく関係してるという。私も2年間の一貫校勤務のうち1年半は登山部の顧問を勤めた。そこでは校内で出来ることは体力の鍛錬ぐらいなので顧問の出番はなかったが、1年半のうち数回は登山に同行し、そのうち2回は数日間の北アルプス縦走 ( 黒部川源流の雲の平を含む ) と矢張り数日間の奥秩父の春山縦走 ( 3月の二千メートル級の山々は雪山である ) も経験した ( 実際の指導は私には出来ないので同行したOB2人に委ねたが ) 。しかし登山部なら時間的奉仕で済むが、競技スポーツでは付きっきりの指導が必要だろう。それに対しては応分の対価の支給や授業時間の多少の削減で対応できるし、スポーツ有名校の「熱血指導」( 伏見工高のラグビー部!) には校外の人材にも依頼すべきだろう。

ともあれ、教員の原点である納得の行く授業がなされるよう学校も社会も優先して配慮すべきだろう。教育界はとかく形式や外見に囚われがちだと私は経験から感じている。

訂正  前回、イラン戦争としたのはイラク戦争の誤りです。悪しからず!


2017年1月3日火曜日

「二時間で見るルーブル美術館」

今朝のNHKテレビで表題 ( 大意 ) のような二時間番組があり、興味深かった。同館には1966年から1993年の間に数回は訪れているが、ガラスのピラミッド ( 各棟への入口にもなっている ) が利用可能となった93年より以前は館内の構造は複雑で、19世紀フランス絵画 ( ミレーなど ) には到達できないときもあった。それでも当時は混雑も夏季以外はそれ程でも無かったので、一度は構内に駐車したこともあった。

ルーブル美術館はロンドンの大英博物館やマドリードのプラド美術館とともにヨーロッパの三大美術館と言われたりもするが、収蔵品の豊かさではトップではないか。従来からの古代オリエントの遺物もさることながら、最近、イスラム美術の展示スペースを新設したそうで、数百万人と言われる国内のイスラム人口に対応するためだろう。じじつ、イスラム教徒の児童らしい一群も画面に映っていた。

ヨーロッパの博物館には古代ギリシャの美術品や古代オリエントの文物など、無償ないしそれに近い形で入手した収蔵品も多く、現在、各国から返還を求められているものもあると聞く。もっともな要求ではあり、世界の人々に見てもらうためには交通便利なヨーロッパの施設が妥当とのヨーロッパ側の主張は身勝手とも感じてきたが、ISによるアッシリア遺物やパルミラ遺跡の破壊やイラン戦争の際の美術品の略奪などの映像を見るとヨーロッパ側の主張も一概に否定できない。何しろ世界にひとつだけのもの、人類の宝なのだから。

1960年代のパリでは日本料理店は五本の指で数える程しかなく ( 最高級の店は知らない ) 、ルーブル美術館の入口近くの大阪屋 ( たしか )は1ヶ月近い自炊生活に疲れた私も二、三度立ち寄った。あるとき相席した日本人男性はアルジェリアの奥地で石油?開発に従事しているとかで、現地では水は危険なので果物で水分を補充する、パリに出るのが最大の息抜きだと語った。パリの不自由な生活から早く離れたいと願っていた私は密かに恥じ入るほかなかった。