秩父最奥の栃本部落と佐久の川上村を結ぶ十文字峠 ( 2020米 ) については「名前にひかれ、信州側から秩父まで歩き通した。一人では寂し過ぎる道だった」とある。私は高校生時代に田部重治の『峠と高原』を読んでその名を知り、大学1年の秋逆に秩父側から入山した。栃本から川上村まで山道4里 ( たしか ) と長いので前日に田部重治が泊まった昔の関守の大村家 ( たしか ) に泊まった。今では唯の民家だが突然でも快く泊めて食事も出してくれた。眼下の荒川の谷に霧が流れ神秘的だった。翌日の峠越えはまさに「一人では寂し過ぎる道」で全く人に会わなかった。途中で蛇を踏みかけ恐ろしさに飛び上がった。
富山県の立山から黒部川を渡り信州の大町に出る針ノ木峠 ( 2536米 ) は戦国武将の佐々成政が厳冬期に越えた事で知られ ( 異説もある ) 、日本アルプスの命名者ウォールター・ウェストンも越えた峠。投稿者は「峠といっても大きな雪渓の上の登山道を登っていくので、豪快な峠歩きを楽しめた」と述べている。日本三大雪渓の一つの針ノ木雪渓は雪渓を歩くのが正規の登山道で、その迫力は白馬岳の大雪渓に劣らない。峠にテントを張り、翌日黒部の谷に降り、立山の雷鳥沢まで仲間と歩いた。
投稿には無かったが、中里介山の小説の作品名となった大菩薩峠 ( 山梨県東部 ) に登ったのも大学一年の秋だった。から松の落ち葉を浴びながら峠に近づいたら「おーい、待て」との大声が聞こえ、峰の頂上から消防隊員たちが駆け下ってきた。大学生が大菩薩峠での自殺をほのめかして家出したとのことで、見張っていたところにそれらしい学生が登ってきたのだった! その後、峠には自動車で越える道ができ、季節には車が何台も駐車している。
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