2018年3月28日水曜日

訂正

先ほどのブログの高橋氏は高橋洋一氏のことです。日本有数のありふれた名前なのにウッカリ!

佐川喚問の限界

昨日、元財務省理財局長の佐川宣寿氏の国会喚問が行われ、今朝の新聞各紙はその記事が満載である。『朝日』は何と40頁のうち9頁 ( うち一つは社説 ) が関連記事となって居る。私はこのブログで他人と同じ意見を開陳しても意味がないと常々思ってきたが、今回は発言しないとそのことに特別の意味があると思われてしまいそうだ!

半ば予想されたこととはいえ、佐川氏のガードは固く、「刑事訴追の恐れ」を理由に証言を拒むこと40数回?に及び、真相究明にはほど遠かった。法律に素人の私には国会での証言拒否と一般犯罪者の黙秘権行使とはどちらも納得できないが、それが法律なら仕方がない。

新聞に多くの「識者」たちの発言がある中で、みずから証人喚問された経験者の鈴木宗男氏だけが、自分と同様に佐川氏が悪者扱いされていたとし、忖度があったと「事実でないことを野党が主張するのは間違っている」と佐川氏を弁護している。宗男氏の意見が正しいかは別とし、異なる意見にも発言の機会を与えることは大切である。元経験者の意見という他紙に無かった着眼という意味で『朝日』の人選は高く評価されて良い。

『産経』に「元財務官僚  高橋が斬る」と題する連載 ( 3月24~26日 ) で同氏は「財務省は忖度しない組織」と忖度説を退けている。氏によれば財務官僚のプライドは高く、そのうえ国税庁という強力な武器 ( 脅しの道具 ) を持つ財務省は政治家に忖度する必要など無いと言う ( 25日 ) 。しかし、高橋氏が官僚だった時代と内閣人事局が新設された現在とでは力関係は同じでは無いのではなかろうか?

2018年3月24日土曜日

人類史500万年の鳥瞰図?

昨夜、著書『銃  病原菌  鉄』( 1997年 )により人類500万年の歴史と自然環境の相関関係を考究して話題を呼んだジャレド・ダイアモンド教授のNHKのEテレの番組『ダイアモンド博士のヒトの秘密』全12回の最終回「世界の格差は無くせるか」を見た。最初の2回のあと見ていなかったので私の理解は不十分だろうが、面白かった。

太古には集落の全員が働かなければ食えないので王様や官僚を養えず、平等だった。先進国の中で現在格差の最も大きい国は米国で、上位1%の国民が国富の25%を享受しているという。それも酷いが、国家間では最上位のノルウェー国民の収入はアフリカの最貧国の国民の300倍とのこと。どの国に生まれたかで人類はこれだけの格差を強いられているのである 。しかし、一国内の格差と異なり、不平等との批判は聞かれない。

国家間の格差では海に面した国と内陸国では後者が貧しい ( 陸上と海上の運搬費の違い ) というのは何となく分かる気がするが、天然資源の豊かな国と少ない国では意外にも前者が貧しい場合が多いという。国内資源の地理的偏在がかつてのナイジェリアのビアフラ紛争 (1967年 ) のように地域間の紛争を呼ぶから。植民地化による貧困の例としてはインド、ペルー、ボリビアが例示されていたが、格差は拡大したかもしれないが、絶対的に貧困になったかは多少疑問を感じた。

グローバル化は今まで意識されなかった貧富の格差を顕在化させるので、テロや移民難民や新興感染症 ( デング熱やエボラ出血症など ) の原因にもなる。これらへの対策としては途上国への資金援助 ( とくに医療援助 ) や、先進国の生活スタイルの改善 ( 米国は地球人口の5%だが、エネルギーの25%を消費している ) などが挙げられる。

人類が500万年の間に進化したのに動物が進化しなかったのは何故か。ダイアモンドによれば動物の生存の目的は遺伝子の拡張であるのに対し、人間はモラルによる選択が出来る点が重要であり、人間が生み出した問題は人間が解決できるという。しかし、自然科学や技術の驚くべき発展に対し人間性の遅々たる進歩を考えると、博士ほど楽天的にはなれないのだが..........。




2018年3月21日水曜日

親日国からの労働力導入を歓迎する

今朝の朝日新聞のコラム「経済気象台」に「親日家を育てるために」とのペンネーム「春雷」氏の発言が載っている。氏の職業や経歴は不明だが、内容は最近よく論じられている外国人労働者問題である。

「インドネシアやフィリピンを取材していると、あえて国名はあげないが、中東の『石油大国』への『介護』や『メイド』としての出稼ぎは『奴隷労働』( 基本的人権など存在しない ) ともいうべき悲惨さがあり、日本への就職希望はとても多い」「日本でも労働基準法を守らない職場があり、国際社会から批判されることもある。しかし、現地での日本に対する評価は予想以上に高い......。『アジアで嫌われている日本』という表現を目にすることもあるが、そんなことはない。アセアンはほとんど親日だ」と氏は書くが、日ごろ紙面で見聞する「苦しむ外国人研修生」「実態とかけ離れた研修内容」といった報道との違いに驚く。

「外国人研修生」の実態が企業の労働力確保 ( それも安価な ) であることは間違いない。まして不法な労働実態は強く批判されるべきである。しかし、20年前にもなろうか、長野県川上村で高原野菜を収穫する中国人の若者たちはもっと働きたいとの願いが聞いてもらえないとの不満を持っていた。高原野菜は朝早くから収穫する必要があるのに早朝の労働は労働法により禁止されていたのである。そのほか、研修が将来別の面で役立つことが無いとは断定できない。遠雷氏の指摘のように「覚えた日本語を活かし、製造業などに勤めたり、場合によっては『通訳』を目指したりしている」( 長野県で働いていたという中国ツアーのガイドは後者だった ) 。それ以外でも時間厳守や労働意欲といった日本の生活習慣が帰国後役に立つこともあろう。国連人権委員会などからのバランスを欠いた人権運動家たちの批判は必ずしも実態に即していない。

国土が苛酷な戦場となったフィリピンや日本軍占領下に多数の餓死者を出したベトナムなど、わが国がかつて多大な迷惑をかけたのに親日的な国々からの労働力導入には特別の措置があってもよいだろう。

2018年3月19日月曜日

江夏豊の引退試合

私の住む多摩市の外れに「一本杉 ( 公園 )」という名の球場がある。高校野球の地区予選に使用される?程度の小さな球場で、私もその近所の散歩にその駐車場を数回利用したことは有るが試合見物したことはない。今朝の『読売』の地方欄に此処で開催された「江夏豊の引退試合」との大きな記事が載っており、驚いた。江夏といえば長いプロ野球の歴史でも沢村栄治や金田正一と並んで三傑と呼んでもよいほどの大投手である。その引退試合がこの人気の少ない小球場で行われたとは...........。

その理由は江夏が覚せい剤を服用した不祥事の影響もあるが、彼が阪神タイガースに始まり計6球団を渡り歩いたため、どの球団も彼のために一肌脱ごうとはしなかったためでもある。しかし、彼ほどの大投手の引退試合が無いことに納得できなかったスポーツ誌 ( 『ナンバー』)の編集者が、一本杉球場の中学生?の野球試合に投手江夏を登場させ引退試合としたのである。落合博満選手をはじめかつて江夏と対決した大打者たちも集まり、試合を盛り立てたという。江夏が関係者の尽力に感激しただろうことは疑いない。

覚せい剤の再三の服用が非難され罰せられるのは当然である。しかし、プロ野球のオールスター戦での9人連続三振といった偉業を達成した大投手に対し、それにふさわしい礼で報いようとした俠気 ( おとこぎ ) のある人たちが存在したことは救いでもある。義侠心にもそれへの共感にも男女の別はないと信ずる!


2018年3月16日金曜日

河津桜とわさび丼

気が早いというべきか、ニュース番組のテーマ探しに窮してか、テレビ各局とも桜の開花予想を飽きることなく報じている ( 外国でもこれに相当する花木の開花予想報道があるのだろうか ) 。新聞でも各紙とも先月から河津桜見物のニュースが載っている。

報道の挑発を受けてではないが、伊豆半島に桜花を求めて小旅行をした。河津川沿いの桜はもう盛りを過ぎているかも知れないが、伊豆半島には国道沿いに早咲きの桜が少なくないからである。想像に過ぎないが、河津桜の人気を知ってこの2,30年の間に半島各地に植えられたのではないか。

悪い予想が当たり河津川沿いの桜並木は若葉混じりで盛りを過ぎていたが、伊豆高原 ( 大室山の麓に染井吉野中心の桜公園がある ) への入り口や、やや標高の高い中伊豆では満開の河津桜が行く先々で見られた。その一つの浄蓮の滝では中国人観光客を大勢見かけた。染井吉野や山桜でなくともせめて満開の河津桜を見せられたと祝福した。

同所の「観光センター」で、もう一つの目的のわさび丼の昼食をとった。記憶にある安曇野の大王農場のそれとは違うようだが、花カツオの載った米飯の上に自分で擦った生わさびを乗せ醤油をかけて食べるという素朴などんぶりで何ということはないのだが、擦りたてのわさびの風味は悪くない。

新聞に紀伊半島南部でオオシマザクラ以来数十年ぶりの新種の桜が確認されたと報じられている。今ごろ新種が発見されるほど桜の世界は奥深いのか。今回私が見た桜も河津桜とする自信がぐらついてきた!

2018年3月10日土曜日

自然災害との付き合い

霧島火山群の新燃岳で小噴火が起き、今暁ようやく火口から4キロ以内を立ち入り禁止とする警報が出された。しかし、火山の噴火予知が困難なことは木曽の御嶽山や群馬の本白根山の例でも明らかである。警戒レヴェルをさらに高めないでよいのかと素人の私など心配してしまう。火山学者たちは現在の程度に自信があるのだろうか。

火山と比較すれば予知研究が進んでいると信じられてきた地震予知も神戸地震も東日本大震災も熊本地震も予知できなかった。とくに熊本県は地震の少ない地方ということを工場誘致のアピール点としていたと聞く。しかし、ニュースなどで見る家屋の倒壊状況は激震と呼んでもよいようだ。

明日に7周年を迎える東日本大震災の、とりわけ津波被害の巨大さについては言うまでもない。突然複数人の家族を失った被災者の悲しみの深さは想像に余りある。だが、今後予想される南海地震での津波による犠牲者数はそれの10倍にも及ぶとの予想もあるという。それなのに集落移転などの抜本的対策を決めた自治体は皆無とか。襲来は必至と言われても100年後200年後かも知れぬとあれば集落移転といった荒療治に踏み切れないのは理解できる。波高10数メートルの津波にも耐える高層ビルを建設するのが実際的解決かも。

今は亡き韓国の友人が日本で神戸地震を経験し日本人への理解が深まったと語った。その理由は聞かなかったので想像するしかないが、理不尽な運命を受け入れてきた、そうするしかなかった歴史が日本人の性格形成に影響を与えてきたのは事実なのだろう。他方、自然災害との同居を強いられてきた我が国だが、緑豊かで四季のある自然は他国と比較して相対的には恵まれた風土だと思う。それを幸福と思うのはまさに私が典型的な日本人だからか?

2018年3月5日月曜日

シリア危機の現段階

シリア内戦での国民の苦難に終わりが見えない。新聞には反体制派の残された拠点であるダマスカス当方の東グータ地区への政府軍の空爆がたびたび報ぜられ、犠牲者の数は止むことがない。

しかし、それを報じる米欧のメディアの情報源の「シリア人権監視団」は反体制派の機関であり、その情報をそのまま信じることはできない。東グータ地区へは僅かながら人と物の往来を許す「人道回廊」があると聞く。先日そこにも砲撃があったとの報道があった。しかし、対立する両勢力の動機を推測すると ( あくまで推測だが ) 、「人質」となりうる住民の脱出を妨害する必要性は反体制派の方が切実である。じじつ東グータ地区は今やアルカイダ系のヌスラ戦線の支配下にあるとの報道が散見する。

東京新聞の「本音のコラム」(3月3日)に常連寄稿者の師岡カリーマ氏の「敗者の暴挙」と題する発言が載っている。「人命軽視は反体制派も同じだ。ロシアの支援を得て、アサド勝利はもはや確実とされる。それでも罪なき市民に犠牲を強いて戦い続ける『敗者』に尊厳は見出せない」、「どこかしらの外国が援助している反体制諸派の対立と意地の張り合いが招く子供の殺りくより、理不尽なものがあろうか」。

師岡氏について私は父親がエジプト人と聞くだけでその政治的立場は全く知らない。しかし彼女も私と同様、「アラブの春」に際して反体制派の勝利による中東諸国の民主化を心から願ったと信ずる。しかし現実には反体制派間の協力は実現せず、狂信的な「原理主義派」が各地で支配的になったようだがそれは何故か。我が国のアラブ研究者たちはその現実を語りたがらないようだ。皮肉にも今ではヨルダンやモロッコといった王制諸国が、政治の腐敗や人権侵害があるとしても相対的に最も国民が安全に暮らせる国となっている。


2018年3月3日土曜日

「大逆事件」連座者が新宮市名誉市民に

明治末年、旧制一高の弁論部の代表 ( その1人はのちの社会党委員長の河上丈太郎 ) が徳冨蘆花の家宅を訪ね講演を依頼して快諾を得た。当日の演題を「謀叛論」と聞いて彼らは戦慄を覚えたのではないか。当時、「大逆事件」の当事者として幸徳秋水ら12名が明治天皇の暗殺を企んだとして死刑を執行された直後だった。

蘆花は、「新しいものは常に謀叛である。維新の志士たちも謀叛人だった。社会は謀叛人を単純に断罪して終わってはならない」と幸徳秋水らを弁護した。満場の学生たちは蘆花の気迫に呑まれてか、粛然と耳を傾けた。君主の徳政を重視した蘆花は、深く敬愛する明治天皇に過ちを犯させた政府を許せなかったのである ( 彼は兄の蘇峰を通しても政府に寛大な処置を働きかけた )。12名もの被告を死刑にした事件は世界の注目を浴びた。

処刑された12名の中には4名 ( 管野スガを含む ) ほどはアナーキスト気取りで幼稚極まる天皇暗殺計画を立てており、幸徳自身も新宮市の大石誠之助医師 ( 死刑 ) に爆弾の製造方法を尋ねていた ( 飛鳥井雅道  『幸徳秋水』中公新書 1969 )。発禁に次ぐ発禁で言論の自由を奪われ経済的にも困窮した幸徳にもいっときの迷いがあっただろうが、具体的な行動計画があったわけではなかった。まして米国留学し地元で尊敬されていた大石は、社会主義に共鳴し幸徳とも理想を共にしていたとしても、上京途上の幸徳に新宮市で会った程度の係わりだった。

今年1月18日、新宮市は大石誠之助を名誉市民と認定したという。今ごろとはと感じたが、大石は犯罪者だからとの躊躇の声がこれまで認定を阻んできたという ( 『毎日』 3月2日 )。法律上はそうかもしれないが.............。