2018年4月24日火曜日

皇室の桎梏

英国の第二王位継承者ウィリアム王子に第三子が生まれた。テレビ画面でウィリアム自身が四輪駆動車ディスカバリーを運転していた。わが国では天皇は皇居内でしか運転していないと聞くが、皇太子夫妻も同じなのだろうか ( 少なくとも皇居外で運転中のお二人を見た人は無い ) 。民間人時代の雅子妃はトヨタの大衆車を運転しておられた。そうした自由が欠けていることもご病気の原因の一つでは無いかと私など思ってしまう。英国の王位継承者に許されることがわが国の皇位継承者になぜ許されないのか。

秋篠宮家の皇女眞子さんの婚約予定が発表されたと思ったら、お相手の小室圭さんの母親の不祥事?が週刊誌の好餌となり、結婚の先行きが危ぶまれる事態になっている。親と子は別人格なのに一大事のように書き立てる週刊誌も心ない限りだが、これで御結婚が困難になって良いだろうか。ご両人の心痛は大変なものと想像する。

どうせ結婚後は皇室の一員ではなくなるのなら、周囲がなんと言おうと真子さんには初志を貫いてほしいと思う。英国ではチャールズ皇太子もダイアナ妃もどうかと思うほど自由に振舞っていた ( 褒められたことではないが ) 。わが国でも皇室に生まれた途端に自由を失うのはもういい加減にしてほしい。週刊誌によれば未だ民間人の小室さんの警備費が月500万円とか。誇張もあると思うが、話半分としても宮内庁の独善もいい加減にしろと叫びたい!

2018年4月20日金曜日

財務次官のセクハラ発言

福田淳一財務省次官のセクハラ発言事件はもう片方の当事者がテレビ朝日の女性記者と判明し、遅まきながらセクハラ行為を同社が確認したとして財務省に抗議文を提出するに至った。

私は問題の週刊誌記事を読んでおらず、新聞やテレビで紹介された次官発言だけでセクハラの程度を云々したくない。言われた場所や状況によっては戯れ言の類いのようでもある。ただ、これが最高学府をおそらく最高の成績で卒業した人の発言としては全く品位に欠けるといえばその通りだ。見方によっては国辱ものとも言える。

他方、抗議した記者やテレビ朝日は何故ただちに問題としなかったのかとの疑問はある。セクハラ発言は数回にわたったらしいが、二人だけで飲食すればそうなると記者には途中から分かっていたはず。「記者という職業上、相手の懐に入るためには少々のことは我慢すべきだという空気が業界に蔓延していることも推察される」との森岡孝二・関西大学名誉教授の発言 (『産経』4月20日 ) が、女性記者にも彼女の上司にも当てはまるのだろう。

テレビ局側の、女性記者への「二次被害」への警戒との言い分も私は嘘だとは思わない。しかし結果として他のメディアに持ち込まれたことで報道倫理にさらに違反したと言えないだろうか?  少なくとも「取材対象者は、記者が属する媒体で報道されるとの前提で応じている」(『読売』4月20日 ) だろう。「セクハラに近い文言は良くないんですが、でも背景があまり不自然すぎて、なのにみんな正義漢ぶっちゃってどうのこうのと連日言っているのは違和感を感じます」とのデーブ・スペクターの発言 ( フジテレビの「とくダネ」4月18日。インターネットによる ) も一つの見方ではある。ただし、男性によるセクハラ一般を社会に問題提起するのが女性記者の意図だったなら、話はまったく別だが。


2018年4月17日火曜日

峠あちこち

今朝の東京新聞の読者投稿欄に82歳の男性の「峠の名前に先人の思い」と題する文章が載っていた。挙げられている数箇所の峠のうち2箇所は大学生時代に私も訪れており、一読懐かしかった。

秩父最奥の栃本部落と佐久の川上村を結ぶ十文字峠 ( 2020米 ) については「名前にひかれ、信州側から秩父まで歩き通した。一人では寂し過ぎる道だった」とある。私は高校生時代に田部重治の『峠と高原』を読んでその名を知り、大学1年の秋逆に秩父側から入山した。栃本から川上村まで山道4里 ( たしか ) と長いので前日に田部重治が泊まった昔の関守の大村家 ( たしか ) に泊まった。今では唯の民家だが突然でも快く泊めて食事も出してくれた。眼下の荒川の谷に霧が流れ神秘的だった。翌日の峠越えはまさに「一人では寂し過ぎる道」で全く人に会わなかった。途中で蛇を踏みかけ恐ろしさに飛び上がった。

富山県の立山から黒部川を渡り信州の大町に出る針ノ木峠 ( 2536米 ) は戦国武将の佐々成政が厳冬期に越えた事で知られ ( 異説もある ) 、日本アルプスの命名者ウォールター・ウェストンも越えた峠。投稿者は「峠といっても大きな雪渓の上の登山道を登っていくので、豪快な峠歩きを楽しめた」と述べている。日本三大雪渓の一つの針ノ木雪渓は雪渓を歩くのが正規の登山道で、その迫力は白馬岳の大雪渓に劣らない。峠にテントを張り、翌日黒部の谷に降り、立山の雷鳥沢まで仲間と歩いた。

投稿には無かったが、中里介山の小説の作品名となった大菩薩峠 ( 山梨県東部 ) に登ったのも大学一年の秋だった。から松の落ち葉を浴びながら峠に近づいたら「おーい、待て」との大声が聞こえ、峰の頂上から消防隊員たちが駆け下ってきた。大学生が大菩薩峠での自殺をほのめかして家出したとのことで、見張っていたところにそれらしい学生が登ってきたのだった! その後、峠には自動車で越える道ができ、季節には車が何台も駐車している。

2018年4月16日月曜日

米英仏軍のシリア攻撃

先ごろのロシア大統領選挙で現役のプーチン氏が再選されたが、それに関して東京新聞の「本音のコラム」に作家の佐藤優氏が氏らしい表現で論評していた。

佐藤氏によれば「ロシア人の選挙観は欧米とはだいぶ異なる。.......天から『悪い候補者』と『うんと悪い候補者』と『とんでもない候補者』が降ってくる」「そのうち『うんと悪い候補者』と『とんでもない候補者』を排除するのが選挙なのだ。政治は悪い人間によって行われるというのが、ロシア人の共通認識だ」。つまりは政治学的に言う「政治とはより小さな悪の選択」という金言を氏は独特のユーモアで表現している。

トランプ米大統領主導の下で米英仏連合が、シリア政府軍の毒ガス攻撃を罰するためとの理由で軍事攻撃した。新聞各紙はそれを大きく報道している。そこに佐藤優氏式の分類を私流に当てはめれば、トランプ氏とプーチン氏が「悪い政治家」、アサド氏が「うんと悪い政治家」、イスラム過激派が「とんでもない政治家」となる。ただしシリア政府が本当に毒ガス攻撃をしたのなら、それを許したプーチン氏は「うんと悪い政治家」となろう。私はまだ断定できないと思っている。

米英仏連合のシリア攻撃への新聞各紙の社説は、「止むを得ない行動だ」との見出しの『産経』と「無責任な武力行使だ」との見出しの『朝日』を両極に、「化学兵器がこれ以上使われる事態を阻止することが先決である」とする『読売』が『産経』寄り、「対立の泥沼化を懸念する」との『毎日』が中間的立場をとっている ( 『東京』の社説は冤罪問題で無関係 ) 。

私はシリア政府軍が本当に毒ガス攻撃をしたならば『産経』の主張に賛成するが、反体制派をあと一歩まで追い詰めていた政府軍がそこまでする必要があったかに疑問を抱く。もし毒ガスを使用したのが反体制派なら ( その可能性がゼロとは思わない ) 、『朝日』の社説に一応の理があろう。何れにせよ、トランプ大統領にとって攻撃はオバマ前大統領との違いを見せつける必要と、北朝鮮への警告行動の両面の利点があっただろう。化学兵器や細菌兵器を持つとされる北朝鮮の隣国であるわが国にとっては、死者を出さずに終わった三國のシリア攻撃 ( メルケル独首相も支持する ) は化学兵器保持国への警告として悪い行動ではないだろう。

2018年4月14日土曜日

自由貿易の功罪

一昨日の『週刊文春』( 文春砲!)のトップ記事は「危ない中国食品2018」だった。買って読むほどの関心はないし、いまさら警告されても産地表示のない野菜など見分けがつかない。そもそも4回の中国ツアーで何を食べさせられたか分かったものではない。見出しによると発ガン物質もあるようだが後期高齢者に怖いものはない。

要するに中国産に限らずそれほど輸入食品が普及しているということだろう。そのむかし米国との間に「牛肉・オレンジ」の輸入拡大を約束した( させられた ) 時から日本人の胃袋は世界からの食材を飲み込んできた。その結果われわれは食品をより安く入手したり、その値上がりを回避してきた。
 
今日この頃、多くのスーパーでは国産肉 ( 牛、豚など ) と輸入肉が並んで売られており、その価格差に驚く。自由化以来、国内畜肉生産者は安い輸入肉に対抗するため高級化、ブランド化に努めた。その苦労は並大抵ではなかったろうが、わたしなど自由化の恩恵を満喫している。じっさい日本史上最近ほど庶民に牛肉が食べ易くなったことはない ( 物価高しか報じない記者たちは国産肉しか食べていないに違いない!)。

1940年代を記憶する私は米麦など主要食料の自国生産は食料安保のため保護する必要があると考えるが、消費者にとっての自由貿易の利点は否定できない。ただ、「もう少し時がゆるやかであったなら........」(  堀内孝雄 )ではないが、自由化が廃業や転職を無理なく許すスピードであって欲しいと思う。

2018年4月12日木曜日

運転免許更新のための認知機能テスト

これまで高齢者の運転免許更新のための手続きは教習所での講習 ( 実地運転を含む ) と、各地の警察署 ( または免許試験場 ) での視力テストを含む交付事務の二回だったが、最近の高齢者による事故増加にかんがみ認知機能テストが加わり、昨日受けた。パスするとの一応の自信はあったが、それでも愉快なものではなかった。

更新希望者が多いので実施日まで一カ月以上待たされた。教習所の不親切な入り口表示のため迷い、到着したのは10分前だったが、一室に男女10数人が会話もなく黙念と控えており、暗い雰囲気だった。

テストは 1) 当日の年月日、曜日、時刻の回答、2) 16種類のイラストの名前の記憶、3) 白紙に円を描き指定の時刻を図示するの三種。1と3は難しくないが、2は16種類のイラストを最初は何のヒントも無しに回答し、二回目は家具、動物、花、楽器など種類のヒントが与えられる。私は前者は10、後者は14記憶していた。採点結果は100点中81点で、第2回目の講習が2時間の組に入れた (76点以下は3時間講習 ) 。しかし、もっと高得点が取れると思っていたので心は晴れなかった!

面倒な手続き回数の増加は、それによる更新意欲の減退を狙っているのではと感じさせられたのはひがみか。高齢者と20才台の運転者の事故比率はほとんど同じと読んだ記憶があるのに。しかし、電子デバイスによる事故予防も万全でないとすれば、高齢者への厳しいテストはやむを得ないのだろう。

2018年4月8日日曜日

トランプ外交と朝鮮半島

昨夜、どこかのテレビ番組 ( 時間からするとBSフジのプライムニュースSP?)のトランプ外交についての座談会を途中から見、けっこう面白かった。

出席者の誰かが言っていたように私もトランプ外交の経済保護主義をそれほど奇異とは思わない。確かに我が国にとっては自由貿易主義が有利だが、昨年此れ迄で最高の国際収支の赤字計上した国が最早や自由貿易の理想やイデオロギーに囚われている余裕はあるまい。その他にも、実業家人生を送ってきたトランプがなにごともディール ( 取引 ) と考えるのは自然である。

そのディール重視のトランプ外交が対北朝鮮外交でも発揮される可能性は大きい。出席者の一人が北朝鮮の核放棄の代償として米軍の韓国からの撤退 ( 全面的ないし部分的 ) の可能性を指摘したが強い異論もなかったと感じた。私もディール重視のトランプが北朝鮮との融和を優先する文政権 に立腹し、北朝鮮の核放棄 ( そう簡単ではないが ) の代償として米軍撤退に応ずる可能性もあり得る気がする。

文大統領は北朝鮮がどれほど人権無視の独裁国であっても内心では米国に対してよりも親近感を持っているとしか私には思えない。文氏からは米国が万単位の戦死者を出して北朝鮮から韓国の自由を護ったことへの感謝は全く感じられない。そうとすれば朝鮮戦争に介入した米国は愚かだったということにもなる。

2018年4月6日金曜日

大谷翔平と村田修一

ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平がシーズン開幕早々の2ゲームで2本の本塁打を放った。その前の投手としての初勝利と併せて念願の二刀流が緒についた。大谷自身が自覚しているように未だシーズンは始まったばかり。今後の活躍は保証されているわけではない。ホームラン1号は風に助けられたと監督も本人も認めている。投手としてなら米国プロ野球に大谷以上の選手は何人もいるだろうし、打者としてなら彼以上の選手は何人も否何十人もいるかもしれない。しかし彼の人に愛される性格もあり、人気は上々のようだ。ぜひ今後活躍して日本人選手の株を挙げてほしい。

上昇する若手がいれば落日のベテランが出るのはやむを得ない。ベイスターズと巨人で主力打者として活躍した村田修一が巨人を解雇され、地方の独立プロリーグに入団した。わたしは彼の大味なバッティングは好みではなかったが ( ワールドベースボールクラシックではそれほど活躍しなかった ) 、最近になってシュアーなバッターになっていたと感じていたし、力の衰えはそれ程でなかったと思うが、若手育成のため?巨人を解雇された。計10年以上も主力打者だった ( 資産も築いた?)村田が独立リーグで野球を続けるのを意外と感ずる人は多いだろう。むしろ、輝かしい球歴に汚点となると考える人もいるだろう。しかし、本当に野球が好きでプレーを続けたいという彼の気持ちを私は分かる気がする。

村田修一のような一流プロ選手と比較する気など毛頭無いが、草野球しか経験の無い私でもプレーの快感を味わい続けたいとの気持ちは理解出来る。それも、本塁打の快感よりもファインプレーの快感が忘れられないのではないか。絶対抜けたと思わせる打球を好捕する快感を上とするのは私が弱打者だったからとは思わない。想像するだにおこがましいが、イチローも引退したあと思い出すのは自分のファインプレーの数々ではなかろうか? 誰か彼に聞いてみてくれないか!

2018年4月2日月曜日

桜あれこれ

今年の桜は例年より一週間以上早く咲いたが散るのも大変早く、東京ではもう盛りを過ぎた ( 去年はたしか咲きだしてから低温の日が続き花期が長かったのに ) 。散り方が潔さの代名詞のような桜とはいえ残念である。せめて今後の山桜や八重桜に頑張ってもらわなくては!

「願わくば花の下にて春死なん......」の西行や「世の中に絶えて桜のなかりせば......」の業平の歌はよく知られ、このブログでも言及したことがあるが、後者の返し歌に「散ればこそいとど桜はめでたけれ  憂き世になにか久しかるべき 」( 詠み人知らず ) があることは知らなかった。雅な貴族社会は庶民とは無関係だったろうがその存在が我が国の文化遺産を生んだことは喜ばしい。本居宣長の「敷島の大和心をひと問わば  朝日に匂ふ山桜花 」は戦時中大和魂の鼓吹に使われたようだが、大和心と大和魂の違いは私にはよく分からない。

我が国の入学式も桜花と切り離せないようだ。わたしは国際交流の時代には諸外国のように9月入学制に改めた方が良いとの意見だが、入学の喜びと桜の時期とは切り離せないと言われれば反対しづらい。9月に咲く花木は無いものか!

芭蕉の「さまざまのこと思い出す桜かな」を名句と感じるのは俳聖芭蕉という先入観のなせるわざなのだろうか。少なくとも蕪村や最近亡くなったK氏のような難解な句ではないので私に向いている。考えさせる句よりも感じさせる句の方が名句だと言いたい。しょせん「ごまめの歯ぎしり」だが。