2020年3月29日日曜日

弥生三月の雪

昨日から、今日の東京地方は積雪との予報が発せられていた。予報通りなら三月末の降雪は稀なことなので ( 30年ぶりとか ) 、あまり信用せず、積雪は奥多摩からせいぜい八王子市までのことと予想していた。何しろ最近の天気予報は予想外れによる災害の責任を恐れてか大げさに警告する傾向があったから。

今朝は6時ごろ起きて屋外を見ても雪ではなく雨天だったのでやはりと思った。ところが8時ごろから雪が降り出し、テレビ画面の都心とは異なり午前中は激しく降り続いた。私が神経質になっていたのは、自宅前の道路は十軒余りの住民だけが使うので我が家の前 ( の此方側 ) は自ら除雪せねばならず、一年前から腰痛と無縁で亡くなった身には大雪は脅威そのものだから。

さいわい正午ごろから雪は止み、4,5センチほどの積雪はやがて車が通れる程度には溶けてくれ、ホッとした。しかし、それに気を取られている内に夏みかんの上に積もった雪が溶けてしまい、久しぶりの傑作写真を撮り損ねた!

積雪はともかく、東京の気温は昨日の21.9度から今曉の0.9度まで低下した。やはり異常気象なのだろうか。

2020年3月24日火曜日

春を待つ心

「春を待つ心」と言えば、文字通りの意味の他にも寓意的に使われることが少なくない。しかし何故か今年は文字通りに感ずる機会が多いと感ずる。

気候温暖化の影響だろうが、桜の開花は年々早くなり、都心よりも通常遅い多摩市でも今年は都心に負けないスピードで開花し、他にも木蓮をはじめ咲きだした花木が少なくない。これを書いている現在も、北風に乗って桜の花びらが庭に舞っている。そういう状況で春を待つ心などと書くのは気がひけるが、実感なので仕方がない。私自身の高齢化の影響もあろうが、今年の春が異常な暖かさとともに低温の逆襲が二度三度と続くこともある。

我が家の庭には山椒の木が二本あり、1メートルにも足りない一本は緑の葉を出しかけたが、大きい ( と言っても2メートルほど ) の木が音無しだった。後者には去年思いもかけず多くの実がなり、数軒におすそ分けしたほど。気掛かりだったら家内が、前年多産だった木は枯れることが少なくないとの情報をもたらした。しかし今朝見ると小さいながら芽が出だしたようでホッとした。

世の中もそれを映すメディアもオリンピックの開催如何で大忙しの時に老人は天下泰平だなどと言われそうだが、人智では予測不可能なことも多いと斜に構えている。

P.S.  前回のブログで検察審査会が佐川元局長を無罪放免したかのように書いた。しかし、審査会は起訴相当としたが検察が再度不起訴としたようだ。これも記憶力減退のなせる技か?

2020年3月20日金曜日

森友事件の闇

コロナウイルス問題が目下の最大の案件だが、最近は他にも植松被告に対する死刑判決、父親による我が子への虐待への判決など新しい記事ネタに事欠かない。どれも小さな案件ではないが、森友事件で文書改ざんを強いる上司との板挟みになって自殺した下級官吏の手記の公表は痛ましい限りである。

その上司が当時の本省の佐川理財局長だったことは当時から知られていたが、検察は彼を起訴せず、検察審査会もそれに異を唱えなかった。いちおうの法的決着がついている以上、残された家族による損害賠償請求しか方法は無いのかもしれない。佐川元局長の執拗な文書改ざん要求が安倍首相の軽率極まる「無関係」発言を正当化するためとの疑いは濃い。役人の世界は清張の『点と線』の時代から変わっていないのか。

ところで、自殺者の手記は『朝日』に要旨が、『毎日』に全文が掲載されているが、大きな違いがある。手記全文では末尾に「この事案は、当初から筋の悪い事案として、本省が当初から鴻池議員などの陳情を受け止めることから端を発し、.........課長クラスの幹部レベルで議員等からの要望に応じたことが問題の発端です」とあり、他にも記事中にそれが言及されているのに対し、要旨にはこの箇所は省かれ、むろん記事中の指摘も無い。森友事件では記録の改ざんの追求も大変大事だが、十億円近い不正値引きの原因追求は『朝日』にとっては大事ではないと読めないでも無い。

2020年3月17日火曜日

植松被告に死刑判決

やまゆり園事件の植松被告に初審は死刑判決を下した。同被告はどんな判決でも上告しないと語ってきたので、その意思を変えなければ死刑が確定する。私は植松被告にせめて上告には同意してほしい。メディアが言うほど ( 『朝日』「偏見強めた経緯 未解明」『東京』「『なぜ犯行』今なお残る」) 再審で経緯が今後解明されるとも思わないが、一審の結果だけで死刑確定とは死刑存置論者の私でも同意したくない。

私が死刑制度を是認するのは私利私欲のために残虐な殺人を犯した犯人には死刑もやむを得ないと思うから。麻原彰晃以外のオーム事件の被告たちにも感じたことだが、彼らは誤った教義のため殺人に及んだ。被害者やその家族にとっては到底許せない気持ちだろうが、犯人たちが人間として卑劣とまでは言い切れない。罪を憎んで人を憎まずということも場合によれば有ったのではないか。植松被告の場合も犯した罪は重大だが、少なくとも私利私慾が動機ではなさそうだ。障害者施設で勤務したことがない私は彼を死刑にすることに躊躇を感ずる。

それにしても弁護士連合会の会長をはじめ我が国には死刑廃止論者が少なくないのに彼らはなぜ黙っているのか。「空気」を気にするメディアが彼らに発言の機会を提供しないのかもしれないが、現在はSNSをはじめ発言の機会が皆無とは思えない。まさか植松被告は例外とは言わないと思うが.........。


2020年3月15日日曜日

ちょっぴり訂正

前回のブログで鳩ヶ谷の公団住宅が1Kだったと書きましたが、家内によると1DKだったとのこと。小生の記憶と違いますが、いちおうテーブルと椅子で食事をしていたので狭くとも2DKだったのでしょう。次の公団住宅を上福岡団地と書きましたが、上福岡駅を下車すると南に霞ケ丘団地、北に上福岡団地があり、我が家は前者でした。記憶力減退で困ったことです。なお、鳩ヶ谷団地にやってきた数人の教え子の1人の写真が今日の『朝日』の第1面に載っています ( これは記憶違いではありません!)。

2020年3月10日火曜日

自虐映画『翔んで埼玉』

一ヶ月ほど前に録画した『翔んで埼玉』という映画 ( 原作は漫画 ) を観た。全国に知られているかは知らないが、首都圏では埼玉県 ( 民 ) はダサいということで「 ダ埼玉」と揶揄される。本当は東京都民が埼玉県を見下した言葉というよりも埼玉県民の自虐の言葉なのだが、ついに映画にまで昇華?された。

映画では、「都会指数」!に劣る埼玉県民と千葉県民は東京に入るため関所で通行手形を見せなければならないほど差別され、過去には「埼玉解放戦線」や「千葉解放戦線」の反東京闘争もあった。今回は東京都知事の息子 (二階堂ふみ ) と埼玉出身のヒーロー( GACKT ) が協力して東京に攻め入り、知事の不正を暴くという筋。これで埼玉県民の溜飲が下がるというものでもなかろうが、そこは漫画というしかない。もともと自虐の言葉が出発点なのだから。

私自身、二度埼玉県民だった。住宅難の当時は公団住宅への入居がうれしがられた時代。埼玉県の公団住宅への入居も数倍かそれ以上の倍率だった。所沢など数箇所にふられ、ようやく川口市の隣の鳩ヶ谷の1K住宅に潜り込めた。その6畳の居間兼寝室兼書斎に教え子の高校生数人が遊びに来た時には家内と幼児はキッチンにいるほかなかった。幸い三、四年後、東武東上線の上福岡団地の2DKに移ることができた。そのころ埼玉住まいを卑下する空気などまったく無かった。その後の東京の驚くべき発展が埼玉県民に自虐の言葉を発明させたのだろう。

映画で神奈川県民が特別扱い ( 関所がない!) されていたのは可笑しいが、幕末の開港地横浜を含む神奈川県は文明開化の発祥地ということか。たしかに文化施設や観光地の多彩さでは首都圏ではナンバーツーだろう。埼玉県民の自虐も分からぬではないが、それなら旧制高校は埼玉県 ( 浦和 ) にあっても神奈川県には無かった ( 確か!)。

2020年3月8日日曜日

コロナウィルスへの対処

運動不足の解消を兼ねて閉館日の木曜を除いて毎日駅前の図書館分館で新聞各紙に目を通しているが、数日前、突然感染症対策のため二週間ほど閉館となった。ところが5キロ足らず離れた日野市の高幡図書館は閉館しないので、このところ毎日通っている。多摩市の場合、本当に閉鎖の必要があるのかと文句を言いたくなる ( その程度の不便に何をほざく!)。

今日の『産経』に「政治休戦が必要だ」との見出しで作家の佐藤優氏が、小中高校などの臨時休校を要請した安倍首相の決断に賛成している。「脅威は、ウイルスの感染力、致死率だけでは判断できない。........国際社会がどう受け止めているか、この感染症が国民の心理や経済に与える影響を総合的に評価する必要がある」「感染症との戦いは時間との勝負だ」との氏の意見に私は賛成する。

安倍首相の「決断」に対するメディアの評価は概して悪い。専門家の意見を徴さなかったに始まり、決断力を誇示したかった、観桜会や検察人事などへの不評をこれで消したかった、学校を始めとする関係者の困惑や混乱をどうするのだ等々。

それらの指摘が誤りだというのではない。そもそも首相の「決断」は要請であって命令ではない 。まだ感染者のいない県が一斉休校する必要はないだろう。しかし専門家の意見と言っても容易に一致するとも思えない。現在程度でも日本経済に様々な影響が及んでいる。今回の決断でも遅かったとの評価もありうる。

佐藤氏は「いわば『独裁的』に安倍首相が決断したという事実が、危機に直面したときに日本国家の中枢が機能していることを示している」と考える。逆説的だが、そういう見方も可能ではある。今は首相の動機をあれこれ詮索している時期ではないだろう。

2020年3月5日木曜日

美麗なマンホール蓋の流行

我が家から駅に向かってすぐの階段の下で先日ちょっとした工事があった。まったく気にも留めなかったが、工事が完了したら下水道のマンホール蓋が大きくなり、カラー化されていた。それでもその模様をろくに見ようともしなかったが、今朝配られたミニコミ紙『タウンニュース』に新しいマンホール蓋を設置」としてカラー写真が載っている。

それによると駅周辺に4箇所設置された由。図柄はアニメ映画『耳をすませば』に出て来る洒落た喫茶店の絵 ( 駅前に郵便ポストになった模型がある )と共に大きなあらいぐまの絵が描かれている。1970年代?に放映されたアニメ『あらいぐまラスカル』の絵らしい ( 製作した?日本アニメーション社は今も多摩市にある ) 。

しかし、当ブログでも紹介したことがあるが、我が家のある住宅地は軒並み?あらいぐまらしい動物の被害 ( ゴミ荒らし ) を経験しており、生ゴミを庭に埋めていた我が家も例外ではなかった。本来は米国からの外来動物を有り難がることもあるまいと思うのだが、テレビ人気には勝てない。

最近はこの種のマンホール蓋が流行のようだ。市のもう一つの玄関口の多摩センター駅の周辺には『ハローキティ』のマンホール蓋が9箇所に設置されているとか。数で負けるのは面白くないが、あちらには「サンリオピューロランド」があるので仕方がないか。

2020年3月1日日曜日

ムバラク元大統領の死

2月25日、エジプト大統領を30年間務めたムバラクが亡くなった。大統領時代は現代のファラオー呼ばわりされるほどエジプトに君臨したが、2011年の「アラブの春」とともに反政府デモが激化し退陣した。イスラム同胞団出身の次のムルシー大統領下の裁判で一度は終身刑判決を受けるが、反ムルシー政権の軍部クーデターで成立した現シーシ政権の下で無罪放免となった。その功罪の評価は両極端に分かれている。

昨日の東京新聞の『本音のコラム』欄で師岡カリーム氏が複雑な胸中を吐露している。氏も「強権政治や私腹肥やしは許し難い」とする。しかし、大統領の来日に際して通訳を務めた氏は、「本音でしゃべるときの茶目っ気とユーモア」や「飾らない人柄」に接し、「政権は憎んでもムバラク本人は憎めなかった」。

人柄だけではない。氏によれば「強権的な警察国家を維持したのは事実だが、市民が喫茶店やバスで大統領を罵るぐらいの自由はあり、一部周辺国と比べれば風通しはよかった」。失脚後は国外逃亡しなかったのが評価され、同情する声も多かったとか。

ナセル、サダト、ムバラクと続いた軍部政権は世俗主義をとりイスラム教に特権的地位を許さなかった。「アラブの春」後成立したムルシー大統領も米国で大学教員だった経歴もあり、イランのハメネイ最高指導者ほどの狂信者ではなかったようだ。しかし、イスラム同胞団出身ということでイスラム過激派が勢いづき、人口の1割を占めるコプト教徒 ( キリスト教の一派 ) の迫害が横行した。その後ムルシー政権は軍部のクーデターにより打倒されたが、エジプト国民がそれに抗議して立ち上がらないのは政権側の軍事警察力だけが理由ではなさそうだ。