2014年11月29日土曜日

産経新聞記者への嫌がらせ

セウォル号事件当日の韓国大統領の動静を取り上げた産経新聞記者のウェブサイトが大統領への名誉毀損に当たるとして起訴され公判が始まった。その際、同記者の乗る車が一部の韓国人に通行を妨害され、卵を投げつけられたりした。

私も何新聞だったかウェブサイトを文字化した記事を見たが、ゴシップ的であまり品の良い文章ではなかった。韓国の大統領は国家元首であり、韓国人にとって不快だったことは事実だろう。もっとも韓国では大統領は権力乱用や親族の汚職で任期後有罪になったり自殺に追い込まれたりしており、他国の元首と同列に論じられるか疑問もあるが(米国民はニクソンを訴追はしなかった)。

また最近同国では政権関係者によるメディアへの民事訴訟や刑事告訴が相次ぐという。同国にとっては大きな問題だろうが、他国のメディアが言論の自由の問題として大きく扱うのは賢明かどうか。私は他国の国内問題にやたらに口をはさむのは賛成できない。

しかし、記者の乗る車のボンネットに腹這いになったり卵を投げつけたりするのは野蛮な行為である。一部の人たちの行為だろうが(そう思う)、少なくとも韓国の政府やマスコミは非難声明を出すべきである。そうしない(できない)なら、大久保あたりの一部日本人の愚行を非難する資格はない。

日本の全国紙のうち三紙は写真入りで事件を報じたが、私の購読する新聞は事実報道としてではなく、外務省局長の発言内容として辛うじて報道した(今日、丸一日遅れで記事を載せた。他社の影響としか思えない)。両国間で問題化するのを避けたかったとは想像できるが、自社の記事として報道しなかったのはメディアとして責任放棄という他ない。局長発言だけでは読者は何があったのか十分理解できなかっただろう。

2014年11月28日金曜日

体罰は許されるか

十日ぐらい前のTBSの「たけしのTVタックル」で体罰の可否をめぐる論戦があった。この番組は以前は午後九時台?で、国会議員をまじえたやや真面目な( 比較的!)番組だったが、何故か十一時台に格下げされた。政治家の建前論が面白くなくて視聴率が低かったのが格下げの原因かは知らないが、放映時間が変わって本音バトルの色彩は濃くなった。

今回は体罰肯定派( 実践派!)の高校の教師で教育困難校を甲子園常連校に変えた某氏と、体罰反対派の教育評論家の尾木ママが主役だった。前者は体罰の必要を認めることはもちろん出発点は生徒に恐れられること、恐怖を感じさせることでなければならないとするのに対し、尾木氏の主張は体罰は法律違反であること、自身が体罰に頼らず授業を行ってきたとの主に二点だった。

私は尾木氏の主張に賛成出来なかった。法律がもし実情に合わなければ改めるのが正しい道だし、尾木氏の成功体験が全ての教師に当てはまるとは到底思えないからである。一方、肯定派の某氏の主張は極端だが、教育困難校の現実は建前論、理想論ではどうなるものでもなかろうと思った。近年、教員の精神障害、長期休暇が少なくないと聞く。メディアはとかく上からの管理強化や教職の多忙を理由としたがるが、そんなことで本来真面目人間の多い教員が同僚に迷惑をかける職場離脱をするはずがない。見当外れであり、教員への侮辱ではなかろうか。

子供の人権を尊重すべしとの「正論」は、教員の人権尊重と両立させねばならない。そもそも生徒は未だ未完成な存在であることを忘れてはならない( 今思い出しても中学生時代の私は生意気で反抗的だった。今でも?!)。いじめ問題の解決を含め、今何より必要なのは教員の権威の回復であって、彼らの手を縛ることではない。

2014年11月24日月曜日

高倉健の功績は?

俳優高倉健が亡くなって十日以上も経つのに、彼に関するテレビ番組がひきも切らない。その中で彼が文化勲章をもらっていたことに改めて気付いた。何故それほどまで評価されたのか。彼自身は映画界に入ったのは生活のためだったと正直に語っているのに。

ひとつには彼の人柄もあろう。彼は映画では常に寡黙で不器用な男を演じているが、実際は無口ではなく周囲に何くれとなく気を配る人だったようだ。彼が英語が得意で貿易商を目指していた(Wikipedia)などと誰が想像するだろうか。また、礼儀正しく謙虚でもあったようだ。特別の演劇教育を受けていないというコンプレックスがあったのだろうが、205本の映画に出演した男の態度が大きくてもおかしくない。本来の性格か教員の母親の教育の結果か、スタッフや周囲の人たちへの感謝を忘れなかったようだ。

ある意味では極めて古風な日本男子の役を演じ続けた彼が中国で大変人気があったと聞き、最初は不思議だった。しかし彼の死去の報道の五時間後に中国外務省の報道官( あの例の男!)が記者会見で死去に言及したし、街頭アンケートで十数人中半数以上が高倉の主演映画の主題歌を知っていると聞けば、信じる他ない。

なぜ中国人にそれほど評価される俳優になったのか。文化革命中の紋切り型の中国映画に飽き飽きしていた人々に彼の主演映画が新鮮に映ったからだと中国人の映画評論家は語っていた。映画の中で高倉健の演ずる日本人に、寡黙、忍耐、謙虚、礼儀正しさといった美徳を見たということか?これらの美点の大部分は他の国民も無論持っているが、寡黙を尊ぶのは日本的ではある。それは弁解は潔くないと感じる日本人の美意識なのだろうが、そこに中国人も共感できるのか? もし中国人に日本人の美意識を知らしめた功績に対して文化勲章が与えられたということなら、受章の価値ありと私も思う( そう思いたい )。

2014年11月22日土曜日

政治家の政治資金乱用



舛添都知事が参院議員時代に政治資金で美術品(フランスの?)や後藤新平の掛け軸、漫画『クレヨンしんちゃん』、クイズ本などを購入したことが新聞記事になっている。これに対し舛添氏は、美術品は「日仏文化交流の材料」であり、掛け軸は旧東京市長についての資料、漫画本やクイズ本は前者は主人公の言葉使いの子供への悪影響、後者は学習への悪影響をそれぞれ親たちから相談を受けたので読む必要があったのであり、「正当な政治活動の範囲」であると反論した( 朝日新聞、11月22日 )。

私は掛け軸以外は一応の説明になっていると思う。元来、フランス政治研究者だった知事にはフランス人の表敬訪問も少なくないだろうから、フランスの美術品は対話の糸口にも親近感の醸成にも役立つだろうし、旧市長の掛け軸さえも話題の材料にならないでもない。これに対し漫画やクイズ本はむしろ有権者の要請を並の政治家のように聞き置くだけでなく、真面目に検討し対応した証拠と見ることもでき、非難に当たらないと思う。都知事就任以来の彼の行動もオリンピック費用の節約努力など私は大いに期待している。

これに対し小渕優子や松島みどり議員の場合はどうか。私は前者の問題( 選挙民の歌謡ショーへの招待 など)は、その古い政治手法や資金管理の後援会幹部への丸投げにげんなりしたが、事後の対応は率直で悪くなかったと思う。しかし彼女が自民党の近い将来の総裁候補と党内で目されていたらしいのは何を根拠にと言いたくなる。松島氏の場合、選挙うちわ配布が大臣を辞めるほどの問題かとも思うが、まだ隠れた理由もあったのかもしれない。ただ、大臣就任が発表されると野党とメディアは「身体検査」に先ず専念するとの政治評論家の発言にはあまり気持ち良くなかった。

こうした公費乱用とは別に、渡辺喜美みんなの党前代表の政治資金不記載のケースもあった。九億円?とも聞くその金額の大きさからも問題とせざるをえまい。しかし新党立ち上げは各府県での事務所の設置や候補者たちへの選挙資金提供( 貸与でも )など大金が必要なようだ。私はいつの間にか鳩山由紀夫氏が民主党代表になったのが当時不可解だったが、渡辺氏の件で納得できた。しかし渡辺氏を弁護する義理はないが、新党設立が細川氏のような貴人?や、鳩山由紀夫氏のような大資産家の家柄の者しか出来ないのであれば、日本の政治にとって困った事態であることも否めない。

2014年11月21日金曜日

高校日本史必修化の誤り

文部科学省から中央教育審議会に学習指導要領の改定が諮問された。賛成できる検討事項もあるが、高校日本史必修化には反対である。むろん総授業時間数に余裕があるなら必修化に反対しないが、時間数に限度がある以上現在の世界史必修を変えてはならない。

文部科学大臣を筆頭に自民党の国会議員たちは、教育現場をよく知らないまま、日本人なら日本のことを知らねばならない、日本を知らないから愛国心の無い若者が増えていると短絡的に理解しているようだ。しかし、日本史は中学でかなり詳しく教えられるのに対して、外国史は簡単に触れられるだけである。新聞によれば高校の日本史教員の大半が日本史必修化に反対である。彼らは実情を良く知っているのである。さらに大学進学率が半数を超える現在、大学で文科系学問を学ぶのに外国史の知識は必須であると言ってよい。高校で世界史の授業を受けていない学生を相手とするとき、大学の講義のレベルは確実に低下するだろう。

物事は比較によってより深い理解が得られる。外国史を学ぶことは自国をより深く理解することである。それは我われが外国を旅して初めて日本の良さを実感するのと似ている。日本だけを学んではむしろ偏狭な愛国心を身に付けることになりかねない。自民党国会議員諸氏は、彼らの先輩議員の林健太郎氏が中心となって世界史必修を推進した事実を想起すべきである。

2014年11月18日火曜日

JRの女性車掌、フランスの男性車掌

先日、JR山手線に乗車したらすぐに発車しない。どうしたのかと思ったら女性の声で、乗客のカバンがドアに挟まったのでしばらくお待ちくださいとのアナウンスがあった。突然の事態なので録音の再生ではない筈。JRは女性の車掌を採用し勤務させているのだろう。私鉄でも私は女性車掌を経験していないので、JRも仲々やるなと感じた。もっとも外国はもっと進んでいるようで、二十年前、パリでは地下鉄の運転を私服の女性が運転していた!

私服といえば、フランスの国鉄SNCFの乗務員は必ずしも制服で勤務してはいない。やはり二十年前、パリのリヨン駅でナポリ行きの寝台列車に乗車したら発車前に私服の車掌がパスポートを預かりに来た。ヨーロッパではそれは経験していたが、パスポートを預かった車掌が姿を消したのち果たして彼は本当に乗務員だったのか、泥棒の類ではなかったのか不安に駆られた(結局、翌朝パスポートは返却されたが )。制服らしい服装であっても本当に乗務員とは限らないとはいえ、これでは何が起こっても不思議はないだろう。

フランスの自由さも悪くないとはいえ、利用者を不安にさせるのはどうかと思う。フランスでは交通機関のストライキは珍しくないが、空港職員のストライキでは彼らは滑走路上でデモをしていた! 空港では故障機の予定外の不時着もあり得るのだが............。

2014年11月17日月曜日

習近平主席の無作法

北京APECでの習近平主席と安倍首相との顔合わせの際の習主席のニコリともしない態度が注目された。マレーシア航空機撃墜事件で自国民を失ったオーストラリアのアボット首相が、欧米から事件の黒幕視されるプーチン大統領をG20サミットで笑顔で迎えている写真とは対称的だった。外交慣例に反する習主席の態度を不愉快に感じた日本人は多かっただろう。

習主席の非礼とも言える態度の理由は大別して二つあろう。ひとつは中国人の大国主義である。米国に対し中国は再三、「新型大国関係」を口にし、「太平洋は米中二国を容れるに十分な広さがある」と呼びかけている。かつて中国は米ソの大国主義、覇権主義を口を極めて非難したではないか。立場を変えて此処まで大国主義を公然と口にするとは驚きである。

もう一つの理由は、多くのメディアでも指摘されたように内政上の配慮、日本に対して決して心を許していないことを自国民に誇示する個人的必要である。過去の反日教育の結果、習主席は間違っても日本に甘いと見られてはならないのである。対外的にはこれほどの無作法はプラスとも思えないが。

それでも敢えて習主席を弁護すれば、安倍首相に笑顔で応対したのち安倍首相が帰国後再び靖国神社に参拝したら、主席の面子は丸つぶれになるだろう。中国政権の幹部たち( その多くは腐敗と無関係ではないだろう )は今は心ならずも主席の腐敗撲滅キャンペーンに服従していても、機会があれば逆襲に転ずる可能性は大きいだろう。もし日中会談で安倍首相が靖国参拝問題に触れなかったとすれば、習主席は警戒を解く訳にはいかなかったろう。彼の非礼には安倍首相が招いた側面も有るのではと私は疑っている。

韓国の『中央日報』が、今回の日中会談により自国が不利になったとパク大統領を批判したと日本でも報じられた。私にはメディアの過剰反応としか思えないが、習主席がもしにこやかに首相を迎えていたらパク大統領は今の頑なな態度を続けられないだろう。安倍首相はチャンスを逃したのではなかろうか。


2014年11月9日日曜日

剱岳の記憶

テレビで二ヶ月前に放映された映画『剱岳・点の記』を録画でやっと見た。前人未到( と当時思われていた )剱岳に三角点を設置する測量部の苦闘を描いた新田次郎の原作。 さすが骨太の映画だった。地図作成ひとつを取っても明治の先人の苦労は並大抵ではなかった。

剱岳には二十歳台半ばの頃、仲間六人で登ったことがある。当時すでに富山方面からケーブルカーとバスを途中まで利用するのが一般的だったが、全員東京からの参加だったので、現在黒部アルペンルートと呼ばれトンネルとロープウェイで行くルートを徒歩で針ノ木峠を越えた(戦国時代の佐々成政の気分?)。翌日は黒部川を吊り橋で渡り、立山の麓の雷鳥沢にテントを張った。翌日(  翌々日? )、剣岳を往復した。最大の難所には鎖が張ってあるのでそれほど危険ではないが、下を見れば足がすくんだ。

その後今日まで乗物利用で立山の室堂平を三回か四回訪ねたが、その度にはるかに望む剣岳を見て、よく日帰りしたものだと我ながら感心した。体力が頂点の時代だったのだろう。

登頂から五十数年、仲間六人のうち三人があの世に旅立った。日露戦争を歌った軍歌『戦友』の歌詞ではないが 「不思議に命長らえて」、私は映画『剱岳』を見ることができた。亡友たちと一緒に鑑賞して思い出話に花を咲かせたかった。再会するあの世はあるのだろうか。

2014年11月7日金曜日

ウクライナ東部の帰属は?

ウクライナ情勢は軍事衝突こそ小規模化しているが、解決には程遠いままにとどまって居る。理想的解決などもはや望み難いが、せめて双方が渋々でも受け入れ可能な解決を探らなければなるまい。

問題解決の第一歩は、ソ連崩壊以後ロシアが味わった屈辱を西側諸国が理解することである。ソ連を中心とするワルシャワ条約機構が消滅したなら、対抗するNATOも解散してもおかしくなかったが、そうならなかったばかりか拡大を続けた。当時米国の国務長官は、東欧諸国を西側に引き込む( 具体的にはEUやNATOへの加盟、特に後者だろう )ことはしないと約束した( 昨夜の『クローズアップ現代』)。しかし、米国は約束を守らなかった。ロシアは当時政治も経済も混乱し反対できる状況になかったし、東欧の諸国民が選挙や住民投票で意志を明らかにした以上、反対できなかった( バルト三国にはロシア系住民も少なくなかったが)。しかしソ連成立以前からロシアの一部だったウクライナの親ロ政権が街頭の暴力により倒されたことはロシアの我慢の限度を超えた( ロシアがこの機に乗じだとも言える。両面あろう)。街頭の若者たちに米国の民間団体が食料を配って歩く映像は(『クローズアップ現代』)ロシアから見れば米国の干渉そのものと映っても無理はない。セルビアからのコソボの分離を武力で助けた西側大国がロシアのクリミア併合に、「力による現状の変更」と非難しても説得力はない。

ウクライナの東部二洲にポロシェンコ政権が三年間の期限付きの自治を認めているが、その先の保証が無ければロシア系住民も不安だろう。根本的解決は容易でないが、最終的には国際監視下の住民投票による帰属決定がベストだろう( 可能性としては既成事実の積み重ねになりつつあるが)。 

2014年11月5日水曜日

テンション民族もほどほどに

昨夜、TBSテレビの「所さんの日本の出番!」という番組で、諸外国と比べての日本の交通機関の時間の正確さを取り上げていた。偶然チャンネルを回した結果なので前半30分の内容は知らない。だが、本来江戸時代きわめて大雑把だった時間概念を明治以来、1920年、時の記念日を制定したりした努力の結果今日のようになった由。

確かに、我が国の交通機関の時間の厳守ぶりはいちじるしい。電車など分単位どころか秒単位のスケジュールらしい。不正確より正確が望ましいことは当然で、事故の減少にも資するだろう。それにしても大都会のJR電車( 旧国電 )ならともかく、長距離列車まで秒単位の正確さ( 新幹線もそうらしい )を期することが必要なのか。鉄道の国際会議で日本の運転手は遅れたら切腹するのかとからかわれたとか。フランス第四の都市?トゥールーズ駅でローカル線に乗り換えたとき、発車が10分ほど遅れたが、お詫びの放送も発車ベルも無く、列車はごとりと発車した( 発車ベルは日本独特ではないか? )。10分の遅れなど詫びる必要を感じないのだろう。

それでも交通機関なら安全に関わるので正確に越したことはない。しかし、テレビやラジオの放送が日本ほどピタリと終了する国があるのだろうか。視聴者としては気持ち良いとはいえ、そのためアナウンサーらがどれほど神経を使うか。胃をやられると聞いた覚えがある。不必要な?緊張を関係者に強いるよりも、ゆったりと構える方が人間的なのではなかろうか。

今朝の新聞に、『ペコロスの母に会いに行く』の著者とのインタビュー記事が載っていた。私は原作も映画も見ていないが、認知症の母との生活を描いた漫画で、要は理想の親子関係、理想の介護生活でなくともよいではないかということらしい。そのインタビュー記者の感想は「いいかげんであることの大切さ」だった。時と場合によるのは無論だが。