2019年6月28日金曜日

秋篠宮家の「受難」

ひとしきり週刊誌のトップ記事を席巻していた感のあった死後手続きと相続問題に代わって、秋篠宮家の話題がさも不祥事であるかのように各誌の好餌となつている。先日の秋篠宮殿下の記者会見はそれに油を注いだようだ。

殿下は親子間の断絶をあっさりとメディアにぶちまけた。一般家庭であればごくごくありふれた事態に過ぎないのだが、皇嗣の家庭ともなればそうともいかないようだ。私は殿下の宮中行事の簡素化の提言や移動手段としての専用特別機の不使用など、率先して皇室と国民の間の壁を低めようとの言動に大賛成である。したがって秋篠宮家の内情をさも重大事のように書き立てる週刊誌ジャーナリズムには不快感しか覚えない。世界の王室では英国のように不倫、離婚、再婚で話題を集めた例や、スペイン王家をはじめ金銭的不祥事に関与したとして国王や女王の夫君が退位や謹慎を余儀なくされた例もある。

さすがに明言はしていないが各誌の記事の行間からは、美智子上皇妃が秋篠宮家の現状に強いご不満を抱かれておられるご様子がうかがわれる。皇室のために一身を捧げられた美智子妃から見れば秋篠宮家の現状は憂うべき事態なのだろう。その背後には想像だが愛子さまを皇位につけたいとの広言はできない美智子さんのお気持ちが潜んでいるのではないか?

思えばこれまで正規の帝王学を受けられなかった秋篠宮をはじめとする皇族の方々が、政府や国会により自分の将来を一方的に決められるのは皇室典範の定めによるとはいえ君主制の本質的な制約だろう。それでも令和期の皇室への支持は厚い。我が国の皇室にもヨーロッパの王室の享受する自由度を差し上げたい。そうであれば皇室の神格化はあり得まい。

2019年6月26日水曜日

ゴーン氏の憂鬱

前日産自動車会長のカルロス・ゴーン氏が拘束を解かれたりまた身柄を拘束されたりと、法律の素人にはよく分からない処遇を受けている。本人が招いた災難かもしれないが、異国での先の見えない拘束は辛いことだろう。

ゴーン氏が旧フランス植民地 ( 国際連盟の委任統治という名の ) のレバノンの出身であることは知られている。昨日の朝日新聞に日産自動車に君臨するまでの同氏の経歴がやや詳しく紹介されている。レバノンの名門校 ( おそらくフランス語での教育 ) を卒業した彼は、17歳でフランスの理系の最高学府で教育を受けた秀才中の秀才だった。しかし彼は「パリでは人間関係が希薄.......、溶け込めたと思ったことはありません」と語っているとのこと。フランス国籍の取得を勧められたが一度は拒んだという。

ロンドンでもパリでも外国人は珍しくないので、日本のように外国人 ( 少なくとも欧米人 ) だからといってちやほやされることは無い。このブログでも一度紹介したと記憶するが、エドウィン・ライシャワー博士はパリでの留学生活を自伝で回想して、「庶民との交流は皆無。私は留学生が留学先の国を憎むようになる気持ちがよく分かった」( 大意 ) とまで書いている。博士の場合、フランスの高名な日本学者の下で学ぶための留学でフランス語は得意でなかったと想像するが、完全にフランス語をマスターしたゴーン氏でもフランスに溶け込めなかったとは........。「他文化との共生」の難しさだろうか。

その後のゴーン氏はミシュラン・タイヤ社で異例の急速な昇進を遂げるが、家族色の強い同社ではトップには就けないと知り、ルノー社に移り頂点に達した。その並み外れた能力と努力を考えれば祝福に包まれての引退に値する生涯だったはずだが、そうならなかった。「犯罪」の真相は未だ完全に解明されたわけではないとはいえ、自らの「豪腕」に酔い謙虚さを失っていたとすれば罪は罪として何ともやるせないことである。

2019年6月23日日曜日

佐渡小木半島の今昔

今朝のNHKテレビの「小さな旅」は「佐渡小木  たらい舟と洞窟の祈り」だった。佐渡ヶ島南端の小木半島は、史学科の研修旅行の目的地が佐渡ヶ島だったとき立ち寄ったことがあるので、消えかけた記憶を回復するためチャンネルを回した。

番組の前半は同地の観光の目玉であるたらい舟でさざえ漁をする老人夫婦を取り上げていた。かつて北前船の寄港地の一つだった小木は火山台地のため農地で十分な収入を得る機会は乏しく、夫は本土の高速道の工事などで一年のほとんどを過ごす出稼ぎ生活を何十年も続けた。今は好きなたらい舟漁で生計を補っているが、日本経済の高度成長を担った戦士の一人だったわけである。研修旅行後の30年あまりの時の流れは全てのたらい舟がエンジン付きとなっていた!事実に示されていた。

番組の後半は田圃も広がる同地が灌漑用水が皆無で、かつては天水でいもと麦を作り食する地区だったが、水源を求めて地区民がつるはし一本で火山岩にトンネルを17年間掘り続け、諦めかけた時に豊かな水脈を掘り当て、米飯を食することになったと伝えていた。他郷への出稼ぎ者と同様、長い困難の時期を経た住民が今はささやかな安定を得ている様子は心温まる風景だった。

佐渡ヶ島だけではない。全国の農山漁村からの出稼ぎ者たちが東京や京阪神など大都会の発展を可能にした。この人たちの晩年が平穏で幸多いことを祈るばかりである。

2019年6月20日木曜日

法治国家を護る香港市民の闘い

幕末維新期に欧米列強が自国民を日本の司法に委ねることを許さない領事裁判権を我が国に認めさせた。こうした「不平等条約」の解消のためどれほど官民とも努力したかはよく知られている。しかし、開国以前のわが国では奉行は一身に警察、検察、裁判所を兼ねていた。すでに司法の独立を達成しつつあった列国が、それでは自国民への公正な裁判は期待できないと考えたのは無理からぬところがある。

英領植民地時代の香港には住民主権という意味での民主主義はなかったが、権力の恣意的介入を許さない司法制度は成立していた。今回の逃亡犯条例が成立すれば一国二制度は骨抜きになると恐れた香港市民が条例反対に立ち上がり、改正延期 ( 実質は撤廃 ) を強いたことは素晴らしい。司法の独立は香港市民の血肉となっていたと言ってもあながち過言ではない。

しかし、これまで中国に従順だった香港経済界も今回は林行政長官をバックアップしなかったとはいえ、中国が次の機会を狙うことは間違いあるまい。さらに、一国二制度には50年間という期限がある。香港返還当時は半世紀の間に中国自体が民主化し、法治国家になっていると世界が予想したが、現実はその予想を裏切りつつある。

我々はひとたび一党独裁が成立すればそれを解消することが如何に困難かを確認しつつある ( 高い理想を掲げた共産主義でさえ ) 。わたしは習近平個人がスターリンや毛沢東のような独裁者気質の持ち主であるとは今でも断定したくない。しかし、かれ個人を超えた既成利益固守の体制が法治国家への移行を困難にしている。われわれは法の支配を護る香港市民の闘いが孤立することがないよう努めねばなるまい。

2019年6月12日水曜日

雨の歌

異常な寒暖の差の今年の春だったが、それでも6月の声を聞けば恒例の梅雨の季節がやって来た。庭木の中でも新しい小枝が多い梅の木はほおって置くとカビが若葉につくので、腰痛再発を危惧しながら今日何とか小枝切りを済ませた。

むかし、高校の国語教科書に永井荷風の「花より雨に」という文章が載っていた。4月ごろ、花々が庭を彩った頃から6月の梅雨の季節までの自家の庭の変化を綴ったもので、かれの高名な日記 ( 『断腸亭日乗』。 山本七平が荷風の全文学作品もこれに及ばないと評していた )からの転載だったのだろうか。庭に現われる季節の移ろいを仔細に描いていた。

その文中で荷風は、「巷に雨の降るごとく  我が心にも雨ぞふる」とフランスの詩人ヴェルレーヌの有名な詩の冒頭の一行を引用しており、梅雨時の庭の風情の描写をひきたてていた。荷風による全訳があるかは知らないが、その後、鈴木信太郎訳のフランス詩集に同氏の訳文を発見した。すでにご存知の方も多いとは思うが、秀逸な詩であり、秀逸な訳文だと思うので紹介したい。

都に雨の降るごとくわが心にも涙ふる   心の底ににじみ入るこの侘しさは何ならむ  大地に屋根に降りしきる雨のひびきのしめやかさ  うらさびわたる心にはおお雨の音 雨の歌 ( 以下略 )

梅雨空を名詩の名訳でしのいで欲しい。

2019年6月10日月曜日

高齢ドライバーの交通事故防止策

池袋での元高位官僚による死亡交通事故以来、高齢ドライバーによる重大交通事故のニュースが続いている。最近は街頭の各所に設置された監視カメラとマイカー設置のドライブレコーダーによりどのような状況で事故が起こったかはある程度解明可能となってきた。しかし、真の事故原因 ( なぜドライバーが突然理解しがたい運転をしたか ) は依然として未解明である。

昨日のNHK?テレビでオーストラリアのニューサウスウェールズ州 ( シドニーを含む ) の高齢者の運転免許制限の例が紹介されていたのはわが国にも一応の参考になりそうだ。同州の対策は、1 ) 5キロ以内の距離限定の運転免許  2 ) 85才の高齢者の路上試験  3 ) 75才以上のドライバーに対する医師による検診  の三種だという。

1 ) は高齢者の買い物などの生活上の必要を考慮したものであり、わが国でも地域限定の運転免許として論じられているところ   2 ) はわが国でも75才以上のドライバーに免許更新時に実施する路上テストに似ているが、わが国ではそれだけで不合格とならない多分に形式的なもの  3 ) はわが国でも認知症の筆記テストで低得点の人にだけ課されているが、75才全員に課される義務ではない。総じて日本はオーストラリアと比較して不徹底の印象は否めない。大学に合格すればほとんどが卒業できる温情主義?がここでも発揮されている。

悲惨な事故を防止するためとはいえ年齢による一律制限は、とりわけ地方在住の高齢ドライバーの生活への影響支障を考慮すれば取るべき対策ではないだろう。地域限定や夜間禁止などの限定免許の採用が望ましい。最近のクルマの事故防止装置の進歩はメーカーによってはかなりのものと聞く (  アクセルとブレーキの踏み間違い防止策はもとより、障害 ( 人も物も ) を感知してストップさせる装置も有効なスピード域の拡大、夜間の有効性など )。遠からず、特定車種のみの限定免許も有効な対策になりつつある。高齢ドライバーもそうした追加出費は買い替えも含めて受け容れなければなるまい。


2019年6月4日火曜日

日本共産党の天皇制容認

今朝の新聞各紙によると日本共産党は、昨日志位委員長名の文書で女性・女系天皇の承認 ( つまりは天皇制の承認 ) に踏み込んだ。同党は30年前の平成発足の際の賀詞に反対し、今年3月の平成天皇在位30年を祝う賀詞にも「過度に天皇を礼賛するもの」( 私もそう思う) として欠席したが、先月の新天皇の即位を祝う賀詞には賛成していた。したがって今回の「天皇の条項を含め現行憲法を遵守していく」との説明は正常な進化?とも言える。

たしかに歴史上君主制が民主主義の発展にとって障害であった事例は事欠かない。しかし世界で現在最も民主主義的なヨーロッパでいくつもの国が君主制を維持していることは時代が変わったことを示している。むしろ君主制は一等独裁や宗教独裁の危険を回避ないし一定程度緩和する効果があると言えるのではないか。

昭和前期の我が国ではソ連が指導するコミンテルン ( 共産主義インターナショナル ) の指令 ( 各国共産党は規約上その支部であった )に従い共産党は君主制の廃止を掲げさせられ、そのため多くの犠牲者を出した。他国の実情を知らぬモスクワの指令の方にこそ問題があった ( 最も早い指摘のひとつは松田道雄 『わたしの読んだ本』岩波新書 )。君主制と言っても国により様々だが、少なくとも全体主義イデオロギーや宗教原理主義への防止効果があるとすればその存在意義を認めてよい。もし日本共産党の転換が戦術的なものでなく、そうした理解に基づくものならばわたしは全面的に賛成である 。もっと早くても良かったとは思うが.........。

2019年6月2日日曜日

諏訪湖雑感

5月末日、私用で上諏訪温泉の「かんぽの宿」に一泊した。諏訪湖を見下ろす丘の斜面に宿はあり、諏訪盆地が岡谷まで一望できる。

朝のうちは雲が晴れず、右手の岡谷の町だけに日が差していたが、やがてほとんどの雲が退散した。自室からは画面に電線が入ってしまうのでカメラを持って最上階の展望室に移動した。シャッターを1、2回押したところにホテルの従業員 ( 機械保全の担当?)が来たので、眼下の小島 ( ずっと小さいが宍道湖の嫁が島に似て数本の木が生えている ) の名を尋ねたら初島とのこと。例年8月15日の湖上花火大会には打ち上げ基地になると教えてくれた。

最近は地方の人口減少が問題になっているが、諏訪盆地に関する限り昔と比べ物にならないほど拡大発展している。そのことに話題が及んだら従業員は湖岸の家並みを指して、かつてはあの辺りは湖中だったが天竜川の流出口の辺りを削って湖の水位を下げた結果、現在の町並みが可能となったと教えてくれた。

むかし評論家の大宅壮一が、長野県人はその勤勉さで日本人の典型であると書いていた。それに倣って言えば諏訪盆地の人々は勤勉な長野県人の典型と言えるだろう。以前、木曽出身の長野県人が、「諏訪の人間は賢いから」と語ったと従業員に紹介したら、意味深な言葉ですねと返された。 「賢い」とは本来は皮肉をこめた言葉ではなかったろうが、確かに賞賛一辺倒ではなかったろう。

この「かんぽの宿」は他の2箇所の同類とともに本年中に閉鎖される。他所と比較しても眺望も部屋も水準以上と思うのだが。やはり、武士の商法だったのだろうか?