蘆花は、「新しいものは常に謀叛である。維新の志士たちも謀叛人だった。社会は謀叛人を単純に断罪して終わってはならない」と幸徳秋水らを弁護した。満場の学生たちは蘆花の気迫に呑まれてか、粛然と耳を傾けた。君主の徳政を重視した蘆花は、深く敬愛する明治天皇に過ちを犯させた政府を許せなかったのである ( 彼は兄の蘇峰を通しても政府に寛大な処置を働きかけた )。12名もの被告を死刑にした事件は世界の注目を浴びた。
処刑された12名の中には4名 ( 管野スガを含む ) ほどはアナーキスト気取りで幼稚極まる天皇暗殺計画を立てており、幸徳自身も新宮市の大石誠之助医師 ( 死刑 ) に爆弾の製造方法を尋ねていた ( 飛鳥井雅道 『幸徳秋水』中公新書 1969 )。発禁に次ぐ発禁で言論の自由を奪われ経済的にも困窮した幸徳にもいっときの迷いがあっただろうが、具体的な行動計画があったわけではなかった。まして米国留学し地元で尊敬されていた大石は、社会主義に共鳴し幸徳とも理想を共にしていたとしても、上京途上の幸徳に新宮市で会った程度の係わりだった。
今年1月18日、新宮市は大石誠之助を名誉市民と認定したという。今ごろとはと感じたが、大石は犯罪者だからとの躊躇の声がこれまで認定を阻んできたという ( 『毎日』 3月2日 )。法律上はそうかもしれないが.............。
0 件のコメント:
コメントを投稿