「願わくば花の下にて春死なん......」の西行や「世の中に絶えて桜のなかりせば......」の業平の歌はよく知られ、このブログでも言及したことがあるが、後者の返し歌に「散ればこそいとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき 」( 詠み人知らず ) があることは知らなかった。雅な貴族社会は庶民とは無関係だったろうがその存在が我が国の文化遺産を生んだことは喜ばしい。本居宣長の「敷島の大和心をひと問わば 朝日に匂ふ山桜花 」は戦時中大和魂の鼓吹に使われたようだが、大和心と大和魂の違いは私にはよく分からない。
我が国の入学式も桜花と切り離せないようだ。わたしは国際交流の時代には諸外国のように9月入学制に改めた方が良いとの意見だが、入学の喜びと桜の時期とは切り離せないと言われれば反対しづらい。9月に咲く花木は無いものか!
芭蕉の「さまざまのこと思い出す桜かな」を名句と感じるのは俳聖芭蕉という先入観のなせるわざなのだろうか。少なくとも蕪村や最近亡くなったK氏のような難解な句ではないので私に向いている。考えさせる句よりも感じさせる句の方が名句だと言いたい。しょせん「ごまめの歯ぎしり」だが。
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