2019年4月14日日曜日

相次ぐ自動車会社の検査不正

一昨日、昨日とテレビついで新聞でスズキ自動車の検査不正が大きく報道されている。この1年ほど?の間に日産から始まってスバルに至るまで各社での「検査不正」が発覚したと思ったら、ついに今回、スズキに至った。同社の場合、不正は二重三重という。由々しい事態と捉えるべきなのだろう。

しかし、毎年の米国民の自動車信頼度アンケートでは日本車は常に圧倒的に上位をを占める。日本車と言っても今は大半はメキシコを含む現地生産車だろうが、この落差は理解に苦しむ。

どの社の時だったか、最近の自動車部品の精度の向上は昔とは比較にならないほどなので車体完成後の安全テストはほとんど不要なのだが ( 米国車にはないとか ) 、検査不正とされるとこのブログで書いた覚えがある。じじつメディアでは毎日、交通事故が報ぜられるが、車の欠陥による事故とは滅多に聞かない。昔はドライブ中に道路脇に故障車をよく見かけたが、今はほとんど経験しない。

私の個人的体験でも、ユニークさで知られる某フランス車は購入後間もなくラジオの遠隔操作装置が不具合になったが結局修理はしなかった ( 当時のフランス車はその程度の故障は想定内だった。それに手を伸ばせば済むこと )。ドイツ車というと一見堅牢な印象を与えるが、世界の小型車の基準とも言われる某車の初代は高速道で突然加速が止まらなくなることが三度ほどあり ( 怖しかった ) 、四年後?手放した時はボディーの末端がサビはじめていた。

今回のスズキのケースはビドイと言われてもしかたが無いが、これでスズキの販売台数がそれほど減るかどうか。車の電子化の進展とともに故障の可能性を予告する表示装置も進化していると感じる。そちらにも一層注力して欲しいし、もちろん安全運転装置も ( 高齢者の最大の関心事!)。

2019年4月7日日曜日

菅官房長官と『東京新聞』望月衣塑子記者

。1月以来、内閣記者会での会見中、菅官房長官への『東京新聞』の望月衣塑子記者の度重なる質問に対し菅氏が返答を拒んだりした「事件」がメディアで一斉に問題視された。私は望月記者の質問が実際にどうだったのかを録音テープででも知りたいと思ったが、結局断片的にしか知ることができなかった。正確な報道を旨とするメディアが肝心の両者間のやり取りを明らかにしないことに納得できず、望月記者の質問がややエキセントリックだったのではないかとも疑った。

昨日の『東京新聞』に同社の「新聞報道の在り方委員会」( 部外者4名で構成 )の審議内容 (3月18日 )が大きく掲載されている。それによると、内閣記者会は幹事会が質問制限に反対の意向を口頭で伝えただけでその後の動きはないという。記者会の反応は何とも鈍いという印象だが、東京新聞の政治部長は「望月記者の質問の仕方や中身に様々な意見がある」。 当事者の「双方で解決してというのが ( 記者会の ) 本音ではないか」と解説?している。これに対し萱野稔人教授 (津田塾大)は「なぜ他社の協力が得られないのかは掘り下げて検討してもいいのではないか」。「望月記者は官邸側に突っ込まれるような、決めつけや事実誤認の質問をしている。質問にもそれなりの準備をすべきだ」と発言している。長官と記者のやり取りの報道が不明瞭なのはやはりそういう事だったのかと思う。他の委員たちは望月記者に迎合的だが、ともかく今回の両者のやり取りは反対意見の封殺などとは呼べないようだ。

2019年4月4日木曜日

イスラム教諸国の明暗

2日の朝日新聞の夕刊に、「不倫・同性愛行為は死刑  イスラム教国ブルネイで新法」との記事が載っている。それによると同国では今月から、「不倫と同性愛行為に投石による死刑を課す刑法が施行される。窃盗罪には手足を切断する罰則も導入される」のに対し、国際人権団体アムネスティー・インターナショナルが「人権侵害だ」と強く批判している。私は国際人権団体はもちろんのこと、国連人権理事会でさえ他国の人権状況にむやみに口出しすることに賛成しない。それでもこのブルネイのイスラム法導入 ( 外国人も同罪 ) にはアムネスティーの批判に賛成せざるを得ない。

これまで、中東諸国やパキスタンと異なり東アジアのイスラム教諸国の国民は穏健なイスラム教徒と見られてきた。しかし最近はインドネシアやマレーシアなどでも原理主義の台頭が見られる。私は我が国への外国人労働力の導入に賛成だが、多文化との共生など念頭にない宗教信者の移民には反対せざるをえない。

きのう、同じ『朝日』の朝刊に、「サウジ皇太子  揺るがぬ権力」「カショギ氏殺害事件から半年  『若き改革者』 若者から支持」との記事が載っている。もっとも宗教戒律が厳しいと言われたサウジアラビアでムハンマド皇太子が女性の自動車運転やスポーツ観戦やコンサート出席などを許可したことへのサウジ女性の喜びの声を伝えている。同国の女性の間では「サウジの春」との声もあると以前読んだ記憶があり、日本のアラブ通からも皇太子の改革は「庶民から絶大な支持を得ている」との指摘もあった ( 郡司みさお『毎日』11月7日 )。他方で同皇太子がジャーナリストのカショギ氏の殺害に関与した疑いは極めて濃いし、女性の権利を主張した活動家の拘束なども伝えられている。

カショギ氏は「イスラム教に誇りを持つ自由民主主義者だ」と語っていたという。それに噓いつわりは有るまい。しかし、「アラブの春」では下からの改革運動は果てしない混迷 ( リビア )か原理主義派の支配 ( エジプト ) に終わった。カショギ氏はこの現実から学ぶべきではなかったか。この地では上からの改革にはそれなりの正当性があると認めざるをえない。だれであろうとサウジ女性の地位向上を実現して欲しい。



2019年4月2日火曜日

元号決定す!

平成の次の元号がようやく決まった。前回は先帝の死去直後に決定が国民に知らされたので、今回のようにメディアが大騒ぎする暇もなかった。したがって単純な比較はできないが、終わってみれば「泰山鳴動、鼠一匹」の感もないではない。

私もどんな元号でも良いと思っているわけではない。感じが良い名称に越したことはないし、自分の名前の画数の多さに多年不便をかこっていただけに画数の少ない元号が望ましかった! その意味では令和は伝えられる他の5候補と比べ元号らしい語感も良いし、画数も少なかったので不満はない。

元号は中国の皇帝が臣民の時間を管理する制度であり、人民主権の現代に存続させるべきではないとの廃止論がある。一理も二理もあるとしても元号で時代を区切って特徴づける習慣は肯定的にも否定的にも一定の有効性はある。他方、元号を廃止した中国や朝鮮やベトナムなどの国民が日本国民より幸せのように見えない。今回の事態を中国国民は分家に本家の発明品を盗まれたと感じているのではないか?

それと別に、今回の元号発表が官房長官と首相のダブル発表となったのは感心できない。こんな機会にまで安倍首相が自国文化の宣伝をするのは無くもがなもいいところである。もともと奥ゆかしさがウリの首相ではないが、前近代の我が国がいかに中国の文化的影響を受けていたかへの首相の知識の浅さが露呈したのではないか。森友事件で自分も夫人も全く無関係と断言して自分から苦境に陥ったのと同じ思慮の浅さと言われても仕方がない。

2019年3月30日土曜日

別れの歌

朝日新聞の土曜版beの「beランキング」は3月30日で一先ず終了とのことで、最後のテーマは「心に残る卒業ソング」ベスト20だった。最後の号が卒業ソングとはよく考えたものと感じた。

第1位が「仰げば尊し」だったのは旧世代の私には納得できたが、最近は卒業式であまり歌われないと聞いていたので意外だった。アンケートの回答者に中高年が多かったのだろう。私は大好きだが最近の新聞に、聴いていて居心地が悪かったとの教員の投書が載っていた。私は教員として聴いたことは多分ないが、日ごろジャージー姿で教えるとそんな気持ちになるのだろうか( 高齢者の嫌味!)。

第2位は「蛍の光」だった。これには何の不思議もないだろう。卒業式と言わずあらゆる別離の機会に歌われるから。客船が出港する際、別れのテープとともに演奏される場面が1番に頭に浮かぶ。モンゴメリー・クリフト主演の名作映画『地上より永遠に』のフィナーレにハワイを出港する客船は「アロハオエ」の演奏で送られていた。これまた素晴らしい別離の歌だと感じたのは映画の余韻に浸っていたからか。ナホトカ航路のソ連の客船は横浜の出港時、「カチューシャ」を演奏した。「歌声喫茶」の時代、よく聞きよく歌った曲なので感慨ひとしおだったが、別れの歌とは知らなかった。

半世紀前の英国で、年末の休暇に親友のニューカースル・アプオン・タイン ( スコットランドに近いイングランド最北の都市。のちに郊外のサンダーランドに日産が進出した ) の家に招かれた。大晦日の夜、そこから奥地に小一時間ほど入った村で、村人がかがり火を載せた桶を頭の上に載せて歩く素朴な行事があり、最後に見物客が腕を組み大きな輪になって蛍の光を歌って旧年に別れを告げる。その後テレビ全盛時代になって観光客が増えたと聞いたが、忘れられない蛍の光の思い出である。

2019年3月29日金曜日

秋篠宮家の内紛?

しばらく前から秋篠宮家で親子間に波風が立っているかのような報道が週刊誌に報道されていたが、今週は『週刊新潮』と『週刊文春』の二大?週刊誌が派手に取り挙げた。「奔放プリンセス  佳子さまの乱  全内幕」とのセンセーショナルな見出しにもかかわらず、一読したかぎりではどの家族にもある親子間の意見不一致程度の内容だった。

佳子さんが「当人の意志を尊重してほしい」と仲良しの姉への理解を示したのは何ら驚くには当たらないが、父の秋篠宮が小室さんからの納得のいく説明がない限り話を進めないと既に意思表示をしていた以上、「乱」になるのは皇室メンバーの避けられない運命なのだろう。なにしろ両誌とも結婚には一億円以上の御下賜金があると書くことを忘れていない。

それにしても秋篠宮と紀子妃とくに後者に対する週刊誌ジャーナリズムにそこはかとない意地悪さを感じるのは私だけだろうか?何やら紀子さんを皇后と呼びたくないとしか思えない。たしかに屈指の名家出身の美智子さんやハーバード大学やオクスフォード大学に学んだ ( 東大も忘れないで!)
雅子さんと比較されて見劣りのしない人などそういるものではない。不公平と言えばそのとうりである。

それもこれも愛子さんが将来皇位に就かれないことへの国民の潜在的なわだかまりもあると私には思えてならない。そもそも君主制での最大で唯一の後継根拠は血筋だろう。合理的であろうと無かろうと国民は直系の相続者なら納得する。日本史上の女性天皇は中継ぎ的だったと聞くが、すでに先例があるということは小さな事ではあるまい。天皇は男子でなければならないとする人たちは皇室への国民の敬愛の念を掘り崩すのではないか。

2019年3月27日水曜日

訂正

先ほど大和和紀の『あさきゆめみし』の展示と書きましたが、同氏の『ヨコハマ物語』の誤りでした。悪しからず。