漫画家の松本零士氏が85歳で死去された。私は氏の『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』の原作を読んでいないし、テレビアニメも映画もおそらく見ていない。この機会にテレビで再演されたら是非見たい(欲張りめ!)。しかし、氏の経歴に父君が福岡県の太刀洗の陸軍飛行学校の教官だったとあり、変な言い方だが懐かしさを禁じ得なかった。
戦前の日本の空軍力は陸軍と海軍にハッキリ分かれていた。したがってその養成機関も陸軍の太刀洗と海軍の霞ヶ浦に分かれていた。特攻隊の出撃基地として有名な知覧は実は陸軍のそれであり、海軍の出撃基地は大隈半島の鹿屋だった。
霞ヶ浦基地は「海軍飛行予科練習生」(通称は予科練)の所在地としてその名は『若鷲の歌』(通称は『予科練の歌』)に残り、当時の小学生なら誰でも知りかつ歌った。それに対して太刀洗基地にも『特別幹部候補生の歌』(通称『特幹』の歌)があったが、戦後はほとんど忘れられ、よく歌った私も「.............風も鎮まる太刀洗 ああ特幹の太刀洗」とキレ切れにしか記憶しない」(ご記憶の方はぜひご教示を!)。
歌に罪はないし、松本零士氏の父君も当時の帝国軍人として当然のことをしたまでだろう。それでも多数の教え子を死地に追いやったとの思いは戦後はきっとあったろう。あそこまで戦わなくともと現在の私たちは思うが、ウクライナ紛争も一年後も終わりそうにない。人間の業なのか。なお、神風特攻隊は当初は「しんぷう」と呼ばれたとのこと。
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