2021年9月27日月曜日

ハイチ難民という難問

  ハイチ難民が米国への不法入国を試みるのに対し騎馬隊を使った米国(正確にはテキサス州?)の手荒な阻止行動に会う様子が報じられている。ハイチでは最近、大地震と大統領暗殺が相次ぎ国内の混乱は甚だしいと聞く。米国内でもハイチ難民への対処方針で国論が割れているようだ。

 ハイチ難民に同情はするが、入国を許可するか否かは主権国家の米国が決めることだろう。不法入国の阻止自体を非難はできない。バイデン大統領が前任者のトランプ氏よりも難民に寛大だとの印象が広がり、中米諸国からの入国希望者が最近激増していた。政治的自由を求めて脱出する政治難民には出来るだけ手を差し伸べるべきだが、より良い生活を求める経済難民を同一視はできない。今回のハイチ難民の場合、「米メディアによると今回、集団で越境したのは2010年の大地震後にブラジルなどに渡り、バイデン政権の寛大な移民政策に期待しているハイチ人が多い」という(『毎日』9.27)。 米国政府が歓迎しているとの虚報まで広がっていたとか。

 ハイチはフランス革命に触発された黒人奴隷たちが反乱を起こし、新大陸で米国に次ぎ二番目に誕生した独立国である。その後の250年は同国にとり何だったのだろう。

 第一次大戦後、アフリカやアジアに散らばったドイツの植民地は国際連盟の新設の「委任統治」制度のもと日本を含む戦勝国が統治を任された。その理由付けである連盟規約第22条「近代世界の激甚なる生存競争の下に未だ自立し得ざる人民」は植民地の分けどりの偽善的美化との評価が一般的で、多分私も大学の現代史の講義でそう紹介した。現在の私ならそう語ることを躊躇するだろう。

2021年9月23日木曜日

「いろは坂」の今昔

  拙宅の最寄り駅の聖蹟桜ヶ丘駅と丘の上の桜ヶ丘住宅地の間は健康な人なら徒歩二十分あまり。道の前半は平坦だが後半は標高差30メートル?ほどの坂道となり、つづら折りのバス道路は「いろは坂」と呼ばれる。拙宅はその途中にあり、北側の崖下をバスが通る。

 今日無料で配布されたタウン紙によると、パラリンピックの自転車ロードレースで二つの金メダルを獲得した杉浦佳子選手は隣の稲城市の住民だが、いろは坂を練習コースにしていた。そう言えば最近、若者のレース姿をよく見かけるようになっていた( 杉浦氏は50才!)。

 この坂はスタジオ・ジブリのアニメ映画『耳をすませば』の中に出てくるので春秋の休日は若者たちの「聖地巡礼」の場になっていると紹介した記憶がある。多摩川を見下ろす坂上には無人の金毘羅宮があり、見晴らしが良い。

 新田義貞の鎌倉攻めの戦いの一つ「分倍河原の戦い」はわが地元では「分倍河原・関戸の戦い」と呼ばれる。我田引水と言われそうだが、多摩川の北岸は丘もない平坦地なので北条軍が陣を張るのは不自然であり、河原を一望できる金刀比羅宮を含む関戸が真の戦場だった可能性はある。半世紀も住むと愛郷心が生まれるのか。これで拙宅の敷地から合戦の遺物でも出ると申し分ないのだが!

2021年9月22日水曜日

生を受けた国ゆえの幸不幸

  昼寝から目覚めてテレビのスイッチを入れたらNHKで私の好きな番組『ふれあい街歩き』を放映していた。私は国の内外 (昔は国内外などとは言わなかった!)の旅行番組をよく見るほうだったが、最近は国内の場合目新しい風景は種切れになったのか、やたらに食事処を訪ねる場面が多くなり、つまらなくなってきた。外国訪問の場合、珍しい場面がまだまだ多い。中でも『ふれあい街歩き』は良質だと思う。

 今回はニュージーランド南島のダニーデンに近いオアマルという町。「ビクトリア愛あふれる街」という題名のように、英国のビクトリア時代の風俗を再現した行事が中心で、AI時代などどこ吹く風といった風情だった。表面に触れただけだが........。

 昨日の『朝日新聞』の第一面(第三面も)はギリシアのレスボス島( レズビアンの語源の島)に小舟で密入国を図り追い返されるアフガニスタンやシリアの難民の話題だった。ギリシアの対応は冷酷のようだが、EU諸国が以前のように難民を受け入れなくなった現在、ギリシアを非難する資格のある国は稀だろう。それにしても高額のヤミ渡航費を業者に支払い身の危険を冒した結末がこれとは。

 アフガニスタンについて私はほとんど無知だが、シリアは長い歴史を持ち、ダマスカスは中東の一中心だった。この明らかな退歩が一時的であることを願う。何処の国や地域に生を受けたかによりこれほどの差がある。焼け石に水の感はあるが、国連などを通じて少しでも現状の改善を図る他ない。

2021年9月17日金曜日

日本の林業の現状は?

  NHKのクローズアップ現代で「宝の山をどう生かす 飛躍のカギ」という題で最近のわが国の林業を取り挙げていた(9.15)。題名と異なり問題山積の現状の紹介との印象だった。

 国土の三分の二が森林であるわが国の林業は1960年代に木材輸入が自由化された結果、東南アジアからの輸入が激増し、略奪的皆伐を蒙った国もあると聞いていた。その後とりわけ1990年代から木材価格が下落し、国内の林業は大きな打撃を受けた。ところが最近、米国の金融緩和の結果住宅建設が著増し、我が国でも木材価格が高騰した(ウッドショック)。従来は価値が無かった細い木材もチップとしてバイオマスの原料として利用が拡大したという。

 林業不振の長い期間、政府は林道建設や大型機械(1000万円もする)導入への助成など支援に手を尽くしたようだ。しかしそれが手っ取り早い皆伐を生み、土砂災害の原因ともなっているという。若者にとって必ずしも魅力的とも言えない(厳しい労働)林業が長い不振ののち木材価格の上昇という明るいニュースと予想していたら、皆伐や盗伐による土砂災害という暗いニュースが番組の主旋律のようだ。これまで林業不振の報道に心を痛めていた私にとって皆伐の問題点への警告も大切だが、林業が生業として成り立つことも国土保全の前提ではなかろうか。日本の林業の現状報告として片手落ちでないか。拍子抜けだった。

訂正。 前回のブログで「法人向け」としたのは「邦人向け」の誤り。転換ミス!

2021年9月13日月曜日

旅行業界の苦境

 今朝は新聞休刊日なので朝からテレビニュースを見ていたら(いつものことだろう!)、コロナ禍での旅行業者の苦境が報じられていた。その社はリモート授業の要領で沖縄各地の風物を有料で紹介するが、契約者には前もって各地の名産品を送り、食べながら画面を楽しめるようになっているとのこと。そこまで努力しているとはと同情を禁じ得なかった。

 私も各社の海外旅行ツアーに参加した。大手のツアー会社も利用したが、、中小会社の特色あるツアーにも何度か参加した。冷戦末期の東欧諸国やソ連など職業的関心も多大だったし、観光目的としても中国奥地やカムチャツカなど各社の工夫ぶりを見ることができた。最近は個人情報の秘匿のためか参加者同士が名前も知らず終わるのが普通だが、以前は自己紹介の機会があるのが普通で、その後年賀状をやりとりしたこともあった。さすがに長続きはしなかったが。

 『読売新聞』( 9.11 ) にHIS社の赤字が332億円に拡大し、売上高は前年同期比で77.4%減とあった。研究休暇で半年パリに滞在中、途中で家内を呼び寄せたことがあり、HISを利用した。まだ名前も広くは知られておらず、現地の法人向け週刊?新聞でパリ支店を知った。邦人社員二人の事務所でモスクワ経由のアエロフロート便を予約した( 当時大手航空便の割引きは一般的ではなかった)。ドゴール空港に無事到着したが、オルリー空港近くの寓居まで地下鉄でパリをほとんど横切る必要があった。しかし、夜遅いメトロは安全とは言い切れないと聞いていたが、大きなトランクを抱えて利用せざるを得なかった。じっさいには何事もなかったが、いくら昔でも楽しい思い出ではない。ともあれHISの健闘を祈ります。

2021年9月8日水曜日

ニューヨークからカブールまでの二十年

  9月11日が近づくにつれ、新聞各紙にニューヨークの同時多発テロ事件の回顧記事が目につくようになった。あらためて読み返して事件の理不尽さ、非人間性に圧倒される思いである。米国が20年間アフガンで戦っても戦死者は7000人程度なのに、9月11日の死者は1日で3000人(乗客らを含む)。この犯罪の犯人と彼らを庇護する者は必ず罰せられなければならないと米国民が決意したのは無理からぬところがあった。主犯とされるビン・ラディンを殺害したのはオバマ大統領時代の米国だった。

 それではビン・ラデインを殺害した時点で米国(NATO諸国も)は撤兵すべきだったのか。結果論で言えばそれが少なくとも賢明だった。しかし、言うは易いが、それまでの十余年間にアフガンでは和解できない二つの勢力の併存状態となっており、一方を見捨てる決断は困難だった。たとえ結果がそうなっても。 

 米国はアフガン人の人権のため戦争をしたのではない。しかし、結果としてアフガニスタンの少なくとも都市部では多数の女性が教育を受ける機会を手に入れた。その人たちの中から十数人が女性の人権を主張してデモを行なった。タリバン指導部は国際的反響を考慮してただちに弾圧はしないだろうが、兵士たちはどう反応するか。彼女たちの勇気には敬服の他ない。昨日あたり、それが男女数千人の人権要求デモの口火となっている。ビルマやベラルーシの弾圧の再現とならぬよう祈るしかないのが残念である。

2021年9月4日土曜日

首相の退陣

  菅首相が自民党総裁選への不出馬を表明した。全く突然のことで自民党議員たちにも寝耳に水だったようだ。テレビでは政治評論家たちがあれこれ不出馬の理由を論じているが、未だ推測の域を出ないようだ。より重要なのは首相としての業績評価だろう。むろん評価が定まるのは五十年後、百年後だろうが、同時代人としても無関心ではいられない。

 わずか一年間の施政だったが、コロナ禍や東京オリンピックやアフガン戦争終結と多事ではあった。その間、菅首相としては誠実に問題に向き合ったと言いたいだろうし、私も否定的にばかり捉えるのは公平でないと考える。それでも各社の世論調査が低下する一方だったのは認めなければならない。

 世論での低評価の理由は首相の発信力の低さではなかろうか。この一年間、菅首相の印象に残るスピーチを聞いた記憶がない。欧米諸国と違いいくら腹芸や忖度が横行する国柄とはいえ、やはり言葉で勝負する印象が皆無では人気が出ないのはやむを得ない。学術会議員の任命拒否の問題にせよオリパラ開催問題にせよ、信念を持って決めたのならもっと説得に努めるべきだった。それで野党側が納得する見込みは乏しいが、大事なのは国民の反応のはず。その結果がオリンピック開催への国民の一定の満足が、期待された内閣の支持率の向上とならなかった一因ではないか。

 ただ、諸外国からはコロナ禍にもかかわらずオリンピック開催の約束を守った首相と評価されるかもしれない。

2021年9月1日水曜日

自由貿易の恩恵?

  スーパーで数本入りで百円余りのバナナを買った。3種ぐらい売られている内で1番低価格のものを買ったのは、それが皮に一番青みを残していたから。私はわずかでも酸味の残るバナナを好む。もっとも三日も持たず青みも酸味も無くなるが。

 買う時には気付かなかったが購入したバナナは南米ペルー産だった。ペルーと言えば地球儀で最も対極にある国の一つである。その国からかくも新鮮で安価なバナナが届くとは.......。バナナといえば戦前は台湾あたりから輸入されていたのだろうが、戦時中は手に入らなくなった。輸送船に余裕が無かったのだろう。ところが一度だけ干しバナナの配給があり、砂糖など入手できない時代に本当に美味しく感じた。しかし、都会だけでなく全国に配給する量が有ったのだろうか。

 現在はバナナも葡萄もパイナップルも外国産が当たり前となりつつあるようだ。それに対して国産のフルーツは高級化で対抗している。今年一度しか買わなかった桃はまるで貴重品扱いで緩衝材が二重に使われていた。

 果樹農家も限られた耕地で収入を増そうとすれば高級化するしかないだろう。かつて「貧乏人は麦を食え」とも取れる発言をして顰蹙を買った大臣がいたが、現代なら「貧乏人は輸入品を食え」となるのか? 輸入品の味で満足している私は別に腹も立たないが。